たとえば腹一杯になるまで好物を食べるとか。
お日様をたくさん浴びたふかふかの布団で眠るとか。
店先に並んでいる美味しそうなリンゴを衝動買いするとか。
背が伸びて着れなくなったシャツを思い出として取っておくとか。。
夢中で本を読みながら一日を過ごすとか、お菓子を食べながらテレビを見て笑うとか。
そういったことがしたくて、自分はデスサイズに乗った。

平凡な日常が欲しかったから、戦うことを選んだ。





God bless you.





「クイン・マクスウェル」
かけられた言葉に茶色の髪をした少年が振り向いた。
地球の空を映したかのような青い瞳が大きく瞬いて、年齢よりも彼を少しだけ幼く見せる。
制服である白いワイシャツに黒いベストとズボン。赤く細いタイは首元できちんと結ばれている。
己を抱いているまっすぐな瞳を見据え、牧師は穏やかに言葉を続けた。
「先日のヨハネ文学における論文は素晴らしいものでした。ヨハネ自身の経歴と問題に触れた上でしっかりと歴史的背景を捉え、彼独自の貢献を多角的な面から考察する。あなたの考えも含めて実に読み応えがありましたよ」
「ありがとうございます」
笑みを浮かべて少年が頭を下げると、首から下げられている十字架のチェーンが小さな音を立てる。
牧師はまだ少年期の薄い肩に手を乗せ、慈しみ深く笑った。
「クイン、あなたはとても優秀な生徒です。必ずや立派な伝道師になることでしょう」
片手できる十字架に目を閉じ、ゆっくりと告げる。
「あなたに神のご加護がありますように」
牧師の言葉を厳粛に受け止めて、少年は頭を下げた。
トレードマークだった長い三つ編みも今はなく、短い髪は耳を掠める程度になっている。



アフターコロニー196。
地球連合とコロニーの間で行われていた戦争が終わって一年。
先だってはマリーメイアの叛乱が起こったが、それもガンダムパイロットたちの活躍によって成功するまでには至らなかった。
成り行きで再会してしまった五人のガンダムパイロットたちも、今は再び別れてそれぞれの道を歩んでいる。
カトルは出身であるL4コロニーに戻り、ウィナー家を継いで平和維持に従事している。
トロワは彼を家族として受け入れてくれているサーカスに戻り、今は花形を務めていて。
五飛は先の乱の終結後に誘われたプリベンターに所属し、ヒイロは地球で学生をやりながらもリリーナを影ながら支えているらしい。
そして、デュオは。

黒いベストとズボン。白いワイシャツと赤いリボンタイ。
授業には休むことなく出席し、提出する課題は常に最高の成績を維持している。
寮生活においても問題はなく、協調性があり友人も多い、優秀で模範的な生徒。
三つ編みをやめ、名を変えて。

デュオは牧師の資格を取るために、地球の神学校に身を寄せていた。



朝は四時に目覚め、礼拝堂で祈りを捧ぐ事から一日が始まる。
清掃してから身を清め、教師と生徒の全員が揃って感謝を捧げてから朝食をとる。
午前中は授業。昼はやはり皆で食事をし、午後はそれぞれの割り振られている地元の教会へ行き、実際の奉仕による学習。
夜も皆で食事をした後は、それぞれ勉強をしたり本を読んだりと時間を過ごす。
就寝は十時。一日を無事に過ごせたことに感謝し、明日を祈って床に就く。
毎日同じことが繰り返される規則的な生活に、デュオが厭きることは意外にもなかった。
今までの生活が生活だったから、きっと穏やかで平穏な日常なんて過ごせるわけがないと思っていたのに、実はそうでもなかったらしい。
一度教会で育ったことのある身だから宗教に関心はあったし、機会さえあれば学んでみたいとも思っていた。
ガンダムのパイロットとしては唯一顔の割れている身なので、しばらくは大人しくしていようと隠れ場所に選んだのが神学校だったのだが。
(これがやけにハマっちゃったんだよなぁ・・・・・・)
心中で一人ごちて、デュオは腕の中の聖書を抱えなおす。
幼い頃は分厚いとしか思っていなかったこの本も読んでみると意外と面白く、今はほとんど空で言えるくらいになっている。
工作員として優秀だった頭脳は、他のことに対してもどうやら同じだったらしい。
(ヒイロのこと笑えねぇよ。この俺も今更『ガクセイ』なんて)
戦争中はガンダムパイロットであることを隠すために学校に通ったりもしたけれど、まさか本当に学ぶためだけに学生になるなんて思ってはいなかった。
それも五人の中では一番予想もつかなかったであろう、自分とヒイロが。
「クイン」
一つ目はデスサイズと共に葬り、二つ目の自分でつけた名を呼ばれてデュオは振り返る。
駆け寄ってくる同年代の少年たちは禍々しい戦場なんて知らない。けれど今は同じ神を学ぶ身。
「明日、ヘブライ語とアラビア語のテストだろう? 判らないところがあるんだけど教えてもらえるかな」
「あぁ、いいぜ。夕食後でいいだろ?」
「だったらクイン、俺の現代牧師論のレポートも読んでみてくれないか? マクセル牧師からやり直しが出されてるんだ」
「オッケー。そっちも夕食後な」
交わされる内容は、学生としては切羽詰っている。
けれどデュオにとっては危機を感じるものなど何一つもない。
明日に迫るテストも難しいとされる論文も、一秒後を生き抜くことさえ不可能かもしれない戦場に比べれば幸せすぎて反吐が出る。
むしろ今まで生きてきた中で一番甘くて無意味な時間かもしれない。
デュオはそう考えるが、けれど学校を辞めようとは思わなかった。
ガクセイ生活は楽しいし、それに。
(俺に出来ることなんて、もうほとんど残ってないしな)
デスサイズも葬り、コロニーを背負うこともなく、戦う場所さえも失った。
平和の中にいる自分に出来ることは、もうない。



