6.神様がいるのならこんなに泣かなくて済んだだろうに





シェリルに傷があるように、政宗にだって傷がある。身体だけではない。それは心に大きく痕を残し、一生引き摺って生きていかねばならないものだ。シェリルの指先が、政宗の眼窩に触れる。相変わらず細くて白い、芸術品のような指だけれども、シェリルはそれを汚すことを厭わなかった。初めて畑を見るわ、と草履で土を踏み、小十郎の野菜の手伝いを申し出た。不慣れで何度となく怒鳴られても、唇を尖らし不貞腐れはするが手は止めず、繰り替えした後にはちゃんと立派に出来るようになる。戦場でもそうだった。シェリルはひたすらに歌い続けた。普通の女なら殺し合う人間たちに恐れ戦くだろうに、シェリルは自身がそうすることが味方を殺すことと同義なのだと理解しているのだ。だからこそ彼女は目を逸らさずに、ただひたすらに歌い続ける。時代を移ろい、きっと言葉には出来ないほどの不便を感じているだろうに、シェリルはそれを己の手で打破しようとする。美しかった。彼女の美は外見ではない、心根なのだと政宗は感じている。
「・・・病気って、本当に理不尽よ。あたしたちには、どうしようもないのに」
辿られる右目に、もはや政宗の眼球はない。幼い頃に患った疱瘡のせいで失った目は、そのまま母である義姫からの愛情である。右目の眼球と共に、政宗は母親を失った。醜いと罵られ、自分の子ではないとまで言われ、殺されかけた。まだ片手にも満たない幼い歳の話だ。今もその確執は政宗の内にあり、深すぎる傷となって蠢いている。愛されたかった。だから努力を怠らず邁進し、独眼竜と呼ばれるまでに成長した。世界にたったひとりしかいない母に、愛されたかった。
眉を吊り上げるように顰めて瞼の縁をなぞってくるシェリルも、またV型感染症によってトップシンガーの座を失った。顔も覚えていないくらい幼い頃に両親を喪ったシェリルにとって、歌は唯一自身を愛してもらえる手段だった。怠らず努力をし、銀河一と謳われる声と美を得た。それでも発病し、闘病を余儀なくされ、世間は見る間にシェリルから関心を失った。ただ同然で売られる己の曲に絶望した。一瞬とはいえ、歌を捨てた。無条件で愛してくれる両親はもういなかったから、ひとりでも多くの人に愛されたかった。
「病気にならなければ、と思ったことはない?」
「あるに決まってるだろ? 病にさえかからなければ、俺は・・・俺は今も、母上から愛されていた」
「あたしもよ。V型感染症さえ発病しなければ、あたしはトップシンガーのままだった。アルトとだって対等に恋が出来たわ」
「なら聞くぜ。病にかかって良かったと思ったこともあるだろう?」
「馬鹿、あるに決まってるじゃない。一時だってアルトの愛を得ることが出来た。独占することが出来たわ。マサムネは?」
「あるさ。小十郎という最高の家臣を得た。部屋に閉じ籠って、死ぬことばかり考えた。あの日々があったから今の俺がある」
「そうよ。絶望を知ったからこそ、今のあたしたちがある。でもやっぱり、病気にならなければって考えもするわ」
「俺たちは一生そうやって生きてくのさ」
「想像に負けそうになったらどうすればいい?」
「俺を見ろよ。弱さと戦っているのはシェリル、おまえだけじゃねぇ」
「だったらマサムネが泣きたいときは、あたしが抱き締めてあげる。強がりたいのはマサムネだけじゃないわ」
「悪くねぇな」
「最強じゃない、あたしたち」
小さな笑みを漏らして、シェリルの顔が政宗のそれへと寄せられる。瑞々しい、紅をつけなくても赤い唇が触れたのは、やはり右の瞼だった。引き攣って醜く、顔を背ける者さえ過去にはいたというのに、シェリルは恐れず政宗の傷へと触れた。だからこそ政宗は、着物の帯越しにシェリルの腹部へと口付けを贈った。細菌が未だ存在しているという、彼女の腹に。掌に頬を摺り寄せる。体温を分け合うことに不快はない。向かい合う瞳に自身の姿が映っている。そうして確認していくのだ。きっとシェリルも、政宗も。
「これって、傷の舐め合いなのかしら?」
「Ha! 上等じゃねぇか」
「そうね。だってこんなに清々しいもの」
純粋に笑い合う様が、どうして弱さの晒し合いになるだろう。強さも涙も傷も過去も携えて、そうして突き進んでいくのだ。誰でもない自分のために。互いを思うことは自己愛に似ていたが、それ以上に慈愛に満ちていた。あたしも頑張るから、あなたも負けないで。俺も歩き続けるから、おまえも立ち止まるな。努力し続ける姿に愛しさが募るのは当然のことだった。それでもシェリルは言葉にしなかったし、政宗も告げない。想い合うにはまだ幾許か早すぎる。





絶望を知ったからこそ、今の自分を誇れる。でも泣きたくなるときは、今もあるんだ。
2011年2月12日