「あなたの妻になるくらいなら死んだ方がましです」
そう言われても攫ったのは欲しかったからだ。舌を噛み切って死なれても構わない。それどころか彼女が自分の腕の中で死んでくれるのなら、それほどの喜びもないだろうと思っていた。だから攫った。世界から、国から、大地から、多くのものから彼女を奪った。海を越えて自国へ戻った、あの星の煌いていた夜を忘れない。
連れてきた彼女はもちろん抵抗した。時には自分を殴って出て行こうとまでした。その手首を掴み、引きずり倒し、駄目だよ、と長い黒髪を掻き分けて耳朶に唇を寄せた。駄目だよ。逃げたら殺しちゃうよ。君の大切な国民を。殺しちゃうよ、日本君。
だから逃げないで、と抱き締めれば、強い侮蔑の眼差しを寄越された。それすら愛しかった。綺麗だなぁと思った。彼女は決して涙だけは流さなかった。そんな気の強いところも欲しいと思った一端だった。
望むものも望まないものも、思いついたものはすべて与えた。広い屋敷、温かな部屋、美味しい食事、沢山の使用人。畳を誂えて和室も作ったし、彼女に似合う着物を何百着と用意した。愛情、独占欲、嫉妬、他数多くのものも捧げた。永遠にしたくて首を絞めたことも、窓ひとつない部屋に閉じ込めたこともある。手足につけた鎖は不恰好だったのですぐ外したけれど、首輪は存外似合ったのでしばらくの間つけさせていた。触れるだけの子供のようなキスを何度もしたし、暴力的な意識に支配されて残虐に抱いたこともある。それらすべてに、彼女は何ら抵抗をしなかった。ただ侮蔑の眼差しで自分を見つめていた。それでも、傍にいてくれたからどうでも良かった。
けれど、幸せな日々はそう長く続かなかった。
武力を放棄し、経済的に目覚しい成長を遂げ、大国と呼ばれるに相応しい彼女を攫った罪として、世界中は一様に自分を非難した。もともと敵の多かった国だ。それこそ友好的でなかったアメリカは、これ幸いと諸手を挙げて攻撃を仕掛けてきた。イギリスを中心としたヨーロッパも、そして韓国や中国、東南アジアも。すべてを敵に回す覚悟はもちろんあったけれども、さすがにここまで苦しいとは予想していなかった。日に日に疲弊していく国民と當。己の身体が食い破られていくのを感じている。ここまでかな、と自嘲をひとつ零した。
「死ぬんですか」
黒い瞳がふたつ、床に転がるロシアを見下ろしている。誂えた着物はやはり日本によく似合っていて、それが嬉しくてロシアは笑う。
「死ぬんですか、あなた」
「そうだね、そろそろ時期かもしれない」
世界を跳ね除ける手段はある。けれど、ロシアはそれを使おうとは思わなかった。日本の身体に未だ残っているふたつの痕を知ってしまったから。使わないと、勝手に決めた。
「でも、君は最後まで僕のものだよ。例えどんなに攻め込まれようと、君だけは渡さない」
「勝手に言ってなさい」
振袖を払って身を起こす。紅の花がとても綺麗で、遠くなる顔に手が届かなくて、ロシアは眉を顰める。行かせない。そう思うのに、もう指先も動かない。
「どこ、行くの」
言葉が呪詛になればいい。彼女に巻きついて離れないように放さないように。次は、そう、互いに人間として生まれてこれるように。願わくばその時もまた出会うことが出来るように。美しい彼女をまた見れたらいい。漆黒の瞳に見下ろされながら、そんなことを思う。
「あなたが戦えないのなら、私が出るしかないでしょう」
「・・・・・・え?」
「家を守るのが妻の役目ですが、そうも言っていられない状況ですしね」
きょとんと目を瞬けば、いつの間にか彼女はその手に日本刀を握っている。その武器を見るのは随分と久しぶりだ。彼女は数度の戦争を経て、敗戦と共に武力を放棄した。決して戦わないと国民に、世界に、誓っていたはずなのに。ゆるりと唇を吊り上げる様は、凄惨なくらい艶やかだ。
「神風はまだ死んでいないということを、世界に知らしめてやりますよ」
「日本、君、僕の奥さんだったの?」
「は? 何を言ってるんですか、今更」
呆れよりも不可解そうに眉を顰められるが、ロシアとしては初めて知る事実だった。確かに連れ去ってきて、妻として迎えたつもりだったけれど、それは自分だけだと思っていた。近くにいてくれるなら、それだけで十分だと思っていたのに。
「あなたのしたことは許せませんし、許すつもりもありません。でも私は憎んでいるだけの男にいつまでも囲われているほど、無力でも無気力でもないつもりです」
いざとなればあなたを殺して逃げましたし、その機会は実際に何度かありました。日本はそう続けるけれど、ロシアには分からない。それなら何で彼女は今まで自分と一緒にいてくれたのだろう。「妻になるくらいなら死んだ方がまし」とまで言っていたのに。その疑問が通じたのか、それとも単にロシアが間抜けな顔をしていたのか、日本は今度こそ呆れたように着物の肩を竦めた。
「あなたがあまりにも感情のすべてを私に向けるから、絆されたんですよ、きっと」
鮮やかな着物の帯に日本刀をくくりつけ、彼女は背を向けて歩き始める。美しい出陣の姿は、ロシアが一番最初に魅入ったものだ。血を浴びて戦う姿に、折られない誇りに、欲しいと思った。日本の傍にいれば寂しくないかもしれない。愛してもらえたら、嬉しいかもしれない。そして実際果たされたその願いは、ロシアに世界以上の希望をもたらした。先ほどまでぴくりとも動かなかった身体が、上機嫌にも立ち上がろうとする。血濡れのコートを翻して、先を行く日本の隣に並んだ。
「僕と君が組んだら最強だと思わない?」
「そうですね、性格の悪さは最強なんじゃないですか」
「似合いの夫婦だよね、僕たち」
「そうですね、それには同意します」
夫婦という言葉を拒まれなかったことが嬉しくて嬉しくて、ロシアは長身を屈めて日本の顔を覗き込んだ。何ですか、と顰められる眉すら愛しくて、その眉間に口付けを送る。嬉しい。愛しい。愛しい。
「愛してるよ、日本君」
「大嫌いですし憎んでますし腹が立って仕方のないときもありますけど、やすやすとは死なせませんよ、ロシアさん」
「この戦争が終わったら結婚式を挙げようね」
白無垢も用意するから、と言えば、処女じゃないのでバージンロードは歩けません、と返ってくる。ロシアは右手にギュルザを、左手にPSMを握る。日本はいつでも抜刀できるよう、日本刀の柄に手をかけた。扉の向こう、白銀の国が今は赤く染まっている。あぁ、と日本が小さく笑った。
「このバージンロードなら歩けます」
「二人で並んでね」
そして夫婦は地を蹴った。





? まさか! 罪をどうぞ?






(他の国が偉い迷惑を被る夫婦の話。)



2007年8月11日