「うるせぇ黙れ!」
ダンッと机を叩く音と、甲高い子供の声が響いた。
どうすればいいのか判らずに右往左往していた軍人たちが、その声にビクッと身体を強張らせる。
部屋中が静まり返ったのを見回して、エドワードは口を開いた。
「ハボック少尉」
鋭い金色の眼を向けられて、ハボックはごくりと唾を呑む。
「あんたの隊は先に行って周囲の道路を閉鎖。誰も近くに寄らせるな。ファルマン准尉は犯人の男の調査。少しでも身元が判り次第俺に報告して」
小さな身体を堂々と構え、的確に指示を出していく。
「ブレタ少尉は俺と一緒に現場に行ってもらう。アルはここで連絡の拠点になれ。他もこの場で待機して何か動きがあれば即俺に伝えろ」
誰をも従わせる強い瞳で、エドワードは司令部を見渡した。
大きく息を吸い込み、ハッキリと言い放つ。
「この場は俺に従ってもらう。反論は許さない。いいな!」
「「「「「Yes, sir!」」」」」
司令室の軍人全員がバッと踵を揃え敬礼をとる。
それを見てエドワードは満足そうに笑った。

そのとき東方司令部を統べていたのは、確かに彼だったのだ。





豆さん、事件です!





始まりは、以前に出て行ってから三ヵ月後の今日、エルリック兄弟が東方司令部を訪れたことだった。
けれどいつもと違ったのは迎える側、司令部司令官であるロイ・マスタングと彼の腹心であるリザ・ホークアイがいなかったことである。
聞けばセントラルにいるお偉いさんに呼び出されて、わざわざ嫌味を言われに行っているとか。
大変だなぁ、などと言いつつもエドワードは笑ってしまって。
とりあえず報告書の提出は後回しにして、ハボックやブレタとお茶を飲む。
そんなときに、その事件は起こったのだ。



「犯人は男。銀行に押し入って強盗しようとしたところ、邪魔が入ったから人質をとって篭城中・・・・・・」
ガタン、と大きな音を立てて車がカーブを曲がりきる。
遠心力に逆らえず、エドワードの軽い身体は車内を右から左へと転がされた。
「・・・・・・銀行の職員は全員解放されて、残りの人質は客の一般人が五人」
ガコン、と再度カーブでエドワードが転がって。
「・・・・・・ブレタ少尉、もうちょっと安全運転で頼むよ・・・」
「もう着くから我慢して下さいよ、鋼の錬金術師殿」
「・・・・・・別にいいけど」
慣れない呼び名に眉を顰めながら残りの書類に眼を通す。
ブレタの言葉通り、車は最後のカーブを曲がりきると、道路際にけたたましいブレーキ音を立てて停車した。
扉を開けて、通りへと足を下ろす。
近くにいた憲兵たちが駆け寄ってきて、エドワードを囲うようにして集まっている人込みを掻き分けていく。
「どいて、どいて下さい」
不思議そうに向けられる視線の中で、エドワードは表情を崩さないままに足を進めた。
「ちょっと、あれ・・・・・・」
「何であんな子供が・・・・・・?」
交わされる言葉にも反応はせず、憲兵の作っているバリケードを潜り抜けた。
フリューから借りたサイズの合わない軍服が、その際にコンクリートの地面と擦れる。
ひらけた場所には軍人ばかりがいて、建物を前にして周囲をきっちりと固めていた。
エドワードを連れてきた憲兵の一人が叫ぶ。
「エドワード・エルリック鋼の錬金術師が到着されました!」
バッと向けられる敬礼に一つ頷く。
エドワードは今、青いコートをまとった軍人としてこの場に立っていた。



建物の正面まで辿り着くと、エドワードは見慣れた顔に声をかけた。
「少尉、経過は?」
煙草をふかしながら、ハボックは溜息混じりに答える。
「全然ダメ。残りの人質は解放しないし、呼びかけにも応じない。大将、こりゃ別の作戦を考えた方がいいと思うぜ」
「俺としては、突入だけは避けたい。犯人の武器は?」
「解放された職員によると、刃渡り30センチくらいの包丁一本」
「火気弾薬は?」
「一切ないみたいだな」
「・・・・・・そっか、良かった」
ここに来て初めて、エドワードは小さく頬を緩めた。
火気弾薬がないということは、おそらく周囲を巻き込んだ破壊には繋がらないだろう。
それならば守るべき人数は極端に軽減される。その分、人質の危険は上がるけれども。
少しだが安心したらしいエドワードの頭を撫でようとして、ハボックは手を止めた。
今目の前にいるのは子供ではない。この場にいる人間の命と、事件の解決を双肩に乗せている上司なのだ。
軽々しく接するべきではない。
「それで、どうすんだ?」
「決まってるだろ。説得を続ける」
「長期戦になるな」
「・・・・・・あぁ」
幼い顔に真剣な表情を浮かべて、エドワードは頷いた。
「だけど、やらなきゃいけないんだ」
その言葉には硬い決意が表れている。



