2.笑い飛ばしてくれないか





シェリル・ノームという得体の知れない女を奥州筆頭の牙城に招き入れる結果となったのは、「竜の右目」を自負する家臣、片倉小十郎にとって苦渋の決断だった。体調が悪いのをおして戦に出た主を見失うという、小十郎は生涯の失態を犯した。激しい雨に鬱蒼と生い茂る森。折りしも時間は夜で見通しは最悪だったとはいえ、それは忠誠を誓った家臣としてあるまじきことだった。戦は当然ながら奥州軍の勝利だったけれども、勝鬨の中に主の姿が見当たらないと気づいた瞬間、小十郎の魂は一度死んだのだ。我を忘れて主を探した。政宗様、と果たして何度主の名を呼んだことだろう。焦燥と恐怖に慄く身体を叱咤し、凍りそうになる足で森を駆けた。そんな小十郎を導いたのは、美しい調べだった。
茂みを掻き分けた先、いくつかの死体の向こうに、ふたりはいた。大木の幹に身体を預けるようにして、淡い桃の色の髪を持つ女性が、小十郎の主、伊達政宗をその腕に抱いている。ぐわっとせり上がったのは、奥州筆頭に対して何て無礼な、とどこの者とも知れない女を卑しめる感情だった。次いで耳を打つ調べに、虚を突かれたようにして落ちていったのは、美しき女神が主を連れて行ってしまうのかという悲哀だった。いくつもの感情が小十郎の心に去来して、ようやく気づく。主の身体に回されている女の細腕は震えていた。雨の冷たさに熱を奪われてか唇は紫に青褪め、頑なに瞼を閉じている様は喪失を恐れているかのように映った。小十郎の足元で、踏みつけられた草が音を立てる。はっと女が顔を上げ、青い瞳が小十郎の眼差しと重なった。女の、主を抱き締める腕に力が籠る。それは敵から子を守ろうとする母親のそれのように、小十郎には思えてしまった。だから彼は、その場で女を斬り捨てることが出来なかったのだ。言い訳だと知っている。それでも、それでも。
彼を、助けて。そう女は懇願したのだ。立場その他は数多に違えど、小十郎と同じように、政宗を助けてくれと、必死の思いで願っていたのだ。





筆頭は風邪である。
2011年2月12日