掌の幸福





「やぁ、風漢」
聞き覚えのある声に名を呼ばれ、風漢―――延王尚隆は振り向いた。
久々に訪れた奏の都。まさかこんな場所で再会するとは。
「・・・・・・放蕩息子は止めたのか? 利広」
どこか信じられないといった感じの尚隆の言葉に、利広は笑う。
「まさか。今回はこれから行くところだよ。だけどまさか奏で風漢に逢うとはね」
「安心しろ、奏はまだまだ倒れないだろうよ」
「それは良かった」
いつもと変わらない笑顔で微笑まれ、尚隆は小さく肩を竦めた。
この奏の御仁はさすが自分より100も年上な分だけ、厄介な笑みを浮かべるなんて思いながら。
そんなことを考えられているなんて知らずに、利広はニコニコと歩き寄る。
「今日は風漢ひとり?」
「他に誰かいるように見えるか?」
「嬉しい事に見えないよ。じゃあ食事でも一緒にどうかな」
これは蓬莱帰りの六太が先日言っていた『なんぱ』というものなのだろうか。
利広自身にそれを聞こうにも、一応互いに身分は隠しあっているのでそれもならない。
それ以前に『なんぱ』という言葉自体を利広は知らないだろう。
今度陽子に会ったら聞いてみるか、などと考えながら尚隆は頷いた。
「どこか美味い食堂でもあるか?」
「奏の食堂はどこも美味しいよ。国が富めば自ずと文化が発展するからね」
「それは正論だな」
二人並んで隆治の街を歩き始める。
雁とは違い、どこか長閑な街並みがざわざわと活気を見せていた。



「・・・・・・・・・おい」
「何かな、風漢?」
相変わらず曲者の笑顔に、尚隆は不機嫌に顔を歪ませた。
「『食事』じゃなかったのか?」
「うん、そのはずだったねぇ」
「じゃあ何でおまえは俺の宿にいるんだ」
「うん、それは自然な流れだね」
「どこがだ」
大きな溜息を吐いても、利広は笑顔を引っ込め様としない。
むしろ備え付けられている急須で茶を淹れて、尚隆にまで振舞う始末。
誰が宿の金を払っているんだ、と尚隆は頭の片隅で思った。
「・・・・・・おまえ、慶に行くとか言ってなかったか?」
「そんなことも言ってたかな」
「口煩い家族に見つからないように、早く逃げる必要があるとか言ってなかったか?」
「そんなことも言ってたねぇ」
「じゃあさっさと行け」
乱暴に椅子を蹴ってやれば、利広は楽しそうに声を上げて笑う。
「だって風漢はこれから範に行くんだろう?」
「そのつもりだ」
「だったら私も範に行こうと思って」
「変な気紛れを起こすな」
仏頂面を浮かべている尚隆を宥めるように、利広は穏やかに微笑む。
やはりこの笑顔が胡散臭いと尚隆に思われているとも知らずに。
「やだな、気紛れなんかじゃないよ」
「・・・・・・・・・範はまだまだ倒れない。おまえが行く必要もないだろう」
「必要はないかもしれないけれど、理由ならある」
何だ、と聞こうとして尚隆は止めた。
ニコニコ顔の利広。けれどその笑顔の中に何か得たいの知れないものを感じて。
こういうときの奴は碌な事を言わない。決して短くない付き合いでそれが判っているので尚隆は黙った。
しかしそれを無駄にするだけの度胸が、600年生きている奏の太子にはあったらしい。
間違い無く意図的、兄妹が見たらそう言うだろう笑顔で利広は笑って。



「風漢と共に居たい。理由ならそれだけで十分だよ」



結局のところ、放浪貴人二名が共に範へ行ったのかどうかは限られた人間しか知らない。
ただ、とある客人を迎えた後の範国氾王がやけに不機嫌だったらしい。
それとは逆に、いつもより短い期間で帰宅した奏の第二太子はご機嫌だったとか。

こうして放浪癖を持っている貴人たちは、何度も逢瀬を繰り返すのだった。





久堂は延王小松尚隆さんがとても好きです。
2004年1月15日