これが恋じゃないのなら、何が恋だというんだ。
苦しく胸を締め付けるこの気持ちが嘘だというなら、一体何が真実だというんだ。
教えて欲しい。
どうして愛なんてものが存在するのかを。
明日もし死んだとしても、今日は君のことを想うから
やらなきゃいけないことがあるのは判っている。
自分に課せられたもの。遂行しなくてはならないもの。
ただそのためだけに自分は存在してると言ってもいい。
血と肉は所詮造られたものなのだから。
一部の隙も無く精巧な己の手を見下ろしてエンヴィーは眉を顰めた。
意識を集中するだけで形を変えていくそれ。
元がどんなだったかなんて、もう覚えていない。
「エンヴィー」
かけられた声に顔を上げる。
暗闇の中で過ごすこともすでに違和感なんて覚えない。
造られたときから、自分が何のために存在するかを判っていた。
「ちょっと南部に行ってきてくれる? どうやら問題があったらしいから」
「・・・・・・ラストのおばさんはどーすんの?」
「私はお父様のところに報告に行かなくちゃ。っていうかいい加減にその呼び方止めなさい」
「気が向いたらね」
それだけ言って立ち上がった。気分が良くない今、あまり喋っていたくない。
足早に歩いて部屋を後にする。
さっさと仕事でも何でも終わらせて、しばらくは一人でいることにしよう。
どうしようもなく重い気持ちが、あるはずもない心に圧し掛かってきて苦しいから。
姿を変えてエンヴィーは街へ出た。
人間なんか嫌いだ。
生まれたときから生まれた理由は決まっていて。
そのための生、そのための命。
何度死んでもそれは変わらない。何度生きてもそれは変わらない。
だから、自分なんてない。
いつからかそう思っていた。
どんなに生きても、どんなに死んでも、それが自分の意思でないのなら。
意味なんてない。
この世界に意味なんてない。
慟哭はいつしか諦めに代わり、傍観がいつしか嫉みに変わった。
自分よりも短い生を一度だけ生きる人間が羨ましかった。
だから、ひたすら憎んだ。
――――――だけど。
「おまえ・・・・・・」
後ろから聞こえた高めの声にエンヴィーは振り向いた。
まさか、と思う心は一瞬のうちに期待で染められて。
雑多な南部の街の中、人通りの少ない裏道。
視界に映る金色に微笑む。
「・・・・・・オチビさん」
いつからだろう、とエンヴィーは思う。
いつからこの人間の前でだけ、気が緩むようになってしまったのか。
判らない。判らない。だけどこんな自分も悪くなかった。
姿を見るだけで微笑める、そんな自分も悪くなかった。
南部は東部よりも暑く、けれどいつもと同じ長袖の服を着ているエドワードにエンヴィーは駆け寄った。
身構えている相手にそれも当然だと思いながら、けれどどこか寂しい気持ちで笑みを向けて。
「どしたの、オチビさん。今はセントラルにいるんじゃなかったっけ?」
「・・・・・・居場所まで把握してるのかよ、おまえらは」
「まぁね。だって大切な人柱だし」
スルリと口から言葉が出て、エドワードがそれに眉を顰める。
そんな顔が見たいわけじゃないのに、身についてしまった行いを直すことが出来ない。
本当ならこんなことが言いたいんじゃないのに。
「南部に何の用? オチビさんの目を引くようなものが南部にあったっけ?」
「別に、おまえには関係ないだろ」
「関係なくないよ」
笑顔が上手く作れたかな。
「・・・・・・関係、なくないよ・・・?」
声が小さくなってしまった自分に、エンヴィーは笑った。
けれどそれに気づかず、エドワードは吐き捨てるように言う。
「俺は、おまえたちの『人柱』だからな」
「――――――ウン」
頷くだけで精一杯なのを、君は知らないだろう。
手と、足と、動いている心臓。
君が生きているということが、どんなに嬉しいか。
君がまだ生きているということが、どんなに悲しいか。
・・・・・・・・・知らないだろう?
君に会うたびに自分が、どんなに泣きそうになっているかなんて。
・・・・・・・・・知らないだろう?