夜、十時の就寝時間を一時間も過ぎれば、すでに寮内は皆が寝静まって音さえも立たなくなる。
暗い室内に浮かび上がるディスプレイの光に、ぼんやりと照らし出される横顔。
キーボードを打つスピードは一般人のそれよりも二倍以上速い。
最後のエンターキーを小指で軽く押すと、セキュリティが解けて情報が洪水のように溢れてきた。
デュオは満足そうに笑ってメモリーディスクを入れ、それらを写していく。
「後はこれをレディ・アンに送って、と」
ファイルにロックを何重にもしてかけ、軽くするために圧縮もかける。
万が一違うコードを持つ相手によって開かれた場合には、すぐさまウィルスが流れてファイルを破壊するように設定して。
こういった手先を駆使する技術が、デュオは昔から好きだった。
リーオーの操縦から、スイーパーグループで学んだジャンク技術から、ガンダムのプログラミングに操縦や設計に至るまで。
手先の小技なら他のガンダムパイロットたちにも負けないと自負している。
何せ、あのヒイロ・ユイのお墨付きなのだから。
「お」
のんびりと冷めたお茶をすすっていると、メールボックスが新着メールを受信した。
カップを置いて向き直れば、やはり先ほど送った相手からの返信。
ご苦労だった、の一言にデュオは仕事が終わったことを知り、即座にこちらも返信をクリックする。
両手で打つキーボードは深夜の部屋に少し響いた。
「は・や・く・ね・な・い・と・お・は・だ・に・ひ・び・く・ぜ」
もう若くないんだし、という一言はさすがに入れなかったが、十分に遅いだろう。
また御用の際はお気軽にどうぞ、と最後に付け足して送信ボタンをクリックする。
綺麗な顔に青筋を浮かべるだろう相手を想像して、笑いながら電源を切った。
冷め切った茶を飲み干して大きく伸びをする。
首筋に当たる襟足がくすぐったくて、デュオは少し笑った。
もう一度伸ばし始めている髪を撫でて、清潔なベッドにもぐる。
明日の心配なんてすることもなく、窓から見える月を見上げて。
「・・・・・・平和だとすることがないって・・・どうよ、俺」
呟いた声は、自ずと自嘲に満ちていた。

月も星もコロニーも地球も。
あの頃はすべてが美しかった。

この髪が再び伸びて、またあの長さの三つ編みが出来るようになるまで。
それまではどうにか頑張ってみよう。神に奉仕し、人に従事し、己の価値を見出すまで。
デュオはそう誓い、目を閉じる。



たとえば腹一杯になるまで好物を食べるとか。
お日様をたくさん浴びたふかふかの布団で眠るとか。
店先に並んでいる美味しそうなリンゴを衝動買いするとか。
背が伸びて着れなくなったシャツを思い出として取っておくとか。。
夢中で本を読みながら一日を過ごすとか、お菓子を食べながらテレビを見て笑うとか。
そういったことがしたくて、自分はデスサイズに乗った。

平凡な日常が欲しかったから、戦うことを選んだのに。

手にした平穏の中で、日増しに形を失っていく己をデュオは感じている。
戦場でしか生きられない、忌まわしい自身の末路を。





2004年8月24日