「・・・・・・百回?」
「はい。百回です」
「百回なのか? 十回じゃなくて?」
「はい。百回です」
同じ言葉を二度紡いで肯定すれば、それが紛れもない事実だと悟ったのだろう。イギリスは三度「百回か・・・」と呟いて、眼前にそびえる階段を見上げた。その横顔を眺めながら、日本は説明を付け加える。
「『お百度』は、その名の通り同じ社寺・・・・・・お寺や神社を百回お参りすることで、心願が成就するようにと祈る信仰です。より多く参拝することで、神仏も聞き入れてくださると考えられているのかと」
「なるほどな」
「人に見られないように行うと良いとか、裸足で行った方がより効果があるなどとも言われています」
「そうか・・・・・・。日本人は辛抱強いんだな」
イギリスのその台詞は、目の前の階段を百回も昇り降りすることに対する感想から来るものなのだろう。そうですね、と日本は浅く頷いた。
「この階段は百段程度でしょうから、そう長いものでもありません。釈迦院などは三千三百三十三段ありますから、往復で六千六百六十六段、それを百回なので六十六万六千六百段になりますね。確かにそれだけ切に願えば、神仏も聞き届けてくださりそうです」
「六十六万・・・・・・っ!?」
信じられない、とイギリスの青い瞳が見開かれる。もしかして欧州には階段がないのだろうかと日本は思ったが、そんなこともないだろう。ただ長い階段というのは少ないのかもしれない。亜細亜は割合と長い階段を含む建築物が多いのだけれど、これも文化の差なのだろうか。
「特に病を治したい人や、想いを成就させたい人などが『お百度』することが多いようです」
それだけ気持ちが強いということなのでしょう。そんな言葉を続けていると、いつの間にかイギリスが自分を見下ろしていた。真摯な眼差しはいささかの緊張を含んでおり、日本は首を傾げる。もしかして、この上の神社に行ってみたいのだろうか。誘いの文句をかけるよりも先に、問いを投げられる。
「・・・・・・おまえも、『お百度』をしたことがあるのか?」
経験の有無を尋ねるだけの言葉なのに、どうしてそんなにも張り詰めた音をさせるのだろう。不思議に思いながらも、日本は是の答えを返した。
「叶えたい望みがありましたので」
本心を語っただけなのに、何故かイギリスの身体が小さく震えたような気がした。誰を想って、という言葉は聞こえない。





上の神をずる






(塵となって吹かれろしあとか、泡となって弾けろしあとか、露となって消えろしあとか)
(そんなことを百度余り願った過去もございます)




2007年8月1日