目の前にちらつかされる。それは理想、それは願望、幼き日に自ら捨てた未来。伸ばされる手を拒むことは己に酷い痛苦を齎す。眩しい光、美しき平和、自らの手で成すべき義務。
心が揺れ動くのは悲しいからじゃない。喜ぶべき事柄だからだ。





「おかえり」といつか迎えて





砂ばかりが舞い上がる大地に、ひとり腰を下ろす。周囲を何に遮られることなく遠くまで見通せる場所は、あたかも世界の果てのようだ。何もない。ただ風だけが吹き、刹那の黒髪に小さな砂粒を混ざらせていく。目に入ろうとしたそれを瞬きをすることで遮った。懐かしい光景だ。何もない。ただ刹那の乗ってきたジープだけが、少し離れた場所に停止している。
マリナを送り届けるために訪れたアザディスタンで、刹那たちはカタロンという組織と対面することになった。ガンダムマイスターとして勧誘したライル・ディランディの筋からいずれ接触するだろうとは考えていたが、割合と早かったなと言ったのはティエリアで、アレルヤはあまり事態を把握していないのか眉を顰めていた。今はスメラギが対談でもしているのだろう。マリナとクラウスというカタロンのリーダーを含め、今後の世界政府に対する各々の姿勢を確認しあっているはずだ。手を組むことになろうとならなかろうと、刹那にはさして興味が無い。自分は兵士であり、ブレーンではない。それだけが分かっていれば十分だ。
「・・・・・・もう、墓も消えたか」
見回すのは、かつてクルジスと呼ばれた国、刹那の故郷だ。土で作られた粗末な家が並び、水や緑などは限られた資源だった。それすらアザディスタンとの戦争で燃え尽くされ、今は欠片さえ残っていない。何もない土地だけれども、刹那には分かる。この足元の下、僅かな土の下に眠っている数多の骸。染み込んだ多量の血が穀物を実らせる可能性すら奪ったのだろう。見せ付けられる業の深さに、心が沈んでいくのが分かる。
「アリー・アル・サーシェス」
知らず唇から漏れた名前に、刹那は緩く首を横に振る。確かにそれは刹那を戦争に導いた男の名だが、そこへ到る一歩を踏み出したのは刹那自身の意思だ。洗脳されていたとはいえ、自らの両親を殺した責任までアリーに押し付ける気はない。あのとき自分は、それさえ行えば聖戦の戦士たる資格を得られると思っていた。信じていた。だからそのために両親に銃を向けたのであれば、それすなわち己のためとしか言えない。刹那は自分自身のために、愛し育ててくれた両親を屠ったのだ。その罪はどこまで行っても消えやしない。
「分かっている。それでも俺は」
マシンガンも操縦桿も握っていない両手を見下ろす。刹那の脳裏に広がるのは、先ほど行われたアロウズとの戦闘だ。水中で攻撃してきたモビルアーマーに切りかかる際、一瞬躊躇した。相手への宣告であり、己の義務を認識するために用いていた「目標を駆逐する」という台詞を、常のように口にすることが出来なかったのだ。マリナの姿が浮かんでしまった。共に祖国に帰り、一緒に平和への道を築こうと叫んだ、彼女の姿が。
「・・・っ・・・」
手を握り、瞼を下ろす。眉間に強く拳を押し付ける。息を吸い、吐き出す、それを三度繰り返し、ゆっくりと五を数えながら目を開く。世界を見据えるための儀式だというアリーの教えだが、戯言めいたそれすら刹那の所作を未だ蝕む。分かっている。マリナのあの言葉は、同情と孤独から来るものだ。もちろん彼女自身の優しさを否定するわけではないが、それでも素直に受け取るには現状が邪魔をしすぎている。マリナは心の底から平和を願うが故に、戦う人間に涙するのだ。相手が誰であろうと心を痛めることに変わりはない。刹那がクルジスの少年兵だったからこそ、マリナは余計に心を砕いているだけだ。そして彼女は側近であったシーリンと袂を分かち、理解者を失い、沈んでいく国を何もすることが出来ずに眺めてきた。その己への無力さが、協力者を求める言葉に繋がったのだろう。一緒にアザディスタンを救ってほしい、その願いがマリナに先ほどの言葉を吐かせた。
「・・・・・・だが、俺に何が出来る」
現実問題、マリナと共にアザディスタンに降り立ったところで、ガンダムのない刹那に出来ることなど限られている。知識はソレスタルビーイングで十分すぎるほどに学んでいるが、それでも何の経歴もない人間をいきなり政治の中枢に入れることは出来ない。それは周囲の反感を買い、マリナへの疑惑に繋がる。しかも刹那はクルジスの出身だ。滅ぼした国への偏見は未だ根強く残り、猜疑ばかりを向けられるだろう。刹那に出来るのは、せいぜい暴動を起こす国民を鎮圧させることくらいだ。けれどそれも、きっとマリナは良い顔をしないに違いない。彼女はあくまで武力を用いない平和への道を求めている。刹那にもそれを願うだろう。アザディスタンと、そして刹那のためと言って。
「それでは、沙慈・クロスロードと同じだ」
己の周囲の平和のみ求める。マリナはそれでいい。彼女はアザディスタンの王女なのだから、己の望みとする手腕で自国の民を守り、平和を維持するのは義務だ。世界は二の次で良い。だが、刹那はそうはいかない。自分はすでに世界に対し戦いを始めてしまった。クルジスだけでなく、世界を視野に入れてしまった。
「マリナ・イスマイール。俺がソラン・イブラヒムだったのなら、おまえの手を取っただろう。だが、俺はもう刹那・F・セイエイだ。クルジスのためだけに戦えない」
深く息を吐き出し、目を閉じる。今度は開かず、ただ小さく呟いた。歓喜に声がかすかに震えた。
「それでも・・・・・・嬉しかった」
共に歩もうと言ってくれた彼女の存在は、いつしかアザディスタンに、クルジスに光を差し込むだろう。血に濡れた刹那さえ、マリナの手を取りたくなってしまったのだから。いつかその優しさが、祖国に平和を齎すだろう。ソランが求め、諦めた平和を。
「アザディスタンを守るおまえを、俺が守る。おまえはアザディスタンを平和にし、俺は世界から戦争を無くす。やり方は違っていても、それは共に戦うことにはならないだろうか」
手のひらを地面に下ろし、前を見据える。この何もない大地を、血の滴る土地を、きっと彼女は緑に変えてくれる。そのためにも自分はガンダムに乗り続けよう。刹那には、このやり方しか出来ないのだから。このやり方を選んだのだから。

「マリナ・イスマイール。―――ソラン・イブラヒムの戦いを、おまえに託す。アザディスタンを、クルジスを・・・・・・頼む」

見上げた空は青かった。戦場に立っていた幼き日と同じように、広く美しき青だった。遠くから車の排気音が聞こえてくる。振り向けばジープの上にティエリアとアレルヤ、ロックオンの姿が見えて、刹那は知らぬうちに微笑んだ。立ち上がって砂を払い、手を振る。刹那・F・セイエイの共闘者へと向かって。





第4話は間違いなく「Mr.ブシドー」の呼び名披露のための回でした。
2008年10月26日