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雁夜が中学二年生の冬だった。同居してから約二年。その日、初めて雁夜は切嗣を外へと連れ出した。今までにも何度か遊びに行こうと誘ってはいたのだけれど、適当な理由をつけてのらりくらりと交わされていた。だからついに雁夜は実力行使に出た。切嗣の手首を掴んで、行くぞ、と無理矢理連れ出した。冬木の空は低く、今にも雪が降り出しそうな鈍色をしていた。映画を観て、ゲームセンターに行った。初めてやるらしいのに切嗣はやけに格闘ゲームが上手くて、雁夜は負けっぱなしだった。ファストフードで腹を満たし、雁夜の通う学校を見せた。楽しかった。吐く息は白かったけれども、笑い声の前では気にならない。並んで歩き、馬鹿みたいに楽しんだ。
だから雁夜は、目の前の光景が信じられなかった。いつの日か見せてもらった、美しい空間が今の自分たちを包み込んでいる。青く煌めく、切嗣の幼少期を詰め込んだ海だ。その中に雁夜と切嗣がいる。そうしてもうひとり、見たことのない男が。
「何だ、これは・・・っ! まさか固有結界!?」
一面の青に男が動揺する。けれどもすぐさまその顔は切嗣へと向けられた。僅かな脅えよりも、何だろうか、その表面に浮かんでいるのは使命感か、それとも。雁夜には分からない。先程の初めて見る攻撃的な魔術に、すでに腰が抜けかけていた。
「流石は封印指定の衛宮か・・・。その身、魔術協会の勅命を持って保護する」
「断る。僕は協会なんかに従わない」
「ならば力ずくで連れていくだけだ!」
男から繰り出された炎を、切嗣は手のひらを翳すだけで掻き消した。男が舌打ちする音が、やけに鮮明に雁夜の耳に届く。その後の切嗣の言葉も。
「・・・雁夜、目を瞑っていてくれないか」
君には見せたくない。小さな声は平坦なものだったけれども、雁夜には分かった。切嗣の押し殺された感情が。それなのに身体は瞼ひとつすら自由に動いてくれず、震えるだけの雁夜に、切嗣は静かに眼差しを伏せた。そうして紡ぐ。
「Time alter――end accel」
途端、青一辺倒だった美しい世界に異変が生じた。足元が赤く染まったかと思うと、徐々にその色合いを濃くしていく。淡い桃色が夕陽のような橙を帯び、そうして燃えるような鮮紅へと変わっていく。海ではなく、それは炎のようだった。否、炎だった。男の悲鳴が聞こえて、雁夜は弾かれたようにそちらを向く。
そこにあったのは、明らかな異端だった。
三十代と思われた男の顔貌が歪み、凄まじい速さで乾燥し、その表面に皺が浮き始める。色濃い金髪があっという間に白髪へ代わり、逞しかった痩躯が身悶えして縮んでいく。それはまさしく加速だった。変化の、成長の、老いの加速。まるで時計の針を強制的に進められていくかのように、男は死へと向かっていく。絶叫すら弱まり、掠れ、一分もかからずに老人のそれへと変わった。
男がいつ事切れたのか、雁夜には分からなかった。けれどもいつの間にかその身体は力を失い地面へと崩れ、それでも時は止まらずに進み続ける。肉が爛れ、臭いを発するまもなく皮膚が崩れ、現れた白骨が砂のように零れていく。そうして雁夜の目の前で男は消えた。それは正しく、消失だった。切嗣が、男を無へと帰した。――殺したのだ。
「・・・衛宮は時間操作を研究する一族だ」
炎の空間が消えて、日常が戻ってくる。いつの間に日が沈んだのか、公園は暗く、遠くで輝く街頭が切嗣の横顔に陰影を作り出していた。表情は見えない。
「この魔術は稀少で、それを実際に使うことの出来る魔術師は更に少ない。だから魔術協会から封印指定を受けている。教会は保護だと言ってるけれど、捕まれば最後、待っているのは『研究する側』から『研究される側』になる身の上だ。だから父さんは僕を連れて逃げた。だけど執行者に見つかり、僕を庇って殺された」
深々と降る声は冷ややかだった。けれどそれは冷淡ではない。黒髪が切嗣の目元を隠す。
「父さんは僕を守ってくれた。例えそれが魔術刻印を守る後継者だからだとしても、父さんは僕を助けてくれた。だから僕は父さんの跡を継いで、研究を成し遂げる。そのために生きている。僕を捕まえようとする者から逃げて、逃げて・・・時に、こうやって殺して」
大地にはすでに男の骨の一片すら残っておらず、その存在はまるで夢だったとすら雁夜には思える。けれどすべて現実なのだ。切嗣はこうして生きてきた。殺して殺して生きてきた男なのだ。足元の砂を踏み躙り、彼は雁夜を振り返る。
「だから言っただろう? 僕の固有結界は美しくなんかないって」
自分を見下ろしてくる瞳が夜よりも暗くて、雁夜の肩が跳ねた。切嗣はそれを黙って見つめ、踵を返す。
「嫌なものを見せてごめん。・・・先に帰るよ」
公園の出入り口へ向かっていく背中を、雁夜は追うことが出来なかった。初めてまざまざと見せつけられる魔術に圧倒され、グロテスクではなかったにせよ人が殺される様を目撃し、身体も頭も完全に許容量を超えていた。しかもそれを行ったのが、友人だと思っていた切嗣だった。そのことが何より、雁夜に衝撃を与えた。
切嗣の後ろ姿が見えなくなっても、雁夜はその場を動くことが出来なかった。空からは、小さな粉雪が舞い始めていた。
背中の魔術回路が、どうしてだろう、しくしくと痛んだ。
2014年2月28日(pixiv掲載2014年2月24日)