「四時までにこの仕事を全部終わらせたら、キスしてやる」
机と言わず棚に床にと積み上げられている書類の山を指差してエドワードは言った。
ぽかんとこちらを見上げてくるロイを見ながら、満面の笑顔を浮かべると自分の唇に指先で触れて。
そしてその指先を、今度はゆっくりと椅子に腰掛けたままのロイの唇に触れさせる。
一瞬だけ、震えが走って。
「・・・・・・Ready go!」
AM10:00
愛を懸けたゲームが、今始まった。
キス・イン・ザ・ハーツ
ガチャリと扉を開いて入ってきたホークアイは、執務室内の状況に目を細めた。
彼女の視線の先には、大量の書類に見え隠れしながらも必死で仕事をこなしている上司の姿。
無意識に引きつりそうになる唇をどうにか押さえて、けれど堪えきれなかった溜息が唇から漏れる。
いつもこうならいいのに、とは言っても無駄なだけなのだ。
けれど思わずにはいられないところに、ロイの仕事滞納ぶりとホークアイの苦労が見て取れる。
「・・・・・・ありがとう、エドワード君」
苦笑交じりで礼を言うホークアイに、ソファーに寝転んで本を読んでいたエドワードは顔を上げて笑った。
「いいよ、これくらい。中尉にはいつもお世話になってるし」
「でもあのスピードだと本当に四時までに終わりそうよ?」
「んー・・・・・・」
チラリと二人は書類の向こうのロイへと視線を走らせた。
ペイッとサインの書きこまれた書類が宙を舞う。
ペイッ・・・ペイッ・・・ペイッ・・・・・・
手が伸びてきては紙を取って消え、数秒後にはそれが投げられて床へと落ちていく。
いつもの己の有能さにかこつけて仕事を伸ばし伸ばしにしているロイとは思えない、ものすごい執務のこなし方である。
この分ならホークアイの言うように、確かに四時までにすべての仕事が片付きそうだった。
―――ギリギリかも、しれないけれど。
「・・・・・・俺、一週間分の仕事くらい愛されてるのか・・・」
「言い得て妙ね、それは」
呆れの眼差しで眺めている二人にも気づかず、ロイはひたすら書類と格闘するのだった。
PM00:00
エドワード、天一のチャーシューメンを出前してもらう。
ハボックと他愛ない話をしながら食べる。
ロイ、書類と格闘中。
PM1:20
エドワード、本を読み終わったので資料室へと返しに行く。
ホークアイが処理済の書類を拾いに来る。
ロイ、書類と格闘中。
PM2:30
エドワード、ソファーでお昼寝を始める。
フリューが仮眠室から毛布を持ってきて掛けてあげる。
ロイ、書類と格闘中。
PM3:10
エドワード、お昼寝から目覚める。
休憩中だったブレタとファルマンがトランプに付き合う。
ロイ、書類と格闘中。
エドワードは軍から支給されている国家錬金術師しか所有できない銀時計を開いた。
(ちなみに彼自身のは開けないので、もちろんロイのものである)
カウントダウン、開始。
「ごー」
ロイ、処理済の書類を投げる。
「よーん」
ロイ、未処理の書類を引きずり出す。
「さーん」
ロイ、ペンの先を折る。
「にー」
ロイ、錬成してペンを創り出す。
「いーち」
ロイ、インクをつけてペンを走らせる。
「はい時間ぎ」
「終わったぁっ!!」
最後の書類を放り投げて、喜びを全身で表してロイは叫んだ。
一週間分溜め込んだ仕事も、ホークアイがついでだからと持ってきた今あるだけの仕事も、全部見事に片付いていて。
細く扉を開けて見ていた彼の部下たちは思ったものである。
この上司についていって本当に大丈夫なのか――――――と。
「さぁ鋼の、ご褒美の時間だ」
ウキウキと今にも踊り出しそうなくらいご機嫌なロイに、エドワードはひくっと頬を引きつらせた。
床に散らばっている書類をまとめていたホークアイが何か言おうと顔を上げるが、エドワードはそれを制す。いまだ引きつる顔で笑いながら。
「・・・・・・俺も男だからな。言ったことは守る」
大佐を止めてエドワード君についていこうかしら、とその時ホークアイが思ったとか思わなかったとか。
気がかりな様子のホークアイを安心させるように微笑して、エドワードは彼女を執務室から出て行かせた。
さすがに覚悟を決めたとはいえ、自分がロイにキスするシーンを他の誰かに見せたいとは思わない。
・・・・・・・・・それにしても。
「大佐、そんなに俺からキスしてほしかったのか?」
溜め込んだものと今日あったものの合計約10日分の仕事を六時間で片付けてしまうくらいに。
何だか微妙だ、と考えるエドワードにもロイはとても嬉しそうに頷いて。
「鋼のがキスしてくれるなんて初めてだろう?」
「つーかキスする理由がないじゃん。俺と大佐は恋人じゃないんだし」
「だからこそ喜ぶのも当然だろう?」
本当に当たり前のようにロイは主張して。
エドワードは手の施し様もないと思って溜息をついた。
「・・・・・・そこ、座って」
ルンルン気分のロイは今年で一応29歳になるはずのイイ歳した大人である。
「目、閉じて」
ソファーに座ったロイはエドワードの言うとおり大人しく目を閉じた。
しかしその顔にはやはり喜びの色が全面に押し出されていて。
自分が言い出したことながらも、エドワードはアホだと思わずにいられなかった。
何だかなぁと溜息をつきながら、その整った顔に手を添える。
途端にロイの表情が何割か増しで輝き出す。
やっぱりアホだとエドワードは思った。
黙っている分には整って見えるロイの顔。きっと一般女性はこの手の顔が好きなんだろう。
ペタペタと両手で耳やら額やらを触りながらエドワードは考える。
まだ約束のご褒美はあげていないのだが、触られているロイはそれでも非常に嬉しそうな表情で。
むにっと頬を抓んで、思わず二人して笑みなんか漏らしたりして。
目を瞑っているロイには判らないけれど、エドワードは困ったように眉を寄せた。
今、彼の頭の中には一つの考えが浮かんできている。
・・・・・・・・・どうしよう。
どうしよう。デコピンしたい。
この自分の手の中にある顔。
何だか必要以上に整っている顔。すました表情がとても良く似合う顔。
その、ロイの顔に。
・・・・・・デコピンしたい。
エドワードは今、心の奥底からそう思っていた。
「鋼の?」
「ちょっと待って。ドキドキしてるから」
デコピンしたくて。
心の内で続けられた言葉を知ることもなくロイは再び嬉しそうに大人しくなって。
その様子を見てエドワードは尚更欲求が強くなるのを感じる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
真剣な表情で悩みに悩んで、エドワードは決めた。
――――――結論。
びしっ
「っ!?」
ちゅぅ
「っ!!」
一応ロイを気遣ってか、鋼の右手ではなく生身の左手で一撃を食らわせて。
その後で、驚いているロイの唇に軽い感触。
痛みと柔らかな感覚に驚いてロイが瞼を上げれば、目の前にはエドワードの日に焼けていない喉が。
そしてもう一度、軽い音を立てて唇が落とされる。
・・・・・・デコピンを食らって赤くなっているその額に。
「仕事、ゴクロウサマ」
呆気に取られているロイに、ニィッと歯を見せてエドワードは楽しそうに笑った。
2003年12月2日