ロイとリザの両方がいない東方司令部に、突如舞い込んだ銀行立て篭もり事件。
日頃仕事に明け暮れているとはいえ、司令官のいない現状に司令部はいっきに混乱に陥った。
東方司令部には将軍はいるけれども、その人物は高齢もあって前線を指揮するということはない。
事実上、ロイが完全に仕切っているのである。
だからこそ彼がいないときの連携は拙かった。
どうしようどうしようと右往左往するばかりの軍人たちばかりに、ついにその場に居合わせただけのエドワードが怒りを爆発し、そして今に至るのである。
エドワードのカリスマにも似た統率もあるけれど、たしかに将軍を抜かせば彼の地位が現東方司令部では一番高いのである。
一般軍人ではないとはいえ、国家錬金術師は佐官相当の地位を得ているのだから。
ロイのいない今、イーストシティを守るべき力を持つものはエドワードだけだ。
小さな肩に責任を乗せて、彼は軍服に袖を通す。



『あーあー』
ハンドスピーカーのマイクを手で何度か叩いて具合を確かめる。
ちゃんと音が拡大されるのを確認して、エドワードは建物へと向かって話しかけ始めた。
『銀行の中にいる犯人に告ぐ。周囲は完全に包囲されている。無駄な抵抗は止めて出てきなさい』
定番の台詞を言って少し待ってみるが、反応は返ってこない。
エドワードは眉を顰めてハボックを振り返った。
「なぁ少尉。こういう場合は犯人の方から何かしらの要求があるもんだよな?」
逃亡用の車を用意しろとか、逮捕されている仲間を釈放しろとか。
聞けばハボックも深く頷いて、それを見てエドワードは腕を組んで考え込んだ。
そしておもむろにハンドスピーカーを隣へと押し付けて。
「おい、大将?」
「反応がないってことは、犯人が反応を返さないか、返せない。それか返してるのにこっちまで届かない場合がある」
「あぁ・・・・・・」
「なら、こうしてマイクを作るのみ―――っと」
エドワードは両手を合わせると、そのまま地面へとつけた。
七色にも輝く錬成反応が現れ、足元から建物の方へと向かって走っていく。
しばらくの後、建物の方から『ぎゃあ!』という拡大された声が聞こえてきて、エドワードは満足そうに立ち上がった。
「・・・・・・大将、何したんだ?」
「建物の内部にマイクを作ったんだよ。ここから建物内まで直線距離で50メートル。壁とか考えたら声が届くはずもないし、これじゃ犯人と交渉も出来ないから」
「錬金術ってのはそんなことも出来るのか・・・」
感嘆半分、呆れ半分の言葉に苦笑を返して。
エドワードはもう一度ハンドスピーカーのスイッチを入れた。
『銀行の中にいる犯人に聞く。俺の声が聞こえるか?』
『〜〜〜〜〜〜何だこれはっ! おまえの仕業か!?』
『錬金術でおまえのいる建物内にマイクを作った。それで、要求は何だ?』
『・・・・・・おまえは誰だ? 声からしてまだ子供だろう。東方司令部の最高司令官を出せ』
『マスタング大佐はこの場にはお見えにならない。俺に全権を委ねて下さった』
嘘をサラリと言って、エドワードは宣言する。
『俺はエドワード・エルリック。鋼の錬金術師だ』



