何年振りかも忘れるくらい久しぶりに登校してみた学園は、日本にとって想像していたよりも嫌な場所ではなかった。欠席が響いてまだ一年生だけれど同じクラスには韓国もいるし、年若きアジアの各国たちとは国交も持っているので教室はとても雰囲気が良い。勉強も自宅でしていたので問題はなく、中国と韓国と交代で作っている弁当も楽しみのひとつだ。日に一度は必ず会いに来るアメリカにももう慣れたし、初日のイギリスにはあれ以来会っていない。このまま平和な学校生活が送れれば、と日本は思っていた。彼女は波風の立たない平穏な日々をこよなく愛していた。



日本は放課後の空き時間を使って図書室を訪れていた。背の高い本棚の上から下までぎっしりと詰まっている本は、蔵書数の多い日本の家よりも当然ながらたくさんある。各国の言語で書かれているものも多く、僅かながら読める背表紙はどれも面白そうで、日本は知らず頬を緩めた。借りて帰ろう。そう決めたのはいいのだが。
「・・・・・・届かない」
手を伸ばしても指先さえ掠りやしない。本棚の上から二段目の段は、学園の平均身長よりもかなり低い日本にとって遙かな高みだった。懸命に背伸びしていた踵を下ろして周囲を見回すけれども、踏み台になるようなものも見当たらない。どうしたものかと、日本は考えた。お国自慢である忍者の動きを使えば楽に取れるのだが、さすがに校内でそれは避けたい。だけど誰も見ていないし、と考えていると、ふと視界が陰った。
「これか?」
降ってきた声に顔を上げれば、初めて見る男子生徒が日本の横に立っていた。差し出されたのは目当ての本で、日本は戸惑いながらも有り難く受け取る。
「どうもありがとうございます」
深々と頭を下げてから文化の違いに思い当たった。顔を上げれば案の定相手は困った顔をしていて、日本も誤魔化すために少しだけ笑う。
「とても助かりました。私では届かなかったので、どうしようかと思っていたんです」
「いや、役に立ててよかった。他に取りたい本はあるか?」
「いえ、見ず知らずの方にそこまでしていただくわけには」
お気持ちだけいただきます。そう言った日本が予想外だったのか、男子生徒は僅かに目を見張った後で苦笑した。その笑みがあまりに似合っていたものだから、苦労しているんでしょうか、と失礼なことを日本は思う。
「見ず知らずでなければいいんだろう? 俺はヨーロッパ組の二年、ドイツだ」
「ドイツさん。私は亜細亜組の一年で、日本と申します」
「・・・・・・日本?」
「はい」
「あぁ、いや・・・・・・そうか、おまえが・・・」
ドイツと名乗った男子生徒は、まじまじと日本を見下ろした後で視線を逸らす。『おまえが』何なのだろうと続きを待っていると、本棚の向こうから新たな男子生徒が現れた。明るい茶色の髪がきらきらとしていた、一筋だけくるんと曲線を描いている。山菜みたいだとやはり失礼なことを日本が考えていると、その男子生徒と視線があったので、ぺこりと頭を下げた。それに引かれるように男子生徒はぱたぱたと駆け寄ってくる。
「うわぁ! ドイツドイツ、女の子じゃん! こんな可愛い子といつ知り合いになったの!?」
「ば、馬鹿! 彼女は・・・っ」
「俺ねぇ、イタリア! ヨーロッパ組の二年だよー。君はどこのクラス?」
「はじめまして、イタリアさん。一年亜細亜組の日本と申します」
「にほん?」
「はい」
「・・・・・・日本?」
「はい」
イタリアが首を傾げるので同じように傾げていると、彼はドイツとは違いすぐに反応を返してきた。
「えーっ! 君があの日本!? イギリスの領土を断ってけちょんけちょんに踏み潰して平手打ちして『てめーみたいなヘタレはテムズ川に落ちろ!』って高笑いしたっていう日本!?」
