5.そして僕らは揃う
半兵衛は大阪城に、いくつかの部屋を持っている。それは軍師である彼に与えられたものであり、一室ではその膨大な資料を保管することが出来ないからだ。加えて、半兵衛は医学に関する書物や貿易の際に独自に入手した漢方などを数多く有しており、価値のあるそれを城下の自宅に置いておくのは危ういと考えたからでもある。一日の大半を大阪城で過すため、秀吉の厚意により半兵衛は自身の空間を持っている。今日もそこで、明からの大陸情勢についての報告について目を通していた。自国を富ませることに重点を置いている豊臣軍は、海を越えて異国にまで出兵する予定はない。けれども向こうから攻められたときのために情報を得ておくことは必要だ。だからこそ半兵衛は、船旅で少し変質してしまった紙を、行間すら読むようにめくっていく。
足音に気が付いたのは、いくつ目の報告を紐解いたときだったか。どたばたという騒がしい足音は、常の大阪城には存在しない。けれど覚えがあったため、半兵衛は顔を上げて回廊を見る。漢方を保管している部屋はともかく、その他の場合、半兵衛は大抵障子や窓を全開にしている。換気を良くすることが己の身に必要であると分かっているからだ。重く、乱暴な足音は瞬く間に近づいてきた。軍師である半兵衛の部屋のある区画は、立ち入ることの出来る者を制限している。けれどこの足音の主は、それを許されている人物だった。予想に違わない姿が飛び込んでくる。
「半兵衛! 小生を助けろっ!」
「おかえり、官兵衛君。助けろって・・・」
どうしたんだい、と尋ねようとして、半兵衛は珍しく一瞬呆けてしまった。そして首を傾げる。長期の任務から戻ってきたばかりのため、同僚の、黒田官兵衛の姿出で立ちが薄汚れているのは仕方ない。急ぎの報告だけ聞いたなら湯を勧めるつもりだった。けれども半兵衛は気が付いてしまったのだ。官兵衛の両手首に、大きな枷が嵌められている。あたかも囚人のようなそれは、少なくとも大阪城を出るときにはついていなかった。最新の報告でも特に記されていなかったが、厚い木で作られた手枷はちょっとやそっとの衝撃では外れそうにない。流石に半兵衛も驚いて、どうしたんだい、と先程とは違った目的で聞こうとしたが、今度は物凄い速さで近づいてきた軽い足音に遮られた。
「半兵衛様に害をなすなど許さん! 斬滅してやる!」
「ごふっ!」
官兵衛が吹っ飛び、半兵衛の視界から消えた。駆けてきた勢いそのままに跳び蹴りを食らわせた三成が、しゅたっと回廊に着地したかと思うと、庭に転がっていく官兵衛を追撃に走る。見事な動きは、流石秀吉に武芸を教わっているだけある。特に速さに関して言うのなら、すでに豊臣軍で三成の右に出る者はいないだろう。もちろん得意武器は刀だが、秀吉が素手の戦闘を好むため、三成もそれなりに獲物無しでも戦える。しかし何だって三成君が官兵衛君を攻撃しているんだろう。鳩尾に容赦のない膝蹴りをお見舞いしている姿に、半兵衛は呆気に取られた。その間に別の影が、半兵衛を守るように回廊に立つ。
「紀之介君」
「アイヤ。失礼をしました、半兵衛様。あの賊め、枷をつけてやったというのに存外しぶとく。御身に怪我は御座いませぬか?」
「・・・ああ、僕なら大丈夫だよ」
「すぐに三成が仕留めます故、しばしお待ちくだされ。その後、ここまで侵入を許してしまったことに対する罰を受けまする」
「いや、それはいいよ」
ようやく事情が分かり、半兵衛は笑ってしまった。紀之介が不思議そうに振り返る。その全身には包帯が巻かれているが、彼の病は侵攻を止め、寺にいた以上の病態には至っていない。走ることは体調に拠るが、歩くことならば常に可能だ。それなのに紀之介が自身を重病人のように見せているのは、「この方が人の心が良く見える」という彼の言い分による。業の病にかかっている自分に、相手がどう反応を示すか。それによって為人を見抜くのだと語った紀之介に、半兵衛は困り顔を浮かべた。そして「君は今、幸せ?」と問い、それに紀之介が深く頷くと、「それならいいよ」と言ってくれた。そんな紀之介もまた秀吉に武芸を習っているが、彼は半兵衛から軍法も教わっている。その頭脳を見込まれてのことだが、流石に今回は知らなかったのだろう。首を傾げる紀之介と、官兵衛に跨って関節技を決めている三成に、半兵衛は笑いながら教えてやった。
「そこの賊はね、黒田官兵衛君といって、僕と同じ豊臣軍の軍師だよ。西の偵察に行ってもらってたんだけど、二人はまだ会ったことがなかったんだね」
ごめんね、誤解させてしまって。半兵衛の言葉に、三成と紀之介が目を丸くする。なぜじゃー、という官兵衛の叫びが大阪城に響き渡った。
それを聞いた秀吉が、官兵衛が戻ったことを知ってやって来る。
2012年6月17日