犯人と話を始めてから一時間。
最初は要求は何だと尋ねていたが、犯人が中々言おうとしないので、エドワードとしてはいい加減に苛立ち始めてきている。
いつもの彼ならもうとっくに切れて突入しているだろう。そうしないのは人質がいて、それ以前に自分がこの場の指揮官だから。
自分を殺して行動しているエドワードを眺めながら、ハボックはそんな彼の態度に感心していた。
そんなとき、止まっている車の間を縫うようにして見知った顔が走ってくる。
「鋼の錬金術師殿!」
「―――ファルマン准尉」
「犯人の身元が判りました!」
「マジ!?」
ハンドスピーカーを放り投げてエドワードが走りより、彼とファルマンを中心に人が集まる。
いつも冷静に説明をする声が少しだけ早口になっていた。
「犯人の名前はジョーイ・セント。年齢は35歳。イーストシティ市内で小さな飲み屋を経営しています」
「事件の動機となりそうなものは?」
「店の経営は順調とは言えませんが、最悪というものでもありません。何しろ東部はまだ不安ですし」
ただ、と口篭るファルマンをエドワードは見上げる。
「・・・・・・彼には妻と一人娘がいるのですが、娘は病を患っているらしく体調は思わしくないようです」
「手術費用が必要ってことか」
「おそらくは」
「家族の身柄は?」
「押さえてあります。連れてきましょうか?」
エドワードは首を振った。
「・・・・・・いいよ、具合悪いんだろ」
それだけ言ってハンドスピーカーを持ち上げて再びスイッチを入れる。
コンコン、と音が響くのを確認して。

『―――犯人、聞こえるか?』

背筋を伸ばした小さな姿は変わらないのに、言い表せない雰囲気を感じて、その場に居合わせた軍人たちは肩を揺らす。
声変わりの終えていない声は高くて、それが空気を震わせて周囲に響いて。
突き放すようにエドワードは言った。
『あんたが罪を犯して娘を元気にさせたって喜ぶ奴は一人もいないんだよ。そんなやり方じゃ苦しくなるばっかだ』
その背中はやけに小さく見えて。
『今ならまだ罪は軽くて済む。あんたはまだ誰も傷つけてないし、要求だって出しちゃいない』
握られた左手がやけにきつくて。
『自首すればもっと刑は軽くなる。俺も出来る限りの便宜を図るから。だから』
搾り出される泣きそうな声。
己の過去と照らしあわしたのか、身を切るように心から願って。



『早く・・・・・・出てきてくれ』



取り返しのつかないことになる前に、という小さな呟きがスピーカーによって拡大され、まるで祈るかのように聞こえた。



犯人が投降してきたのはそれから少し経ってのことだった。
初めてエドワードの姿を見て犯人は戸惑ったように瞳を揺らしたけれど、すぐに深々と頭を下げた。
エドワードも頷くことでそれに返して。
犯人を乗せた車が東方司令部へと向かうのを見ながら唇を噛んだ。
けれどポン、と頭の上に載った手に顔を上げる。
「ご苦労さん」
いつものように煙草を吹かせたハボックがこちらを見下ろしていて。
その軽さに、エドワードは自分の身体が思っていた以上に強張っていたことにようやく気づいた。
ゆるゆると四肢から力が抜けていって。
ついにペタリとその場にしゃがみ込み、巨大な溜息を吐き出す。
『指揮官』から『子供』へと戻ったエドワードに、軍人たちは頬を緩めて温かく笑った。
「つっ・・・かれたー・・・・・・」
「ご苦労さん」
もう一度言われて、金色の髪をグシャグシャに掻き混ぜられて。
「ま、優秀な司令官に免じて後の書類報告は俺らで提出しときますよ、鋼の錬金術師殿?」
「え、でも」
「大将は今のうちに宿に帰って一眠りしとけ」
「そうですね、明日になれば将軍もエドワード君から直接話を聞きたがるでしょう」
「そーゆーこと」
まだ道路にへたり込んでいるエドワードを抱き上げてハボックは笑った。
こんなに軽いのにな、なんて思いながら車の後部座席に押し込んで。
「後は我々にお任せ下さい、鋼の錬金術師殿」
笑いながらもしっかりと敬礼した。
この小さな司令官に敬意と感謝の念を込めて。
軍人たちの笑顔に、エドワードも照れたように笑った。



