11:今だけは背中を見ててあげるけど、いつかは
「主上」
声をかけられ、珍しく政務に励んでいた尚隆は顔を上げた。
「何だ、朱衡」
「お客様がお見えで御座います」
「客? そんな予定だったか?」
「いいえ。ですがお通しした方が宜しいかと思いまして」
あっさりと、けれどどこか諦めが入った様子でそう述べる官に、尚隆は僅かに訝しんだ。
けれどその謎もすぐに解ける。
朱衡の後ろから飛んできた、華やかでありながら喧しい声によって。
「お久しぶり、尚隆。相変わらず田舎くさい格好をしているのね」
美少女に見えても中身は延麒。
他国の女史が評していた言葉を思い出して、尚隆はこめかみを引き攣らせつつ同意を示した。
勝手知ったる様子で玄英宮を動き回る。
調度品や何やらを扱き下ろしては好きなものに変えさせ、滞在中は我侭三昧。
決していい印象を与えているわけではないのに、どことなく憎めない感のある範国氾王と氾麟は、この玄英宮ではよく知られている存在だった。
国交も深く、度々ある式典の際には互いの国を訪れている。
だから雁の官たちは学んでいた。
氾主従を静かにさせるには、我らが王を差し出しておけばいい―――――と。
六太がいれば大いに反論しそうだが、官にとっては事実であり真実なのだ。
実際、尚隆を与えておけば氾主従は彼を振り回して着飾らせて連れまわして、官たちには迷惑をかけずにいてくれる。
仕事が滞らなくもないが、それは氾主従が帰国した後に缶詰状態で片付けてもらえばいい。
よって、玄英宮では彼らが来たときの対応は決定していた。
生贄を差し出すがよろし、である。
いつもどおり人身御供に差し出された尚隆は、知ってか知らずかちゃんと氾麟の相手を務めている。
とは言っても執務室に彼女が進んでやってきたため、仕事片手間にだったが。
「今日は六太はいないの?」
興味深そうに室内を見回していた氾麟が、長椅子に腰掛けて問う。
「あいつは使いに出している。それより何か用か?」
「どこにいってるの? お隣?」
「慶ではなく、個人的な知り合いの元だ。それより何か用か?」
「個人的な知り合いって誰? まさか恋人?」
「そんなものいて堪るか。それより―――」
「あぁもう煩いわね! そんなに早く私を帰らせたいの!?」
「帰らせたいに決まってるだろう。おまえたちが来ると仕事が捗らなくて困る」
「いつも抜け出しているくせによく言うわ」
不貞腐れた様子で頬を膨らませる彼女にも、尚隆は何も反応せずに筆を走らせる。
こういったときに自分は彼よりも幼いのだと知って、氾麟は悔しさを覚えるのだ。
昼行灯で放浪癖があって、自らの半身にも官にも心配かけてばかりのどうしようもない男だけれど。
五百年もの長い間、一国を治めてきたのは伊達ではない。
二百年の差は、確かに存在するものなのだ。
「・・・・・・今日は主上から書簡を渡すように言付かってきたの」
これ以上子供だと思われるのも癪なので、言いつけをこなすために袖から手紙を取り出す。
範の中でも最高級の紙を使って作られた文には、氾王の流麗なる直筆で用件がしたためられている。
差し出せば節くれだった指がそれに触れ、雑な動作で受け取っていく。
決して美しいとは言えない仕種も、今目の前にいる男がすれば全てが絵になってしまうのだ。
だからこそ氾麟は悔しくて仕方がない。
「・・・・・・・・・ねぇ、尚隆」
真面目な顔をして書簡に目を通している彼を、立ち上がって見下ろして。
相変わらず顔を上げようとしない尚隆に苛立ちを感じながらも、安心する。
だって目が合ったりでもしたら、きっと取り返しのつかないことになってしまうから。
「今度の式典の衣装は全部範で用意するから、身体一つでうちに来てね」
机の横を通って後ろに周り、漆黒の髪を束ねている桃色の紐を引っ張る。
突如広がった己の髪に、ようやく尚隆は顔を上げた。
首を捻って自分を見てくるのに、氾麟は笑顔を浮かべて。
「主上といろいろ考えてるの。いつもは田舎侍な尚隆だけど、範に来たらそれは許さないわよ?」
「・・・・・・おまえたちは、何度俺を着せ替え人形にすれば気が済むんだ?」
「さぁ。何度かしら?」
ふふ、とまるで花のように、けれど企みながら氾麟は笑う。
そして両の手で黒髪をすくい、器用にも編み込みを始めた。
自分を着飾らせるのが好きな彼らの行為に、ほんとど反抗するのを諦めて尚隆は好きなようにさせる。
「・・・・・・ねぇ、尚隆」
「何だ」
再び書簡に目を通し始めた彼の髪を弄びながら、氾麟は弾んだ声音で言った。
「誰もが振り向くような色男にしてあげるから、楽しみにしててね」
ぱちくりと目を見開き、次いで尚隆は苦笑した。
鼻歌を歌いながら髪を結い上げていく氾麟にくつくつと笑いながら。
「―――あぁ、楽しみにしている」
「あーっ! 姐ちゃん、尚隆に何してんだよ!」
「六太うるさーい。ねぇ尚隆、今日は泊まっていっていいでしょう? なら私、尚隆の部屋がいいわ。あそこが一番居心地がいいんだもの」
「うるせぇ! 姐ちゃんは客殿で大人しくしてろよな!」
「六太こそうるさーい! 私と尚隆の邪魔しないでよね!」
以下、エンドレス。
2006年2月19日