ひまわりとさくら 【 秋 】





日本の夏は、ロシアが初めて体験する暑さだった。日差しはぎらぎらと鋭く肌を焼くし、湿気はじめじめと汗を滲ませる。向日葵と日本がいなければ、きっと乗り切ることは出来なかっただろう。しかしロシアは夏が好きだ。あったかい国にやはり憧れる。
季節は過ぎ、秋がやってくる。日本の秋は木々の葉が黄色や赤に色づき、とてもカラフルだ。そして食べ物が美味しくなるのもこの季節らしい。ロシアは日本と一緒に、毎日のように山へ果実や茸を採りに行った。落ち葉で焚き火もしたし、庭になった柿を干し柿にする手伝いもした。日本と過ごす日々は楽しかった。こうやって緩やかに過ごしていくなら、国であることも悪くはない。そんなことを思っていた、ある日のことだった。
「日本殿はおいでだろうか」
日本が裏手の井戸に水を汲みに行ったため、庭にひとりでいたロシアの前に、知らない男が現れた。服装は水干でも狩衣でもなく、どことなく質の良さそうな布を使っている。年齢は四十歳過ぎに見えたが、日本人が外見よりも若く見えることはもう知っている。だが、会ったことのない男だ。ロシアは咄嗟に身構えてしまう。
「そなた、日本殿はどこだ? 出かけておられるのか?」
「こるこるこるこるこる・・・・・・」
「こる?」
呪詛のように呟き始めたロシアに、男は首を傾げる。桶を手に戻ってきた日本が男を見て破顔した。
「これはこれは、宿老様ではございませんか。御久しゅう御座います」
柔和な、ロシアに対するよりも格式ばった挨拶をした日本に、男は口早に説明する。
「日本殿、今すぐ御所へ御出でくださいませ。将軍様がお呼びで御座います」
「では、衣を改めますので今少し」
「いえ、そのままで結構。少しの時間も惜しいのです」
男の言い方に日本は僅かに眉根を寄せ、はっと息を呑んだ。肌が徐々に青ざめていく。まさか、と掠れた声で呟いた日本に、男はこけた頬を俯かせて告げた。
「・・・・・・義詮様は、今夜が山だ、と」
がらん、と日本の手から落ちた桶が土の地面を転がる。徐々に浸透して色濃くなっていくその様を見つめ、ロシアは日本を見上げた。その顔色ははっきりと分かるくらい血の気の引いたものだった。
草履を蹴るようにして家に戻り、日本は打掛を手に足音を鳴らして戻ってきた。用意されていた馬車に乗ろうとして、所在無げに立っていたロシアを振り返り「あなたもいらっしゃい」と手を差し出す。使いの男は怪訝そうな顔をしたけれども、文句を言う時間すらも惜しいのだろう。三人を乗せた馬車はすぐに走り出した。舗装されていない道を、車は上下左右に揺れながらいく。日本が密やかに、ロシアの耳元で「よく見ておきなさい。あなたにも避けられないことです」と囁いた。
連れて行かれたのは日本の家とは比べ物にならないほど立派で、整然とした、だけど木の建物だった。数多くの人間たちが行きかっている。特に女は色鮮やかな模様の服を着ていて、それがロシアの目を引いた。別の部屋で綴られているのは祈りだろうか。控えの間まで来ると、日本は銀紺の打掛を直して体裁を取り繕う。さすがにこれより先にロシアを連れて行くことは出来ず、すみません、と謝って日本は奥の間へと入っていった。引き戸の僅かな合間から、誰かが布団に寝ているのが見えた。それはおそらく日本の上司なのだろう。文化の違うロシアにも分かった。日本の上司が死にかけている。歴史がひとつ、積み重なろうとしている。それはロシアが初めて体験する「死」だった。
訴える声がいくつも重なり、僅かな沈黙、そして爆発的な悲鳴と狂乱の叫びにロシアは身を震わせる。初対面の人間に怯えるのとはまた違い、ロシアは恐ろしくなって拳を握った。歴史の移り変わりとは、このようなものなのか。このように激しく、怖ろしい。
静かに戸を引いて出てきた日本は、目元を僅かに赤く染めていた。正座から立ち上がったロシアが駆け寄ると、畳に膝を着いて抱きとめてくれる。その背後から、ロシアより少しだけ年上の、十にも満たない少年が現れた。瞳は真っ赤に染まっている。それでも足取りに迷いはなく、きつく結ばれている唇は色をなくしていたけれど、途方に暮れた目は日本を捉えることで意思を持つ。
「・・・・・・日本」
ロシアを放し、向き直った日本は畳に膝を着き、指をそろえた姿勢で少年を見上げる。開いたままの戸の向こうから、女たちの泣き喚く声が響き続ける。
「父上は身罷られた。今から余が足利家を・・・・・・この国を、受け継ぐ。変わらぬ奉公を、頼む」
「勿論で御座います、義満様。わたくしのこの身朽ち果てるまで、お傍に御仕え致します」
畳に額をこすり付けるように頭を下げた日本を見て、少年は唇を綻ばせるように歪めた。丸い頬を伝った涙が滴り、畳に吸い込まれていく。その行方をロシアは見つめることが出来なかった。人の生は短い。国である自分たちは、それこそ無数の出会いと別れを繰り返していく。共に生きることが出来るのは、おそらく。
この瞬間、ロシアは末永く国を維持しようと心に決めた。深く叩頭する日本の、黒髪によって隠された涙を垣間見て。末永く存続し、日本の傍にい続けようと誓った。





宿老・いわゆる家老のこと。足利義満は11歳で三代将軍に就きました。
2007年11月4日(2008年12月21日mixiより再録)