戦ってばかりでは真の泰平は得られぬ。そう語ったのは誰だったか、武器を手放し、互いを知りえるために話をしようではないかという風が戦国の世に吹き込んだ。生温いと詰る者も確かにいたが、民のことを思えば犠牲は出来る限り減らしたい。同調する者たちが集まり、会合を持つようになった。己の主張、譲歩できる箇所の融通、今後の泰平への手がかりについて。話すことは多く、どれだけの日にちをかけようとも終わることは無い。彼らは何度も対話を重ね、平和への道を模索していった。明日の新たな日ノ本のために。
群雄共生(とりあえず始めんぞ編)
「しっししししししししししつぅうううれいしたでござるぁぁぁあああああああああぁ・・・・・・っ!」
言葉で表現するのなら、おそらく絶叫になるのだろう。どれだけ距離が離れているのか知らないが、至近距離で聞けば間違いなく鼓膜の破れるほどの声量が躑躅ヶ崎館中に響き渡った。襖が振動に揺れている。会合のために集まっていた武将たちには、確認せずとも今の叫びが誰のものであるか瞭然だった。どどどどどど、と駆ける足音が近づいてくる。彼の足の速さから鑑みれば、やはり相当離れた場所にいたのだろう。それなのにここまで聞こえてくる絶叫とは、一体どんな騒音か。加えて動じる様子のない女中や兵士たちに、小十郎は武田軍の日常に思いを馳せた。自軍も相当だとは思っていたが、他所は他所なりの苦労があるらしい。
すぱぁん、と音を立てて襖が開かれると同時に跳ね返り、吹き飛んで廊下から庭へと飛んでいった。あちゃあ、と額を押さえたのは自軍での会合だから公に姿を現している佐助で、彼が手を振るとすぐさま兵士たちが飛び散った襖を回収していく。そのままちらりと振り返れば、襖を破壊した張本人、絶叫の主でもある幸村が肩を大きく震わせながら項垂れていた。脇から覗き込んでも表情は見えず、んー、と佐助は首を傾げる。しかし次の瞬間には身を仰け反らせた。上座に向かって幸村が突撃したのだ。
「うおおおおぉぉぉ! 叱ってくだされぇ、お館様ああああ!」
「うぬぅ? 何じゃ幸村ぁ! 客人の前ぞ、静かにせんかぁ!」
「っていうかお館様も、公式の場って分かってるなら殴り返さないでくださいよ」
拳は信玄に届かず、逆に左頬に強烈な一撃を食らい、幸村は呆れる佐助の前を通過して庭の壁に叩きつけられる。うひゃあ、派手にやんなぁ、と元親が愉快そうに身を乗り出す。逆に元就は騒音に顔を歪め、見苦しいものを締め出すかのように目を閉じた。壁から剥がれ落ちた幸村は、そのまま庭に膝を着く。いつもは溌剌としている瞳もやはり見えず、紅い着物に包まれた肩もあからさまに落ちている。縁側から降りた佐助は、ひょいひょいとそんな主に近づいた。
「っていうか旦那、どうしたのさ? さっき物凄い叫び声が聞こえたけど」
「っ・・・! そ、某は、某は武人の風上にも置けぬ! 否、男として最低のことをしてしまった!」
「は?」
「破廉恥は某でござる! 某は、某はぁぁあああ!」
自ら上半身を振り被ったかと思うと、今度は置石に額をぶつけ始める。え、ちょっと何これ。常以上に奇怪な上司の行動に、流石に佐助も思わず呟きを漏らしてしまった。幸村は「うおおおおお!」と叫びながら何度も何度も己の頭を石にぶつけている。頭が割れるのが先か、石が割れるのが先か。どっちにしろやばい、と佐助はいささか慌てて幸村の肩を掴んで止めう。
「ちょ、旦那落ち着いて! 一体何があったのか、俺様にちゃんと説明してよ!」
必死に説得するが、幸村は被りを振って答えない。どうしたものかと佐助が悩んだのも束の間、事情は第三者の涼やかな声によって明かされた。
「僕が着替えている最中に、幸村君が断りも無く襖を開けたんだよ。まったく、武田軍は兵士に礼儀作法すら教えないのかい?」
大きな足音を響かせてやって来たのは、今回の会合からの参加となる豊臣軍の総大将、秀吉だった。信玄よりも高い上背に、巨漢と称しても可笑しくはない体躯。けれど声の持ち主は秀吉の前に、居丈高に腕を組んでいた。幸村が全身をびくりと跳ねさせて硬直する。半兵衛は段差もあいまって睥睨するように庭のふたりを見下ろす。ようやく状況に納得がいったのか、政宗が意地悪く唇の端を吊り上げた。
「Oh, それは真田が悪いな。しかし美味しいじゃねぇか。破廉恥破廉恥言ってる割にはてめぇも男だなぁ?」
「ち、違っ! そ、某にそのような邪まな気持ちはござらぬ! ただ、竹中殿と豊臣殿を迎えに参っただけで・・・っ!」
「そんでどうだったよ、竹中の素顔は? 仮面も外してたんだろ?」
「いや・・・仮面は、つけておられた故」
「Ah? ならてめぇは何を見たんだよ」
