4.突き放されないことが苦しいだなんて知らなかった
こと戦乱の世において、飲酒は嗜みのひとつだ。法令で定められた年齢などないし、酔ったまま馬に乗って駆け抜けようと咎められることはない。政宗は幼い頃より折に触れて酒を嗜んでいたし、武家に生まれた者にとってそれは少なからず当然のことだった。溺れる様な無様な真似は決してしないが、今も月を肴に杯を傾ける夜は多い。
気が向いて、政宗は今夜の晩酌にシェリルを誘った。夜分に妙齢の男女がふたりで酒を飲むなど、と小十郎あたりは眉間に深い皺を刻みそうだが、政宗に色艶めいた意図はない。良く言えば奥ゆかしい、悪く言えば型に嵌った女ばかりのこの時代において、シェリルの言動は実に鮮やかに政宗の視界を飾る。臆せず言い切る、その姿勢が気持ちいい。驕らず努力を続け、その結果を誇る心根が勇ましい。シェリルと共にする時間は、政宗にとって肩肘を張らずにいられる稀少な刹那だ。価値観が近しいと言えばいいのだろう。魂が寄り添う様な、そんな在り方を感じている。だから政宗は、暇が出来ればシェリルを探した。隣にいることが当たり前のように、その身に、心に馴染むのだ。そうしてそれはシェリルとて同じなのだと政宗には分かっていた。
「アルトはねぇ、すっごく美人なのよぅ・・・! すっごくすっごくすっごおおおおおく、美人なの。女の子と間違えちゃいそうなくらい、美人なの。姫とか、呼ばれちゃったりもするのよぉ」
しかし、今のこの状況は政宗の思惑から些か外れていた。彼としては月を見ながら、シェリルと他愛ない会話でもして、心地良く眠気が襲ってくればお開きにしよう、その程度の考えだった。そうして酒を飲み始めて、まだ半刻も経っていない。それなのにシェリルのこの有り様はどうだ。ころんと板張りの縁側に身を転がして、敷いていた座布団を抱き締めている。透き通る頬を染めているのは間違いなく酒精だろう。心なしか瞳もとろりとしており、常の気丈な彼女の印象をどこか遠くへ押しやっていた。夜着一枚では涼しいため着物を上に羽織っていたから良いものの、裾が乱れることで露わになっている脹脛から膝小僧へのラインは、月光を浴びて妙に艶めかしい。座布団に額を押し当ててぐだぐだと一方的に喋り続ける様は、どう考えても酔っている。酒に弱かったのか、と政宗は少しばかり意外に思いながらシェリルを見下ろした。淡い桃色の髪が縁側に広がっている。美しいとは思うが、彼女の唇が綴るのは、遠い世界にいる男のことだ。
「優しくて、優柔不断で、でも強くって。軍人で、ね? 戦闘機のパイロットなのよ。優秀なの。みんなのために戦う、強い男なのよ」
「Woh、兵士なのか」
「V型感染症を発症して、トップシンガーの座を引き摺り降ろされて、惨めなあたしにも優しくしてくれたの。格好いい男の子なのよ。好き。大好きよ。アルト。でも、大っ嫌い」
日本酒の香りが草木に混ざって庭に広がる。そこでようやく政宗は、シェリルの緊張の糸が途切れたのだと理解した。酒の力に負けたのだろう。この戦国乱世は、シェリルにとって有り得ない世界だ。ここは彼女の本来の居場所ではない。だが、どうやって元いた世界に帰ればいいのかも分からない。八方塞の状況の中で、シェリルは必死に己を保とうと努力してきた。その張り詰めた糸が切れたのだと、政宗は気づく。でなければこんなに容易に、彼女が酒に酔って醜態を晒すとは思えない。ぱたん、と伸ばされた掌が銚子を倒しそうになり、政宗は拾って遠ざけた。ぱたん、ぱたん。数度振られて握り締められる、細い指。
「嫌いよ。嫌い。アルトなんて嫌い。大っ嫌い。優しすぎるのよ、ばか。あたしだけを好きになってくれないアルトなんて嫌い。嫌いよ」
ばかばかばかばか。座布団に向かって、シェリルは繰り返す。
