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08:手を伸ばせば、すぐにあなたに届く距離で
どうしてこんなことになっているのだろう。
夕暉はそんなことを考えながら、手の中の杯を両手で握り締めて溜息を吐いた。
「どうした、溜息なんぞ吐いて。ほらさっさと食え、そして飲め。―――女将、もう一杯酒を追加だ」
騒がしい店内でも不思議とよく通る声で注文を受け、遠くにいた女将が答える。
新たになみなみと酒が注がれた杯が届けられ、もう机の上には置き場もないほどの皿や杯で溢れていた。
「気にするな。俺の奢りだ」
だから遠慮せずに食え。
そう言われては夕暉としても断るわけにはいかず、箸を手にして会釈した。
「・・・・・・いただきます」
おお、と男は頷いて、酒の入った杯を景気よく煽った。
夕暉が男と出会ったのは、堯天にある一軒の文具店だった。
定期的に兄と文の遣り取りをしている夕暉は、その文具店にて売っている紙を愛用していた。
銀を与えると言葉を伝えてくれる青鳥を陽子が貸してくれると言ってくれたのだが、さすがにそれは恐れ多すぎると兄弟は辞退した。
いくら叛乱を共にした同士とはいえ、陽子はこの慶国の二人といない王。
その所有物であり他国との交流にも使用される青鳥を、たかが兄弟の遣り取りのために使うなんてとんでもない。
陽子がそんなことを気にする人物ではないと知っていても、こちらとしては固辞するしかない。
ゆえに、彼らの遣り取りは文によって行われているのだった。
なので今日も店に入り馴染みの紙を手に取ったとき、声はかけられた。
「その紙を買うということは、送る相手はそれなりの相手ということか」
太く、それでいて深みあるそれに夕暉が振り向くと、そこには一人の男が立っていた。
彼は己を、風漢と名乗った。
引っ張られるようにして連れ込まれた店は、夕暉の初めて入る食堂だった。
値段が安い割りに料理は美味しい。女将も恰幅がよくて雰囲気の良い店内に、今度兄と会えたときは一緒に来よう、と夕暉は心中で決める。
「それで、夕暉といったな」
「・・・・・・はい」
美味しい料理に気を取られていて忘れかけていたが、今、自分は名前しか知らない男と席を共にしているのだ。
何でこんな事態になっているのだろう、と何度目になるか判らないことを夕暉は再び考える。
けれど男はどんな夕暉の様子もどこ吹く風で続けた。
「文を出す相手は女か?」
「・・・・・・・・・あなたには関係ないでしょう」
「あぁ、ないな。だが俺はおまえに用がある」
断定的に言われると、つい黙り込んでしまう。それほどの圧しの強さが目の前の男にはあった。
年の頃はおそらく二十代後半。長い黒髪を桃色の紐で結わいている。
飄々とした言動に振り回されがちだが、その容姿は群を抜いて際立っていた。
女性が好きそうな人だな、などと夕暉は勝手に判断して。
「何ですか、僕に用って」
警戒心をあらわにして尋ねると、男は懐から薄い紙を取り出した。
ひらひらと男がそれを翳すと同時に、かすかな香が鼻をくすぐる。
その文の高価さに夕暉が反応するよりも先に、言われた言葉に息を呑んだ。
「この手紙を、おまえの兄に渡してもらいたい」
がたん、と椅子の足が音を立てる。
立ち上がった夕暉は先ほどとは比べ物にならないほどの強張った顔で男を見下ろした。
変わらぬ飄々とした空気が今は憎く、そして気を抜けない。
自分は兄の話をしていない。なのに何故、この男が兄のことを知っているのか。
そしてその兄に文を渡して欲しいと頼む。この、見目にも高価な誂えだと判る文を。
それはこの男が兄の仕事まで知っていることを意味していた。
―――夕暉の兄が、この慶国が国主の住まう金波宮で働いていることを。
「・・・・・・そう、警戒するな」
苦笑する男は、どこか楽しそうで、けれど手を上下させることで夕暉に座れと指示する。
それに従うことは不服だったが、今ここでこの男を逃してはいけない。
兄に、ひいては金波宮にいる陽子に何かをなすというのなら、ましてや害をなすというのなら、尚更のこと。
張り詰めた気配を持って再び椅子に座った夕暉に、男は文を差し出した。
「先も言ったように、これをおまえの兄に渡して欲しい」
「・・・・・・何故、あなたが僕の兄を知っているのですか」
「まぁ、浅からぬ縁というところだ。以前に数度会ったことがある。話をしたことはないが」
嘘を言っている様子はない。だが、信じる理由もない。
警戒するばかりの夕暉に苦笑しながら、男は文を突きつけて。
「別に慶に害を為すわけではない。それでも気になるというのなら中を見てもらっても構わん」
「―――・・・・・・」
「出来れば三・四日の内に渡してもらいたい。俺としてもいつまで慶にいるか判らんからな。うるさいのがいるで、逃げるのにも一苦労だ」
不穏な言葉には、さすがに聞かざるを得なかった。
「逃げるって・・・・・・あなたはまさか、罪人?」
「罪人、か。・・・・・・あながち違うとも言い切れんな」
自嘲めいた笑みが見せた一瞬の翳りに、思わず夕暉は見入ってしまった。
だからこそ手に握らされた文に気づいて、慌てて顔を上げる。
いつのまにか立ち上がった男に今度は見下ろされ、柔らかな笑みを向けられて。
「頼んだぞ、夕暉」
張りのある声に念を押されるようにして、頷いてしまった。
二人分の勘定を机に置いて、男は最後に一言。
「金髪の馬鹿が来たら知らぬ存ぜぬを通しきれ。それがおまえの身の為だ」
――――――金髪。
その単語が意味をするものは、この十二国の中で一つしかない。
「えっ・・・ちょ、待って―――!」
慌てて店を出て行く男の後を追う。
暖簾をくぐり抜け、人通りのある道から細い路地に入っていこうとする後ろ姿を見つけ、そちらを目指す。
両側に建物の迫る小道を抜けながら前を見れば、男の姿がどんどんと近くなってきた。
広い背に手を伸ばして、あと少しで触れるかというところで。
「陽子によろしく伝えてくれ」
ふわりと、空に浮きながら、男は笑った。
見たことのない虎のような騎獣に乗って、男が空を遠く去っていく。
残された夕暉の手の中には、貴人に送るに相応しく、芳しい香をたいた手紙が握られていて。
「・・・・・・どうしよう」
途方に暮れて、夕暉は呟く。
数日後に自分の元を訪れた他国の麒麟を、彼は必死で騙すのだった。
「なぁ! 二・三日前に尚隆がここに来ただろ!? あいつどこに行った!?」
「残念ながら僕は存じません。お役に立てず申し訳ありません、延台輔」(僕が会ったのは風漢という名の男だし)
「嘘をつくな! おまえが尚隆からの手紙を虎嘯に渡したんだろ!?」
「いいえ、僕は街中で初対面の男から頼まれた文を言われたとおり兄に送っただけですので」(風漢は風漢、延王なんかじゃない、違う違う違う)
以下、エンドレス
2007年7月21日