募る憎しみ。
湧き上がる殺意。
だけど、それ以上に。

「おまえは私の最高傑作だ」

黙れ。誰が。
きつく手を握り締める。
鋼の手足が悲鳴をあげる。

「そのおまえが望むのなら与えてやろう。ただ、その代償は―――・・・・・・」
「分かってる!」

言わせたくなくて叫んだ。
憎い。殺したい。すべての元凶。
だけど。だけど。



「兄さん」



「・・・・・・・・・絶対に、アルを元の身体に戻してくれるんだな」
「あぁ、約束しよう」
「―――絶対だからな! もし失敗なんかしたら許さねぇ・・・・・・っ!」
「失敗など」
男は笑った。

「失敗などするはずがないだろう。最高の賢者の石があれば」

言葉が脳に到達する。
それが何を意味しているのか分かる。
賢者の石の材料なんて、絶望と共に知ったから。
鋼の手を無意識の内に握った。

この手が温かさを取り戻すことは、ついになかった。

「・・・・・・・・・いいぜ、乗ってやるよ」
笑って、強く。
泣きそうに、苦しく。



「だけど忘れんな! もしも失敗なんかしやがったら絶対にてめぇを殺すからな!」



それが、彼の最期の言葉だった。





金色の記憶





パチリ、とアルフォンスは目を覚ました。
窓の外から朝を告げる鳥の鳴き声がする。
陽がいつもより高い位置にある気がして、慌てて身を起こした。
枕元にある目覚まし時計を確認すると、困ったように頭を掻いて。
「・・・・・・寝過ごしちゃった」
立ち上がり靴を履き、タンスから着替えを取り出してパジャマを脱ぐ。
「ウィンリィ、怒ってるかなぁ」
楽なズボンとシャツを適当に着こんで、アルフォンスは部屋を出た。
すぐに聞こえてくる機械が回る音に小さく苦笑して。
「今日も一日頑張らなきゃ」
ぐっと伸びをして、窓から入る光に笑った。



「アル! 遅いわよ!」
リビングのドアを開けるなりそう怒鳴られ、アルフォンスは済まなそうに肩を竦めた。
「ごめん、ウィンリィ。おはよう」
「おはよう。まったく今日は朝から客が来てて大変だったのに」
「客? 機械鎧の?」
「そう」
疲れたように肩をグルグルまわして、ウィンリィは溜息をつく。
それを見ながらアルフォンスはキッチンへと近づき、やかんに水を入れて火にかけた。
カタカタと湯が沸く間にコーヒーの豆を挽いて、カップを四つ用意する。
沸騰したお湯をでコーヒーをいれ、それをカップに分けてミルクと砂糖を入れる。
一つはブラックで、後の二つはミルクと砂糖を両方入れて。
残ったカップには、砂糖だけを。
「はい、ウィンリィ」
「ありがと、アル」
カップを受け取ってウィンリィは笑った。
「ばっちゃんはまだ工房?」
「うん。あ、でも私も戻るから持っていこうか?」
「じゃあ頼むね」
「オッケー」
自分の分は飲み干して、二杯目をついでからウィンリィは立ち上がる。
両手に自分のと、祖母の分のカップを持って。
アルフォンスの手の中にはもう一つのカップ。
だけどテーブルの上には、砂糖だけが入ったコーヒーが静かに出番を待っていた。
ウィンリィはそれに気づいて首を傾げる。
「ねぇ、アル。それは誰の分なの?」



パンッ
シーツの両端を持ち、気持ちの良い音を立ててそれを伸ばす。
庭にある物干し竿にそれを干しながら、アルフォンスはさっきのことを思い出していた。
ひとつ多かったマグカップ。
何の躊躇いもなく砂糖だけを注いだ。
まるでそうするのが当然のように。
誰かのために、コーヒーを淹れた。
「・・・・・・寝ぼけてたのかなぁ」
この家にはアルフォンスとウィンリィ、そして彼女の祖母しか住んでいないのに。
アルフォンスの母親は数年前に流行り病で他界してしまった。それからはこの家で一緒に暮らしていて。
父親の顔は知らない。ずっと前に出て行ったきり。



兄弟もいない。



なのに何でコーヒーを四つも淹れてしまったのだろう。
多分寝ぼけていたんだろうな、と思いながら洗濯を全部干しきって。
籠を持ち上げて部屋に戻ろうとすると、角を曲がってウィンリィが走ってくるのが目に入った。
「――――――アルッ!」
常にはない慌てた様子に眉を顰めた。
心なしか、顔色も悪い。
「ウィンリィ、どうしたの?」
「・・・・・・アンタに、客・・・」
「僕に? 錬金術関係かな」
リゼンブールのような田舎ではまだまだ不便なことが多い。
その際に困っている人がいたら、アルフォンスは自らの錬金術を使って手助けをしていた。
だからその客かと思ったのに。
「・・・・・・来たのは国家錬金術師・・・・・・軍の狗よ・・・・・・っ!」
泣くのを堪えたかのようなウィンリィの言葉に、思わず身体が動きを止めた。



