正直、少しばかり意外であり、そして納得できる事柄でもある。妹之山残という人は完全なるフェミニストであり、女性に対して老若関係なく徹底した礼を尽くす。容姿は見惚れてしまうほどに華やかかつ端麗で、頭脳はNASAからスカウトが来るほどの逸材。運動神経に関して言えば問題ありだが、女性の前では常に繋がっているため傍から見れば分からないだろう。世界きっての富豪である妹之山財閥の末息子である彼は、生徒会の仕事をさぼりがちだけれども性格だって決して悪くない。派手好きだけれど、気の使える人柄だ。そんな彼が女性に人気のないわけがなく、それでも特定の存在を匂わせることなく高等部まで進んできたのが蘇芳にはいささか疑問だった。
「三歳の頃だったかな? 僕が生まれて初めて、そして最後の恋をしたのは」
高等部でもまた生徒会長に就任した残は、蘇芳の考えが手に取るように分かるのだろう。はたはたと華奢なつくりの扇子を振って、空いている手で目の前の書類を横に押しやる。む、と蘇芳は眉を顰めたけれども、言葉を挟むことはしなかった。
「相手は年上の女性だった。とても美しかったし、今でも美しいと思うけれども、きっとあれは恋愛というフィルターがかかっていたんだろうな。蘇芳、君にとって凪砂嬢が世界で一番愛らしく見えるように、僕の目にも彼女がそう映った」
「別に、俺は」
「照れるな照れるな」
にやにやと悪戯に眼差しを細められ、反射的にきつく睨み返す。おお怖い、と肩を竦める残は、ひとつ年上ということもあってか蘇芳に対して余裕を持った態度を崩さない。これは彼自身の器の大きさから来るものでもあるのだろう。蘇芳が彼に対して強気に出られることなど、それこそ溜まりまくった生徒会書類の決裁を凄むときくらいのもだ。
「だけど僕は、自分の恋が叶わないことを理解していた。いや、叶えさせたくなかったのかもしれない。美しい彼女は僕の中にある幻想であり、現実を知ることでそれが壊れることを幼心にも忌避していたのかもしれないし、ただ単に臆病だったのかもしれない」
「・・・会長」
「結局、僕は彼女に想いを告げることもなく、己の恋にピリオドを打った。それでも得られるものはとても大きく、何より他者のために何かしたいと思う愛情を知ることが出来た。だから僕は世界中の女性に対して礼儀を尽くしたいのさ。彼女たちは女性であるというだけで、僕にとっては尊敬に値する存在なのだから」
ふふ、と微笑を浮かべる横顔は、成長してきたことでゆっくりと柔らかさを削ぎ落としつつある。男としての色艶を含み始めた様に、惹かれる女性はそれこそ星の数さえいるだろう。それでも恋はしないのだと、言外に語られた気がして蘇芳は言葉を飲み込んでしまった。蘇芳は残を尊敬している。それこそ、人として愛していると言ってもいい。だからこそ彼が幸せになってくれたらと願うのだけれど、何故かそれが途方もない祈りに感じてしまった。
ピピピ、と電子音がして残が制服のジャケットを漁る。取り出した携帯電話が知らせたのはメールの着信だったのか、いくつかボタンを操作してから彼は立ち上がった。
「蘇芳、今日の分の業務は明日以降に順延だ。玲にもそう伝えておいてくれ」
「どちらへ?」
「理事長からのお呼び出しだ。今回は一体どんな御用件だろうな?」
少しだけ皺の寄った制服を叩き、鏡の前で前髪を指で弄る。長い足で颯爽と生徒会室を横断する姿は十分な貫禄に満ちていて、だからこそ蘇芳は唇を噛み締めてしまった。そんな彼の前まで来て、残は仕方なさそうに笑いかけてくる。
「そう難しく考えなくとも、僕は十分に幸せだ。おまえがいて、玲がいて、家族やたくさんの人に大切にされている。これを幸せと呼ばずに何と言う?」
「・・・・・・すみません、でした」
「何故謝るんだ? 可愛いなぁ、蘇芳は」
ちょんと蘇芳の額を突き、残は「また明日」と告げて生徒会室を後にした。扉が閉まると共に訪れた静寂の中で、蘇芳は己の額を押さえて僅かに俯く。優しい人であり、偉大な人であり、そしておそらく心に何かを持つ人だろうとは思っていたが、やはり間違ってはいなかった。妹之山残という人は、恋を失った人なのだ。
彼の傍にいたい。強く、蘇芳はそう思った。





恋を終えた人





(残様の初恋は、理事長であると信じています。)
2008年8月9日