本当の司令官であるロイ・マスタングが帰って来たのは、立て篭もり事件があった二日後だった。
「あぁ疲れた・・・・・・中尉、今日は―――・・・・・・」
「もちろん不在中に溜まった仕事を片付けて頂きます。それが終了し次第どうぞご帰宅なさって下さい」
「・・・・・・」
優秀だか優秀すぎる副官に一蹴されてロイはめそめそと涙を拭った。
憲兵たちの挨拶を適当にやり過ごして慣れ親しんだ執務室へと戻る。
しかし、扉を開けてロイはピタリと固まった。そして、それを不思議に思って中を覗き込んだホークアイも目を丸くして。
東方司令部執務室は、いつものように軍人たちがざわざわと仕事をこなしている。
「ブレタ少尉、置き引き事件の報告書ってまだー?」
「頼むエド! あと三時間待ってくれ!」
「ダーメ、あと一時間半ね。ファルマン准尉、この報告書の書き方を教えて欲しいんだけど」
「あぁはい、判りました」
「エドワードさん、少しは休憩なさって下さいね」
「あっドーナツ! サンキュ、フュリー曹長」
「兄さん、決壊した土手の作業は終わったよ」
「お帰り、アル。ご苦労様。ハボック少尉は?」
「帰りに万引き犯を捕獲したから、その犯人を連れてくるって」
「ゲ。また仕事が増えた・・・・・・っ」
「頑張って、兄さん」
朗らかに声を交わしながらも、机にある書類はちゃんと減っていっている。
それはつまり、仕事がこなされていっているという事なのであって。
いつもロイが座っている東方司令部で一番高価な椅子には、今は小さな少年が座っている。
青の軍服に身を包んだ、金色の髪と目の持ち主が。
「・・・・・・・・・鋼の?」
零れ落ちたロイの呟きに執務室にいた面々が振り返って、ようやく本来の上司の存在に気がついた。
テキパキと書類にサインしていたエドワードが勢いよく顔を上げる。
「大佐の無能! 遅ぇんだよ、帰って来るのが!」
開口一番で怒られて、やはり事の次第が判らないロイは首を傾げる。
しかしそんな彼を気にすることなく、エドワードは椅子からピョンっと飛び降りて肩をグルグルと回した。
「よっしゃ! 大佐も帰ってきたし、これにて俺の仕事は終わり!」
喜ぶ子供の声とは裏腹に、ロイとホークアイを除く軍人からは不満の声が上がる。
「えーエド、もっと仕事してってくれよ」
「そうですよ、何なら正式な軍人登録でもしてもらえると助かりますね」
「エドワードさんの仕事って適切ですからね。溜め込んだりもしないし」
「大佐よりも大将の方が上官としてはいいかもな」
「俺がやだって。とにかく終わり!」
サイズがピッタリの軍服の裾を翻してエドワードは入り口へと走り寄る。
まだ状況の判っていないロイの手を無理やりに挙げさせて。
「大佐、交代!」
ハイタッチで代わろうとした。



―――――が。



エドワードの手をしっかりと握り締めた・・・・・・むしろ捕まえたのは、大きなロイの手ではなかった。
あれ、と思って視線を動かせば、その手から腕は隣にいたホークアイへと繋がっていて。
その瞳がやけに真剣なのは気のせいだろうか、とエドワードは思う。
「エドワード君」
声もやけに切羽詰っているなぁ、なんて思って。
そんなエドワードの両手をきつく握ってホークアイは言う。
「東方司令部は、あなたのような存在を待っていたの」
そして彼女はその足で隣にいた上司を蹴飛ばしたのだ。
突然ペイッと執務室の外へと蹴りだされたロイは、もう本当に何が何だか判らなくて半ば泣きそうになっていて。
しかしそんな上司にホークアイは綺麗な笑顔を浮かべた。
「大佐、今日はお望みどおりにお帰りになられて結構です」
「―――」
「後はエドワード君に頼みますから」
そう言葉を残して、執務室のドアは閉められた。
本来ならばその部屋の主であるロイを廊下に残して。
楽しそうな明るい声が隙間から漏れてくる。
「え、ちょっと中尉!?」
「お願いエドワード君。贅沢は言わないわ、せめて今溜まっている仕事だけでいいから片付けて欲しいの」
「でもそれって大佐の仕事じゃん!」
「事情は良く判らないけど、今司令部の決裁の権限はエドワード君に任されているのでしょう?」
「そうっすよ、中尉。二日前にあった銀行立て篭もり事件を大将が解決して、それを見込んだ将軍が大佐が帰ってくるまで大将をここの責任者に任命したんス」
「将軍もいいことをして下さるわね。その軍服もわざわざエドワード君のために?」
「はい。エドワードさんにとても似合いますよね」
「・・・・・・中尉ー・・・俺、もう旅に出るつもりなんだけど・・・・・・」
「仕事を片付けてくれたら列車の特等席コンパートメントを用意するわ。だから、お願い」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・諦めなよ、兄さん」
よく判らないけれど、自分がいない間に何かが起こったらしい。
それだけがロイには判った。
後、自分が今現在仲間はずれにされていることも。
「・・・・・・・・・どうせ私なんか・・・・・・」
その後しばらくの間、廊下で体育座りしてのの字を書く焔の錬金術師が目撃されたとか。



とりあえず、にわか司令官は大好評だったのである。





2004年2月17日