ある海に、人魚が住まう王国がありました。
その国の王様には美しい娘たちがいて、その中の末娘は15歳の誕生日にようやく海上の世界に行くことを許されました。
そして人魚姫は、王子様と出会ったのです。
ロイは目を見張った。
通りの向こう側を歩いている大きな鎧と、その隣の少年。
光を受けて蜂蜜色に輝く金糸と、太陽のように輝く瞳。
久しぶりに見ることの出来た姿に、ロイはつい見とれてしまった。
「・・・・・・・・・鋼の」
こんな感じで、始まり始まり。
童話・ロイ魚姫
王子様のことが忘れられない人魚姫は、お城に帰ってからも、人間になって王子様の傍にいたいと願うようになりました。
「鋼の・・・・・・」
ロイの溜息とともに書類が一枚床へ落ちる。
先程からそれが何度も続き、今では床は未処理の書類で海が出来ていた。
しかしロイはそれにも気づかず、溜息をついて。
「・・・鋼の・・・・・・」
そしてもう一枚、書類が波になる。
決心した人魚姫は、海の底にいる魔女のところへいき、美しい声と引き換えに、人魚の脚を人間の足に変えてもらいました。
しかし、王子様と結婚できなければ、人魚姫は泡となって消えてしまいます。
それでも人魚姫は王子様と会うことを選んだのです
「却下」
ホークアイ中尉の容赦ない一言が司令部に響いた。
思わず周囲の面々は固まり、次いで「仕方がないな」と苦笑する。
しかし笑って見過ごせないのはロイで。
「頼むっ中尉!鋼のがこの街に来てるんだ!こんな機会は3ヶ月に一度あるかないかなのは君も知ってるだろう!?」
「えぇ、知っています。大佐の机の上の書類が明日までの期日だということを」
「ぐっ」
体制はまず間違いなくロイが劣勢。主張の正当性も優先事項の順番も、まちがいなくホークアイが優勢。
しかしロイ(と書いて愛の亡霊と読む)はめげなかった。
「―――八時!これから鋼のに会うことが出来れば、今夜の八時には戻ってきていくらでも徹夜で残業しよう!未処理の書類もすべて終わらせる!」
オォ、と話を聞いていたハボック少尉をはじめとした彼の部下たちは、このロイの台詞に驚いた。
あの、仕事をサボってデートする大佐が、あの九時五時命の大佐が。
たった一人の少年との逢瀬の為に、地獄の書類整理に立ち向かおうとするとは!
(ロイは知らないが、未処理の書類は別室に山となっている)
「鋼のたちは何時この街を発ってしまうか判らない!だから中尉、頼むっ!!」
部下に頭まで下げたロイを見ながら、司令部の面々は思った。
恋・・・・・・っていうか、恋する大佐って愚かだなぁ――――――と。
「・・・・・・・・・八時には必ず執務室に戻ってきて下さい」
ロイが顔を上げる。
ホークアイは呆れと疲れが半々の顔で、上司に告げる。
「それが守れないのでしたら、エドワード君たちには即刻この街から出て行くように頼みます」
「判った!ありがとう、中尉!!」
次の瞬間、ロイの姿はなかった。
「・・・・・・・・・アホっスね、あの人」
ハボックの声に同意するもの、全員。
浜辺に倒れていた人魚姫は王子様に助けられ、王子様の傍で幸せな日々を過ごしていました。
「あれ、大佐?」
人波をものすごい勢いで掻き分けて走ってくる人物に、エドワードは声を上げた。
見なれている青の軍服が、見る間にどんどんと近づいてきて。
「ひっ久しぶりだな、鋼の!」
「久しぶり、大佐。どうしたんだよ、そんなに急いで」
「いや・・・・・・アルフォンス君は一緒じゃないのかい?」
「うん、アルは買いたいものがあるからって別行動」
「じゃ、じゃあこれから一緒に食事でもどうかな。夕飯にはまだ少し早いかもしれないが、美味しい店を見つけたんだ」
「大佐の奢り?なら行く」
よかったね、大佐。
人魚姫と王子様は幸せに暮らしますが、王子様は他国のお姫様と結婚することになりました。
「あー美味かった!大佐っていつも美味しい店に連れてってくれるよな」
「鋼ののためだからね」
