大きな建物を飾るように、獅子の垂れ幕がかけられている。
風になびくそれは酷く重そうに見え、アルフォンスは無意識のうちに眉をひそめた。
隣に並ぶロイが、彼を見ずに声をかける。
「それで、覚悟は出来たのかね?」
一度目を伏せ、緊張を隠せない面持ちでアルフォンスは頷く。
「そうか、ならば行こう」
言葉と共に歩き出すロイの後をついていく。
もう一度、頭上の獅子を見上げてから。
何かに圧されるようにして、建物へと足を踏み入れた。
セントラルの風は、重い。
金色の記憶
一ヶ月前、リゼンブールに現れたロイによって、アルフォンスは一つの道を示された。
『国家錬金術師』になるというそれは、多大な影響を含んでいる。
軍の狗と蔑されることもあるし、有事のときは戦場にも向かわなくてはいけない。
それらは膨大な研究費用や施設の使用自由権と引き換えに出来るようなものでもない。
得るのは触れることの出来る利益。失うのは心の中にある何か。
秤にかけることは出来ないものなのに、それなのにアルフォンスは選んでしまった。
――――――国家錬金術師になることを。
『アルの馬鹿! だいっきらい!』
国家錬金術師に怨みを持つ幼馴染みに言われた言葉は、まだ耳に残っている。
彼女は大切な家族だから、出来れば傷つけたくなんてなかった。
南部にいる師も、軍には良い感情を抱いていない。
本当に、得られるものは何もないというのに。
それなのに、アルフォンスはリゼンブールを出た。
何かに導かれるようにして。
「筆記試験は受験者の中でトップ。精神鑑定も問題なし」
関係者のみに対して発表された結果に、ロイは皮肉気に口元を歪めた。
「さすがは、鋼のの弟というところか」
小さな呟きは、誰もいない廊下に響く。
実技試験のみを残しているアルフォンスは、今は隣室にて待機している。
ロイは、彼を見ればその度にエドワードを思い出していた。
思い出さずには、いられない。
エドワードのした行いと、彼の望みと、その報いを。
すべて胸へと溢れさせてしまって、その度に傷口が抉られる。
―――この傷は、一生塞がることはない。
自嘲気味な、それでいてどこか誇らしげな色がロイの横顔には浮かんでいた。
「アルフォンス・エルリック、入りなさい」
「―――はい」
扉の向こうから名前を呼ばれ、アルフォンスは一呼吸置いてからそのノブに手をかけた。
開く際に軋む音が、何だかやけに大きく聞こえる気がする。
広い部屋の中、左右に数人の男たちが並んでいる。
二階の客席にも幾人かの姿があり、その中にロイを見つけてアルフォンスはわずかに安堵した。
そして正面に立っている男。
落ち着いていて重厚な、それでいてどこか温かな雰囲気。
腰に下げているサーベルのような剣が、少し不釣り合いともとれるような。
眼帯に隠されている目が何かの意味合いを持って自分を見つめているようで、アルフォンスは小さく首を傾げた。
この人と似たような表情をロイも時々浮かべる、と思いながら。
案内してきた隣の男が、アルフォンスへと声をかける。
「緊張しなくていいぞ。錬成陣を書く道具は持っているか?」
「あ、はい―――」
チョークを持っています、と手の中のケースを示して言おうとしたとき。
太く、深みのある声が会場に響き渡った。
「いや、彼にそんなものは必要ない」
え、と口を開けたのは案内の男だけでなく、アルフォンスも。
そして観客席にいるロイも同じように目を見開き、次いで訝しげに眉間に皺を刻んだ。
「だ、大総統・・・?」
慌てる男を尻目に隻眼でアルフォンスを見る目には、とても穏やかな光が灯っている。
その光が、急に眩しさを増した気がして。
目の前が金色に染まる。
「彼は両手を合わせただけで錬成を起こすことが出来る。・・・・・・やってみたまえ、アルフォンス・エルリック君」
・・・・・・手を。
手袋をつけていない素肌の両手を、胸の前で合わせる。
錬成陣を描かない錬成は、師匠である人がやっているから見たことはある。
だけど、やったことはなくて。やれるとも、思っていなくて。
不安になって眼差しを上げると、それは大総統の視線によって受け止められた。
促されるように、そのままゆっくりと右膝をつき、次いで左膝もついて。
床へと、手を触れさせる。
あふれる光。
世界を染める金色の光。
眩しすぎるそれは、どこか懐かしい温かさをもって。
広がる。広がる。
全身をこの世の理論が駆け抜けていく中で、アルフォンスは見た。
一瞬の、金を。
「――――――どういうことですか?」
困惑よりも苛立ちを含んだ声に、大総統は楽しそうに口元を緩める。
「どう、とはどういうことかね?」
「鋼ののことを記憶しているのは錬金術師のみです。それなのに、何故錬金術師でもない閣下が彼のことを覚えていらっしゃるのですか」
口調はあくまでも丁寧だが、その裏に抑えられている怒りを感じる。
何に対しての感情かは、ロイ自身判っていないのだろう。
若い部下に、大総統は微笑ましく笑みを浮かべて。
「何、私にもそれなりに力があるということだろう。錬金術とはまた違った力が」
「? それはどういう・・・・・・」
「マスタング准将」
遮って、口にする。
「アルフォンス・エルリックの二つ名は『鋼』にしようと思うが、どうかね?」
目を閉じれば溢れかえる光。
すべてを穏やかに染めて、輝き続ける金色。
今は亡き、彼。
エドワード・エルリック
鋼の錬金術師
咽の奥からこみ上げてくる熱さを堪え、ロイはきつく手を握る。
発火布に包まれていない手のひらは、食い込んだ爪に悲鳴を上げる。
だが、彼はきっと悲鳴なんて上げなかっただろう。
最後の最後まで、彼は彼らしく。
眩しい、金色のままで。
「・・・・・・閣下の、ご随意に」
無理矢理に押さえ込んだ声音で返された言葉に、大総統は鷹揚に頷いた。
『鋼の錬金術師アルフォンス・エルリック』が誕生したのは、それから一週間後のことだった。
2004年7月13日