それは何て美しい、愛の言葉。





言霊の幸ふ国





日本は、日本語が好きだった。美しい調べと独特な技法、何より主張をそのままに述べないという婉曲的な表現が好きだった。時にそれは誤解を招くことがあるし、短気な相手を怒らせてしまうこともある。実際、兄に等しい中国からは、すべて話し終わった後に「それでどっちあるか? 好? 不好?」と聞かれることが多々あった。曖昧な表現で分かりにくいある、とは彼の言である。それでも自分の話を遮ることなく、最後まで聞いてくれる彼が日本は好きだった。

・・・・・・閑話休題。

日本は、日本語が好きだ。好きだからこそ母国語に用いている。婉曲的な表現は、おそらく会話に頼るところが大きいのだろう。話し手の言い方ひとつで、聞き手の受け取り方ひとつで、それこそ無限の響きを持たせる言葉。それが日本語だと日本は思っていた。同じ言葉を自分と例えばイタリアが話しても、きっと違う言葉に聞こえるのだろう。使い手と聞き手を言葉が選び、そして相性があるのが日本語だと思っていた。
文法は元より、話の運び方さえ他と異なる。日本語は結論を最後に述べる。挨拶から始まり、互いを気遣い、用件を告げ、そして最後に結論を述べる。しかし他の言葉は多くが異なる。代表的なのはアメリカの用いる英語で、彼はまず最初に結論を述べる。それこそ時には挨拶よりも先に結論を述べるのだ。日本は、その話運びがどうも好きになれなかった。特にアメリカは自分の喋りたいことを好きなように喋るので、会話どころか言葉を交わすことさえままならないときがある。日本の話を最初の一分で遮り、「それで答えは?」と聞くのが彼だった。アメリカとの会話では、どんなに喋っても言いたいことを伝えることが出来ない。日本はただ疲弊感を覚えるばかりだった。

・・・・・・それはさておき。

とにかく、日本は日本語が好きだった。当時まだ知られていなかった外来の愛の言葉を、「月が綺麗ですね」と訳した夏目漱石や、「あなたのためなら死んでもいい」と訳した二葉亭四迷。彼らの感性がとても好きだった。言葉を多くすればいいものではない。かといって、少ないのもまた情緒がない。必要なものだけを選び、飾り、そして言霊をそっと吹き込む。それが日本語だと思っていた。



・・・・・・「閑話休題」を「それはさておき」と読む感性も、日本は大好きだった。



さて、ここで問題なのは、今日本の目の前に立っている人物である。
アメリカよりは歴史を重ねているが、それでも日本からしてみれば年若き国。紅茶を愛し、妖精や魔法を信じ、素晴らしい庭園を造るイギリス。長き孤立によって培われた性格は素直とは言えないけれども、それが口だけだということを日本は知っている。心無い言葉を告げたとき、彼はいつだって直後に少しだけ眉を顰めるのだ。その表情がまた悪いことをしてしまった子供の見せるものに似ていて、可愛らしいと日本は常々思っていた。そのイギリスが目の前に立っている。
見上げなくてはならない身長は、日本が決して持ってはいないものだ。鋭角的な頬も、太陽のような髪の毛も、海と空のような瞳も、初雪のような肌も。すべてが日本とは異なっていて、そして美しいものだと思わずにはいられない。このどれかひとつでも欠けていたなら、きっと彼は彼にならなかっただろう。そんなことすら思ってしまう自然さが、目の前のイギリスにはある。長い指は常に手袋に包まれ、紳士らしく誘ってくれる。庭に咲いている薔薇を手折り、差し出してくれたこともある。その直後、彼は自身の行いに気づいてまた何かを言っていたけれども、そのすぐ後に眉を顰めていたから、日本はそれを聴かなかったことにした。
美しい花を咲かせる手。そんな手が料理のことになると、壊滅的な腕に変わることも日本は知っている。初めて家に招いてくれた日、振舞われたシチューは美味しかった。しかし、それ以外は駄目だった。婉曲的な表現を好む日本だからこそ、微かに微笑んで「独特のお味ですね」と言えたが、食に拘ると評判のフランスならば何と叫んでいただろう。もしかしたら机を返していたかもしれない。そんなことを考えながらやり過ごした食事だった。フランスほどかどうかは知らないが、「目で食べる」とまで言われる日本食を常とする日本にとって、イギリスの料理は信じがたいものだった。
―――とにかくそのイギリスが、目の前に立っている。
放たれた誘いの文句。言葉を返すのは簡単だ。けれど、少しでも素敵な言葉を返したいと思ってしまった。婉曲的な表現と、柔らかな音の調べを美とする日本語。日本の誇る、大好きなそれをもってして、出来る限り素晴らしい言葉で返事をしたいと思ってしまった。そうして顔を上げて、青い瞳と出会ってしまったが最後、喉が張り付いたように声が出ない。
この際、「月が綺麗ですね」でもいい。「あなたのためなら死んでもいい」でも構わない。何か言わないといけないというのに。
少し太めの金色の眉が、悲しげに下げられたのを見たとき、日本の口を突いて出たのは恥ずかしいくらいに率直な言葉だった。

「ありがとうございます、イギリスさん。・・・・・・喜んで」

端正な美貌が、それこそ薔薇のように華やかに綻ぶ。喜びを表現しかけ、己の行動に気づき悪態をつき、眉を顰める。それら一連の所作が行われるのを、日本はとても複雑な気持ちで見やっていた。自国の誇る、大好きな日本語も使えなくなってしまうだなんて。
これでは恋すら囁けやしないではないか。





イギリスは頑張って日本をお茶に誘ったんですよ。
2007年7月31日(mixiより再録2007年8月19日)