「そ、そんなことしてません! 何ですか、それ! 誰から聞いたんですか、そんな嘘!」
「えーだってヨーロッパ組では噂だよ? すごい女の子が入ってきたって」
「・・・・・・何か、本当、いろいろツッコミたいところがあるんですけれど・・・・・・とにかく私は、イギリスさんにそんな失礼なことしてません。確かに、その、いささか生意気な口をきいてしまいましたが・・・」
抱えた本を抱き締めて、何だか日本は悲しくなってきてしまった。初日にかっとなって言い返してしまった自分が悪いのだろうけれど、この仕打ちはあんまりではないか。せっかく平穏な学園生活が送れると思ったのに。
俯いた日本を不思議に思ったのか、イタリアが顔を覗き込んでくる。黒い瞳にうっすらと涙がにじんでいるのに気づき、彼は本気で慌てた。
「え、ええっ! 日本、何で泣いてるの!? ごめんね、俺なんか酷いこと言ったよね、ごめんねっ!」
「違い、ます。泣いてないです。イタリアさんは悪くありません」
それでも目元を緩く擦った日本を見て、ドイツは軽くイタリアの頭を小突く。どうしようドイツーと喚かれる前にその口を手のひらで塞いでから、もう片方の手で低い位置にある日本の頭にそっと載せた。びくりと震えたのを見なかったことにして、出来る限り優しく、黒い絹のような髪を撫でる。
「・・・・・・悪かった。無神経なことを言った」
「・・・・・・いえ」
「イギリスはあの性格だから、ヨーロッパ組の中でも敵が多いんだ。そいつらがイギリスを馬鹿にするために言っているだけだから気にするな」
「ごめんね、ごめんね日本! 俺ちゃんと、明日から否定しとくから! 日本がそんなことするはずないって言っておくから!」
「・・・・・・いえ、大丈夫です。すみません。一人で取り乱したりして」
情けない、と溜息を吐き出して日本は顔を上げる。ドイツは強面の顔に心配そうな表情を浮かべていて、イタリアはむしろ自身が泣きそうになっている。その表情がまるで子供のようで、日本は少しだけ笑ってしまった。その笑顔にイタリアも眉を下げて笑う。
「ねぇねぇ日本、俺とドイツ、これからお茶飲むんだけど一緒に飲まない? 美味しいパネトーネがあるんだよー」
「パネトーネとは、イタリアさんのお菓子ですか?」
「そうだよ、俺の自慢!」
日本の視線がドイツに向けられる。その理由が分からなくてしばし悩んだが、当たりをつけて頷き返した。
「時間があるなら来るといい。日本の文化についていろいろと聞かせてくれ」
「あ、俺も知りたい! 日本のお菓子についても教えて?」
「・・・・・・それでは、お言葉に甘えまして」
じゃあ行こう、と日本の手を取って駆け出そうとしたイタリアの首根っこをドイツが捕らえる。日本が本を借りるのが先だ、と気を回され、しかも結局他にも借りたかった本を取ってくれて、それらを持ってくれて、ドイツの気遣いをありがたくと思うと同時に、日本は納得していた。確かにイタリアのような性格の人間とつるんでいれば、自然と面倒見が良くなってしまうだろう。ありがとうございます、と二重の意味を込めて日本はドイツに頭を下げた。
その後、振舞われた菓子とエスプレッソはとても美味しかった。場所は校舎の奥まった場所にある倉庫でだったけれども、ドイツの優しさとイタリアの明るさに日本はとても救われた。





光の差し込む本棚の影で






WW学園二年ヨーロッパ組、ドイツ君。とても常識人なイタリアの友人。三年ヨーロッパ組のオーストリア君と共に暮らしていた過去あり。苦労性な優しい人。
WW学園二年ヨーロッパ組、イタリア君。フルネームはヴェネチアーノ・イタリア。双子の兄・ロマーノがいる。ヘタレだけど明るく憎めないドイツの友人。主食はパスタ。

2007年9月9日