「・・・・・・オチビさん」
言っちゃいけないと知っている。言ってはいけない言葉だと。言っても意味のない言葉だと知っている。
だけど、言わずにはいれなくて。
エンヴィーは訝しそうな顔をしているエドワードを引き寄せた。
喚いて抵抗する小さな身体をきつく抱きしめて。
顔は、見せられないから。
「何すんだ――――――っ!?」
「オチビさん」
声だけで請う。
今ならまだ間に合うから。
「・・・・・・・・・お願いだから、死んで」
エドワードは目を見開いた。
一瞬のうちに体中を怒りが占めて、鋼の右手に力を込めてエンヴィーの腕を跳ね返す。
ふざけるな、と叫ぶように顔を上げて、そして。
「・・・・・・何て顔してんだよ」
目にしたエンヴィーに罵声を飛ばすことが出来なかった。
目の前の、敵であるはずの相手が、ひどく泣きそうな顔をしていたから。
今にも捨てられてしまいそうな、脅える子供のような顔をしていたから。
痛みさえ覚えているような表情に、エドワードは殴るために握り締めていた拳を解いて。
そっと、自分よりも背の高いエンヴィーの頭に載せる。
何も言えずに、エンヴィーはエドワードの肩に顔を埋めた。
このままエドワードが生きれば、いつか彼は人柱としての役目を果たさなくてはいけなくなる。
それがどんな意味を持つことか、ウロボロスの一員である自分が知らないわけがない。
人柱がどんな扱いをされて、どんな風にその命を散らされるのかも。
・・・・・・・・・知らない、わけがない。
だからこそエドワードには死んで欲しかった。
彼が、『人柱』になる前に。
愚かだということはエンヴィー自身判っている。
自分はエドワードやその他錬金術師を使用して、『お父様』の願いを叶えるために存在するのだ。
だけど、だけど。
「・・・・・・ごめんな」
エンヴィーの背を軽く叩いて、エドワードは言う。
「俺はやらなきゃいけないことがたくさんあるから、まだ死ねない」
「・・・・・・知ってるよ」
「うん、だからごめん」
笑って謝る声が温かくて、だからこそ切なかった。
失われる日が来ることを判っているからこそ、悲しかった。
「・・・・・・バカ」
「あぁ」
「オチビさんのバカ」
「うん」
「俺がこんなにお願いしてんのに」
「うん」
「・・・・・・バーカっ・・・」
背中を叩く手が優しくて、撫でてくれる仕草が柔らかで。
「ごめんな」
エンヴィーはエドワードを抱きしめた。
どうして出会ってしまったのだろう。
自分がウロボロスで、彼が錬金術師。ならば出会いは必然だった。絶対的に運命付けられていた。
すべては避けられないことだった。
ならばせめて、好きになることだけはしたくなかったのに。
自分の心さえも、自分の自由にならないだなんて。
いつのまに、こんなにも愛してしまっていたのだろうか。
切なくて苦しくて止めてしまいたいと何度も思った。
好きになってはいけない相手なのだと知っていたから止めたかった。
それなのに心さえも自由にならないなんて。
ましてや、このままでいたいと、願ってしまうなんて。
自分の肩に顔を埋めている相手にエドワードはクスクスと笑いを漏らす。
それがエンヴィーの耳元をくすぐって、ひどく甘く響いた。
「俺さぁ」
くらりと、眩暈を引き起こすかのような声で、エドワードは言う。
「もしも、もしももしも百歩譲っておまえたちに殺されなきゃいけなくなったら、相手はおまえがいいな」
そんなに楽しそうな明るい声で、なんて酷いことを言うのだろう。
以前とは違って、今はこんなにもウロボロスである自分を厭うているのに。
「・・・・・・俺は、やだ」
「じゃあ他の奴に俺を殺させる?」
「それも、や」
「ワガママすぎ」
ワガママだもん、と言おうとして言葉に詰まる。
エドワードの優しさが愛しすぎて、切なすぎて。
「――――――じゃあ」
エンヴィーはそっとエドワードの肩から顔を上げた。
近い距離で、今度はちゃんと顔を合わせて。
願うのは、ただ一つ。
「・・・・・・絶対に最後まで諦めないで」
立場上、創造上、手を貸すことは出来ないのだけれど。
どうか最後まで前を向いて走っていって。
そして、本当にどうしようもなくなってしまったそのときは。
「俺が必ず、殺してあげるから」
その言葉にエドワードは笑った。
いつもは憎らしいくらいのシニカルな笑みを浮かべているエンヴィーが、こんな台詞を言うだなんて。
こんな熱烈な愛の告白にも似た約束を、自分に向かって、するなんて。
笑い続けるエドワードにエンヴィーは不貞腐れたように唇を尖らせた。
「何笑ってんのさ」
「え、だって面白くて」
「せーっかく俺がオチビさんのために一大決心したっていうのに」
「だからそれが面白いんだって」
「ナマイキ」
ぷにっとエンヴィーの指がエドワードの頬をつまむ。
止めろよ、言いながら、けれど楽しそうに笑って。
そんなエドワードを見てエンヴィーも嬉しそうに笑った。
腕のなかにある温かさは、いつか消えてなくなってしまうけれど。
せめてそのときは、彼の一番近くに。
何よりも誰よりも一番傍に。
金色の瞳が最期に映すのは、どうか自分であってほしい。
明日もし死んだとしても、今日は君のことを想うから。
エドワードを殺したら、もう誰も殺さないことにしよう。
エンヴィーは勝手に心の中でそう決めた。
絶対に絶対にそうしようと、自分にとっての選択を、彼は今、初めてした。
2004年2月22日