元親と政宗が重ね重ね揶揄すれば、数瞬の間の後で、それこそ炎が点るようにぼっと幸村の顔が真っ赤に染まった。耳どころか首筋まで赤くなったかと思うと、ぎこちなく巡った視線の先が半兵衛とぶつかり、今度こそ幸村は一切の動きを止めてしまった。
今日は戦いではなく会合であるため、その証としても集まった武将たちは戦闘服ではなく着物を身に纏っている。それは裃であったり着流しであったりと人によって様々だったが、半兵衛は珍しく女性用の小振袖と袴を身につけていた。流石に公式の場においてまで男装に近い格好をするのは不適当だと判じたのだろう。小振袖は白にはなますが咲いており、袴は灰色から裾にかけて黒く移り変わっていく。半襟や半巾帯に僅かな桃色が除いているだけの、盛りの女性が身につけるには些か華に欠けたいでたちだったが、それでも彼女自身の持つ艶やかさは隠しきれない。同じく灰色の仮面をつけて、彼女はそこに立っている。
「そ、某、竹中殿が女子だと知らなかったでござる・・・!」
「あぁ、だから声をかけると同時に襖を開いたって? 猿飛君、君は幸村君にどんな躾をしてきたんだい?」
「躾って、そりゃないでしょ・・・。俺様もさぁ、必死に常識は教えてきたはずなんだけどねぇ」
「女の着替えを覗くとは、貴様はそれでも男か! 情けない! やはり猿飛の主だな!」
「何その言いがかり! 俺様関係ないってば! ねぇ、かすが!」
座敷から高らかにかすがが言い放ち、佐助は懸命に弁明するも届かない。つまり幸村は半兵衛の素顔ではなく、どうやら本当に「着替え」を拝んでしまったらしい。政宗と元親は珍しく女らしい格好をしている半兵衛をちらりと見やる。言動は容赦がないどころか毒を持つが、見目は確かにいい女なのだ。仮面に隠されていても分かるほどの美貌に、新雪のように透き通った柔肌。羨ましいぜ、真田、とふたりが考えていると、こちらを向いた秀吉と目が合ったので反射的に慌てて逸らす。
「たけなかどの。とらのわこも、わるぎがあったわけではありません。このようにひっしにあやまっているのですから、ゆるしてやってはどうですか?」
「お言葉ですが、謙信公。痛みを伴わない学習はすぐに忘却へと繋がります。例え僕が武人であろうと、嫁入り前の女を辱めた罪は身をもって購ってもらわなくては」
その台詞に、はっと幸村が顔を上げた。先ほどまでの赤みは姿を消し、代わりにじわりじわりと色を失くし始める。ぎゅ、と唇を噛み締め、きつく眉を寄せた横顔に、佐助は何だか嫌な予感がした。思い込んだら突っ走る主なのだ。忍びの身としてはそこが好ましかったり羨ましかったりするわけなのだが、今は危機感が募ってならない。反射的に見上げた先、つい、と半兵衛の薄い唇が弧を描いているのに気づいて更に焦燥する。待って旦那、と止めるよりも早く、幸村は半兵衛に向かって土下座した。
「竹中半兵衛殿! そなたを傷つけてしまった責任、この真田幸村、如何様にも負う所存! どうか気の済むまで某を罰してくだされ!」
「そう。じゃあ責任を取って竹中家に婿入りしてもらおうかな。幸村君は次男だし構わないよね」
「分かり申した! 某、喜んで半兵衛殿の婿となりましょうぞ!」
「何が『分かり申した』!? 分かってない、分かってないよ旦那! あんた何勝手に婿入りとか決めちゃってんの! 武田の一番槍が豊臣に婿入りしてどうすんのさ!? 竹中殿、あんたも旦那をからかうのは止めてよね!」
この人本当にお馬鹿さんなんだから! と泣きそうになりながら訴えてくる佐助を尻目に、半兵衛は「この手、あと五回くらいは使えそうだね」などと秀吉に爽やかに微笑みかけている。信玄が豪快に笑い始め、くすくすと謙信も目元を和らげた。政宗と元親は呆れた顔をしているし、小十郎は眉間に皺を寄せ、かすがは不服そうに頬を膨らませている。元就が馬鹿馬鹿しい、と小さく一言呟いた。
「祝言はいつにするでござるか、半兵衛殿!」
「そうだね、ちょうど面子も揃っているし、ここでお披露目にしてしまおうか」
「待って! 待ってよ旦那! つーか俺様もう本気で泣きそうなんだけど!?」
「何だったら猿飛君、君も一緒に婿に来るかい? 豊臣のために使ってあげるよ」
「・・・・・・そこらへんで止めてやれ、半兵衛」
ぽん、と秀吉が半兵衛の肩を叩く。残念、と彼女が呟くことで結婚は流れたが、それでもしばらくの間、幸村の竹中家婿入りの話は消えることがなかったという。付随して、懸命に否定して回る佐助の姿もあったとか。
みんなに仲良く(半兵衛を愛)してもらいたいがための話です。趣味に走りますとも、ええ・・・!
2009年7月24日