とてつもなく幸せそうに微笑んで、ロイが甘く告げる。
しかし現実はそんなに甘くなかった。
「デザートをもう一品どうだい?」
「あ、悪い。そろそろアルとの待ち合わせだから行かなきゃ」
「!!!!!」
時刻は今、七時になろうかというところ。
「も、もう行ってしまうのかい?」
「うん。今夜八時の列車でセントラルに行くんだ」
「一泊もしないで!?」
「電車の中で寝るよ。夜行だし」
八時。
ロイがホークアイに許された時間も八時。
エドワードが去って行ってしまう列車も八時。
天秤が傾いた。
「・・・・・・・・・見送りに行っても、いいかな」
時計がゆっくりと進んで行く。
人魚姫のお姉さん達は、妹が泡にならないように、短剣で王子様を刺すように言いました。
そうすれば人魚姫は泡にならずに戻れるのです。
ガシャンッ
「行くわよ、ハボック少尉」
「Yes, sir」
ザッザッザ・・・・・・
人魚姫は王子様を刺そうとしますが、どうしても出来ません。
列車がまもなく出発することを汽笛が知らす。
「じゃあ大佐、元気でな」
「皆さんにもよろしく伝えて下さい」
エドワードが手を振り、アルフォンスが頭を下げる。
ロイは悲しそうに微笑んで頷いた。
手を伸ばして、窓枠越しにエドワードの金糸に触れる。
「気をつけて行っておいで」
ポンポンと撫でて、よしよしと撫でる。
触り心地が良くてこのまま離したくないな、などと考えたときにそれは起こった。
ドンッ
何かがものすごいスピードでロイの髪を横切り、一房を地面へ落とす。
突然のことにエドワードもアルフォンスも固まったが、その度合いはロイの比ではなかった。
ガタガタガタとロイの身体が震え始める。
「あ、中尉」
ホッとしたようなエドワードの言葉は、ロイにとって地獄の宣告にも等しかった。
人魚姫は王子様を刺せず短剣を捨て、海に身を投じました。
ドンッ
「言いましたよね、『八時には必ず執務室に戻ってきて下さい』―――と」
ドンドンッ
「駅から司令部まで車を飛ばしたとして7分。エドワード君たちを見送ってからじゃ到底無理です。それくらいは判りますよね?」
ガシャン・・・・・・ドンッ
「覚悟は宜しいですか?大佐」
覚悟も何も、とハボックは傍観しながら思った。
さっきから繰り返される銃声は、乗客にはまったく害がないように撃たれている。
さっきから逃げ回っているロイは、乗客にはまったく害がないように逃げている。
なんだかな、とハボックは思った。
「す、すすすすすすすすすまない中尉っ!だが何故八時前なのに君達がここに!?」
「大佐の考えることなんて容易に判ります」
「じゃあ少しくらい見逃してくれたって・・・!」
「出来ない約束は最初からしない方が懸命ですよ」
繰り返される銃声を聞きながらハボックはそういえば、と思い出した。
ホークアイは確か、先日の非番をロイの逃亡により潰されていたはずだ。
その鬱憤を今まさに晴らそうとしているのだろう。
自業自得とは、まさにこのこと。
プルルルルルルルル、というベルの音が銃声に混ざって響いて。
「えーっと・・・・・・・・・じゃあ、また」
「あぁ、気ぃつけてな」
「失礼します」
エドワードとアルフォンスを乗せた列車が音を立てて出発して行く。
「鋼のおおおぉぉぉぉお!!
残ったのは、ロイの泣き叫ぶ声だけ。
けれども心優しい人魚姫は、海の泡にならずに、天使に手を引かれて空へと昇っていくのでした。
「ほら、キリキリ働いて下さい。いくらでも徹夜すると仰ったのは大佐でしょう?」
「うううううう・・・・・・鋼の・・・・・・・・・」
「もう一発くらいたいんですか?」
容赦のないホークアイの声と、大量の書類に追われてロイの夜は過ぎていく。
エドワードとアルフォンスの乗った列車は、すでに東部を出て行こうとしていた。
めでたしめでたし。
「・・・・・・っていうかーだから俺の出番は?」
ありません。
「・・・・・・殺すよ?」
ぎゃあ!
2003年11月15日