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6.果てなき旅路へ
結論として、官兵衛の手枷は取れなかった。正体が明らかになり、半兵衛からの口添えもあって紀之介が渋々と鍵を渡そうとしたところ、どこからともなく現れた鳥が、鈍く光るそれを掻っ攫っていってしまったのである。あ、と口を丸くしたのは半兵衛と官兵衛で、ぱちりと目を瞬いたのが紀之介、いい気味だと呟いたのが三成だった。そして官兵衛が帰還していることを知って現れた秀吉の前で、鳥は鍵をくわえたまま空の彼方へと飛んで行ってしまった。なぜじゃー、という二度目の叫びが大阪城にこだました。これは不可抗力よ、フカコウリョク。にやり、紀之介が酷く楽しそうに笑った。
「半兵衛! あの餓鬼どもの教育はどうなってるんだ! おまえさんの弟子だろう!?」
「三成君と紀之介君は秀吉の小姓だよ。二人の属性は闇だから、そちらの方面では僕が面倒を看ているけれど」
「ほら、やっぱりそうじゃないか! おまえさんそっくりの性悪だと思ったぞ!」
「褒め言葉だね。ああ、でも本当に見事な枷だね。紀之介君のバサラが練り込んであるから、彼以外には外せないように出来ている」
「何てこった・・・!」
頭を抱えようとするが、枷が邪魔をしてそれも出来ない。急ぎの報告を済ませた官兵衛は勧められるままに湯に浸かったが、着替える際にも枷が邪魔で服が脱げず、結局切る羽目になったという。今も着物の上半身を腰に巻きつけ、情けない姿で現れた官兵衛に、君専用の服を作る必要がありそうだね、と半兵衛は笑った。秀吉もそれは同じで、すまん、とまるで我が子のことのように謝っている。しかし彼が姿勢を正せば、官兵衛もはっとして背筋を伸ばす、やはりそれは上半身裸で、手首には枷が着いていたけれども。
「黒田官兵衛。長期の任務、ご苦労だった。無事に戻ってきてくれたことを心から嬉しく思う」
「はっ! 勿体なきお言葉にございます。太閤におかれましてもお変わりなく。・・・些か元気の良すぎる小姓をお持ちになられたようですが」
「はは。あれらも優秀故、おまえと戦場に出る日も近いだろう。よろしく頼む」
「・・・小生には、ちょっとばかし荷が重そうな気もするんだがな」
むむ、と頭を傾げる官兵衛に秀吉が笑う。この執務室は少数で話し合うために作られた場であり、日頃は主に秀吉と半兵衛が使っている。豊臣軍と言えば代表的な武将はこの二人であり、官兵衛がどちらかといえば裏方を担うことが多かった。今回の任務もその一つで、彼は身を偽り、他国を見て回っていたのである。大阪より西の、瀬戸内と九州を。
「それで、どうだった? 中国と四国は」
手ずから入れた茶に、ねねの作った甘味を添えて半兵衛が配る。この三人ならば公の場でもない限り無礼講が許される。億劫そうに手枷ごと腕を持ち上げて、官兵衛が直接指で饅頭を掴む。行儀が悪いよ、という半兵衛のお叱りもいつものことだ。
「睨み合いの膠着状態のまま、あれはしばらく動かないだろうな。国力で言やぁ毛利の勝ちなんだが、何せ四国は海っつー天然の要塞に囲まれている。あれを攻め落とすのは、いくら智将の毛利でも厳しかろうよ」
「ふむ。九州はどうであった?」
「ああ、あっちは島津の統治で安泰だ。それと半兵衛、おまえさんの言ってたザビーっつう異教だが、本当にぶっ潰してきちまって良かったのか? 小生には、そう悪い奴らには見えなかったんだが・・・」
「軍師である君にそう思わせただけでも害があると思わないかい? 宗教は団結力を生み、崇める相手が手の触れる場所に存在しないからこそ強大な集約力と忠誠心を抱かせる。ザビー教が広まり、信徒となった農民が武器を持ってからじゃ大変だからね。前もって排除しておきたかったんだ」
「おまえさんの命令通り、ザビーは沖合で難破させて南蛮船に引き取ってもらった。これで良かったんだろう?」
「ありがとう。彼が本国に返り咲くことを祈るよ。異端として弾かれて、また日ノ本に来られたら迷惑だからね」
よしよし、と半兵衛が頷いて手元の地図に指を伸ばす。とん、と細い指先が示したのは豊臣軍が統べる大阪だ。僅かに東に動かせば、そこは第六天魔王と呼ばれる織田信長の領地、尾張である。その上の長浜には浅井、北陸には前田。両者は信長の友軍であり、彼らと国境が接している豊臣は日々小競り合いを繰り返している。今のところ大きな被害がないのが幸いだが、逆に打って出てしまえば織田との戦になるのは明らかだ。
「織田より東は徳川だ。彼は今のところ、織田に恭順していると言ってもいい」
「徳川家康は未だ子供。魔王には逆らえまい」
「その向こうは今川、そして北条。甲斐の武田に、越後の上杉。そして最北の伊達」
「各地にやってる隠密は何て言ってんだ?」
「織田が次に狙うのは今川と北条だろう、と」
「そりゃそうだろうな。西に向かえば、うちに加えて毛利と長曾我部が立ちはだかる。魔王にしてみれば弱体化してる今川や北条を落とす方が何倍も楽だろう」
「その間は豊臣との小競り合いも減るだろう。出来ればその隙に」
「―――瀬戸内と同盟を組む」
秀吉の言葉に、御意、と半兵衛と官兵衛が頷く。元より官兵衛の西への偵察は、これが目的だったのだ。織田の強大さは、すでに一国では太刀打ちできない域に達している。何より織田軍には、信長に濃姫、光秀に蘭丸と四人のバサラ者が存在するのだ。戦になれば妹のお市、ならびにその夫の長政が駆けつけるのは目に見えており、前田夫妻と徳川に本田が加われば、その数は最大で十にもなってしまう。一人でさえ、兵器に値するとされるバサラ者の武力だ。豊臣でさえ、秀吉と半兵衛、官兵衛に三成に紀之介と、掻き集めても五人。各国に比べれば多い人数だが、これではとてもじゃないが織田に対抗することは出来ない。だからこそ検討されたのが同盟だった
。毛利と長曾我部、そして島津。東に比べ、西は己の領土を確固と保ち、他国への侵略は良しとしない。毛利は安芸の安寧を願っているし、長曾我部とて己の海を荒らされなければ戦に出ることはない。島津は時折大友と互いに突き合っているようだが、それも可愛らしい範囲だ。西は天下取りよりも、自国の繁栄を念頭に置いている。そして。
「得るべきは領地ではなく、豊かな世、強き心を持った民だ。その志の下に集えるのならば、我は誰の手でも取ろう」
机の上、握り込められる秀吉の手は大きい。素手での戦闘を得意とする身として、いくらでも戦勝を挙げられるだろうに、望むのは不羈の幸福のみだ。それでこそ秀吉だね、と半兵衛が微笑み、太閤の器のでかさには頭が下がる、と官兵衛は頬を掻く。秀吉がひとつ頷く。遠くから、兵士の鍛錬に勤しむ声が、ねねや女中の笑い声が、城下の賑やかな声が聞こえてくる。誰もが笑って暮らせる世の中を。それこそが我の成したい世界である。そう、秀吉は語った。
西軍の基礎。
2012年6月17日