東部は他の地方に比べると開発が遅い。
それは間違いなく数年前まで起こっていたイシュヴァールの内乱の所為。
医師だったウィンリィの両親はその戦で命を落とした。
戦乱の後は生々しい。
数年で癒えるような、傷じゃない。
ドアを開けて入ったリビングには、ピナコと向かい合うように二人の軍人が座っていた。
青い制服がやけに冷ややかに見え、アルフォンスは内心で唇を噛む。
だから彼は気づくことがなかった。
軍人の内、男の方が痛ましいものを見るかのように目を細めたことを。
「・・・・・・はじめまして、アルフォンス・エルリック君」
男が椅子から立ち上がって言う。
「私はロイ・マスタング。セントラル総司令部の准将を務めている」
「・・・・・・准将」
「こちらは私の部下でリザ・ホークアイ大尉だ」
ロイの紹介にあわせて、彼の隣で金髪の女性が頭を下げた。
彼らの年齢はどれくらいだろうか。アルフォンスはそんなことをぼんやりと考える。
ホークアイは20代半ばから後半くらい。それなら彼女の上司であるロイはもっと年上だろう。
どことなく童顔めいた彼も実際には30を超えているのかもしれない。
それならば、15歳である自分より二倍近く生きていることになる。
軍人を憎んでいるウィンリィを下がらせて、アルフォンスは彼らと同じ席に着いた。
ピナコの隣でロイを見上げるようにして問いかける。
「セントラルの軍人さんが、僕に何の用ですか?」
セントラルといえば国家の中心、そして准将といえば立派な軍の幹部。
この若い男がそんな高い地位についていることは信じがたかったが、ロイの放つ空気は彼が普通の軍人ではないことを表している。
アルフォンスは失礼にならない程度に警戒心を構えて聞いた。
それを察してロイは笑い、胸ポケットから銀時計を取り出す。
その瞳に一瞬翳りが浮かんだことに、アルフォンスは気づいてしまった。
「私は軍人であると共に国家錬金術師でもある。二つ名は【焔の錬金術師】だ」
見せられた銀時計はその証。
精巧で手の込んだそれは、持つ者を選ぶ神に近い証拠。
「君の錬金術の才能は素晴らしいものだと聞いている。その噂が本当ならば国家錬金術師に推薦しようと思ってね」
「・・・・・・国家錬金術師? 僕がですか?」
まさか、という気持ちが頭の中を駆け巡った。
けれど目の前のロイは変わらない表情で一つ頷く。
「もちろん、君にその気があればの話だが」
冷静な答えを任せる声に、アルフォンスは思わず視線を逸らした。
隣からピナコの向けられる眼差しからも顔を逸らして。
国家錬金術師。
その言葉が、頭を回る。



銀色の時計。
類稀なる錬金術。
莫大な研究費。
軍の狗と蔑される。
その代わりに得るもの。

思わず閉じた瞳に光が広がった。



眩しい、金色の光が。



「君の二つ名は、きっと【鋼】になるだろうな」
ロイの言葉だけが、耳に残った。
心臓が音を立てて、身体のどこかが反応した。
心当たりの無い苦しさを覚えた。



『少し考えさせて下さい』と言った自分に、アルフォンスは驚愕した。
軍人になんてなる気はない。ましてや国家錬金術師なんて。
命令されれば人を殺さなくてはいけない。そんなことしたくはない。
生活だって特別苦しいわけじゃないし、銀時計を手にすることで得るメリットは、デメリットより格段に少ない。
なのにどうしてそう答えてしまったのか。
アルフォンス自身にも分からない。
ただ。
「・・・・・・あの」
去り際に聞いた。聞かなくてはいけないと思った。
身体の中から叫んでいる声が聞こえる。
振り返ったロイを見上げた。初めて会う人なのに、どこかで会ったことがある気がした。
今日はそんな風に思ってばかり。
違和感。歪み。
目隠しをされている気分。
心地よいのに、何か欠けているような。
そんな状態。
振り絞るようにして、アルフォンスは尋ねる。
「どうして、僕の二つ名が【鋼】になるんですか?」
金属の錬成が特別得意なわけじゃない。
確かに機械鎧工場であるロックベル家と共に暮らしてはいるけれど、果たしてそんな理由だろうか。
考えていたことが顔に出ていたのか、ロイは笑った。
そしてまた、目を細める。
どこか遠くを見ている。そんな瞳。
「前【鋼の錬金術師】が、君にとても良く似ていたからさ」
「・・・・・・前?」
「そう。今はもういなくなってしまったけれど」
優しい瞳と、切なさを秘めた声音が耳に届く。



「彼はとても弟思いの、立派な少年だった」



今日はいろんなことが立て続けに起こった一日だった。
コーヒーを一つ多く淹れてしまい、それに違和感を覚えなかった。
セントラルから軍人が来て国家錬金術師に誘われ、それをすぐに断らなかった。
最初は小さかった歪みが、少しずつ拡大してきているような。
苦しみと悲しみが肥大してきているような。
胸を押さえてアルフォンスは息を吐いた。
どうしたんだろうか、と自分自身に問いかけて。
今は夕食の準備をしている幼馴染を振り返る。
「・・・・・・・・・ねぇ、ウィンリィ」
「何?」
気の強い彼女は、昼間の動揺を隠していつもどおりに振舞っている。
相変わらずだなぁと思いながら、口を開いた。

「僕って母さんが死んでから、ずっと一人で生きてきたよね?」

一人で墓石の前で泣き、一人で夕食を作ってくれるロックベル家を訪れ。
一人で錬金術の師匠に出逢い、一人で島でこの世の流れを知り。
一人でずっと生きてきた。
「何言ってんのよ、アル」
レードルを片手に振り向いたウィンリィは、至極不思議そうな顔をしていて。



「あんたには私とばっちゃんがついてるでしょ? 三人一緒に生きてきたんじゃない」



心の中、どこか綻びていたものが縫いとめられていく。
違和感が薄く払拭され、脳内を新しく書き換えていく。
「うん、そうだよね」
記憶を確認してアルフォンスは笑った。



「僕には兄弟なんかいないんだから、当然だよね」




「アル」

どこかで誰かの呼ぶ声は、届く前に掻き消えた。





2004年3月18日