「あたしだけじゃなくて、ランカちゃんにも、いい顔して。確かに、ランカちゃんは可愛いけど。純粋で、無垢で、幼いし、ちょっと不器用だけど、でも肝も座ってるし、歌だって上手いけど。歌だって上手いけど、でもあたしも負けないし! 良い子だって分かってるわよ。でも、これとそれとは話が別だわ。嫌いよ、ランカちゃんも。あたしに無い物ばっかり持ってるなんて、ずるい。ランカちゃんのばか。ずるい。羨ましい。嫌いよ。嫌い・・・」
「おまえに惚れない男がいるなんて信じられねぇな」
「いるわよ。アルトがそうよ。あたしとランカちゃん、アルトのこと好きだって言ってるのに、どっちかを選ぼうとしないの。迷ってるのよ。アルト、分かってないの。好きだって言い続けるのも、パワーがいるのに」
ぐす、と鼻を啜ってシェリルが座布団に顔を摺り寄せる。いじらしい女だと、思わず政宗は笑ってしまった。これだけ自分に自信を持っているシェリルでさえ、迷い、弱くなるのが恋だ。早乙女アルトという男。一体どんな奴だろうと、政宗は想像する。女のように美しく、けれども戦う役目を担い、優しくシェリルに触れ、その傷を癒した男。脳裏に浮かぶのは線の細い影だ。恋愛ごとに疎いことから知己の武将である真田幸村を連想するが、あれとは毛色が違うだろう。だが、どうしてだろう。政宗には、そのアルトとやらの隣に並ぶシェリルの図が想像できない。話を聞いているだけで実物を直接知りはしないのに、何故かアルトとシェリルは並び合うべきじゃないとすら思うのだ。その理由はすぐに分かった。シェリルが呟いたのだ。
「アルトは、優しいの。酷すぎるくらい優しいから、あたしのことを突き放せないのよ。病気で、弱くなって、縋ったから、あたしはもうアルトと同じ位置には立てないの。分かってるのよ。アルトはいつだって、あたしの中に惨めだった頃のあたしを見てる。だから突き放せないのよ」
あたしはもう吹っ切ったのに、アルトはいつまでも気にするの。もう大丈夫だって言っても、分かったって頷くのに、それでも瞳が無意識に語るのよ。突き放すのが怖いって。突き放して、またあたしがああなったらどうしようって。あたしはもう、ひとりで立っていられるのに。
「あたしを見ないアルトなんて嫌いよ・・・。大嫌い。でも、好き・・・」
呟きはそれを最後に途絶えた。代わりに聞こえてきたのは小さな寝息で、政宗はシェリルが寝入ったことを知る。やれやれ、といつの間にか注ぎ足すことさえ止めていた杯を盆に戻した。他愛ない話をするはずが、随分とヘビーな恋愛論を聞かされた気がする。乱れた夜着の裾を直してやり、膝裏と背中に手を回して抱き上げる。意識なくもたれかかってくる身体は柔らかく、花のような匂い甘いがした。行儀が悪いと分かっているが、開けたままだった部屋の中央に用意されている布団の上掛けを足で払い除ける。敷布の上におろせば、くい、と指先が無意識に政宗の袖を呼んだ。覗き込めば、細い眉がうっすらと顰められている。失笑しながら政宗は指先をそっと剥がし、上から布団をかけてやった。ここは政宗の私室だが仕方がない。女を畳の上で寝かせる様な、そんな甲斐性のない男ではなかった。滴を湛える睫毛を指の背で拭い、知らず政宗の目尻は綻ぶ。
「Hey, lady? おまえにはもっと相応しい男が現れるぜ。愛はそいつのために取っときな」
いい夢を見ろよ。頭を撫でてから、政宗は静かに障子を閉めて部屋を後にした。そこらの適当な部屋で寝ればいいかと、杯を片付けながら城主にあるまじきことを考える。けれども気分は不思議と晴れやかだった。己の抱いている恋は傷の舐め合いになるのだということを、シェリルは分かっているのだ。それでも捨てきれない想いは、優しくされて嬉しかったからだろう。人は絶望に在るとき、優しくしてくれた存在を特別だと信じ込む。覚えのある感情だ。だからこそ政宗の心は穏やかだ。愛はまだ取っておけばいい。いずれ現れる、強いシェリルと背を預け合い、弱いシェリルと抱き締め合える、そんな男との出逢いのために。
シェリルが好きだけど、マクロスFは最終的にアルランな話だと思ってます。
2011年2月12日