ルルーシュが己の身分をスザクに告げなかったのには理由がある。第一に、彼がブリタニア皇室に憎しみを抱いているからだ。そこに自分が属しているなど認めたくない。第二は、当時のブリタニアと日本の関係は非常に緊迫したものだったからだ。幼い頃にも分かっていた。自分たちは友好のために日本に送られたけれども、そんなものはかけらも意味がないだと。開戦したらブリタニア皇族である自分たちは危険に晒される。彼をそれに巻き込みたくなかった。理由ならたくさんある。それこそ無数に挙げられる。だけど、本当の理由はたった一つだけだった。誰にも言わない、ルルーシュの本音。
彼は、スザクの笑顔が好きだった。彼に、嫌われたくなかったのだ。
When The Saints Go Marching In
7.ナイトの誓い
特別派遣嚮導技術部はブリタニア軍に所属しているけれども、第二皇子シュナイゼルの持ち物として特別な命令系統に置かれている。故にコーネリアが総督であるエリア11における基地内では隅の方に追いやられており、彼らのドッグを訪れる輩は所属者以外まったくと言っていいほどいなかった。
けれどその日は違った。二人の護衛を背に従え、漆黒の皇子が降り立ったのだ。場を見回す紫の瞳に、特派の人間は一様に固まる。ただ一人ロイドだけが、嬉しそうに彼に近づき膝を折った。
「これはこれはルルーシュ殿下! 僕の城へようこそお出で下さいましたぁ!」
「久しぶりだな、ロイド」
「お久しぶりです。相変わらずお美しくて嬉しい限りですよぉ」
手を取り、その甲に口付ける。離された腕をルルーシュは引こうとしたが、何かを期待しているらしいアイスブルーの目がじっと見上げてきて、溜息と共にその頬を撫ぜてやる。猫のように目を細めてロイドは立ち上がり、周囲を振り向く。
「ほらほらぁ、第十一皇子ルルーシュ殿下、我らが副総督のご来訪だよ。みんな、跪いてご挨拶は?」
「―――失礼致しましたっ! お越し頂き誠に光栄です!」
我に返ったセシルが第一に膝をつき頭を垂れる。ルルーシュに目を奪われていた他の作業員たちも、慌てたように膝を折った。ランスロットのパイロットシートにいたスザクは、呆然と目を見開いている。紫電の瞳と視線が重なり、ざわりとスザクの背が震えた。
「ほーら、枢木准尉も!」
「―――・・・・・・っあ、はい・・・大変失礼を致しました・・・!」
膝をつき、胸に拳を当て、肘を直角に持ち上げる。すべての動作が緩慢だった。自分を見つめる視線から逃げるように、スザクは深く頭を下げる。
「・・・・・・今日はゼロ捕縛作戦のため、ランスロットの性能を確認したくて来た。邪魔をするつもりはない。みんな作業に戻ってくれ」
「とのことでぇす! さ、みんな作業に戻って」
ロイドがパンパンと手を叩く。スザクが恐る恐る顔を上げると、すでにルルーシュのまなざしは外されていた。紹介されているセシルに、軽い言葉を投げかけている。
久方振りに彼を見た。テレビでは毎日のように会っているのに、本当に久し振りのような気がした。思わず涙がこみ上がりそうになり、スザクはきつく軍服の胸元を握りしめる。白のブラウスに紺のネクタイ、茶のジャケット。制服ではない、軍服だ。そしてグレーのシャツに黒のスーツ。彼のまとうの至上の衣服。これが今の自分たちの差。唇をかみしめて作業に戻る。システムを確かめる指が震える。
「だけど殿下、ゼロ捕縛作戦の指揮はコーネリア殿下が執られるんでしょう? だったら僕たちの出番は難しいんじゃないですかねぇ」
「確かに現場の指揮は総督が執るが、作戦はシュナイゼル兄上のもと俺に一任されている。総督はナンバーズを嫌うが、俺はそんなもの気にしない。名誉ブリタニア人だろうが、イレブンだろうが、純血派ブリタニア人だろうが、使える奴は重宝するし、使えない奴にはそれなりの任を与えるだけだ」
「さぁっすが殿下! もちろん僕たち特派はあなたに従いますよ。何でも命令しちゃって下さい」
「それなら具体的な数字を提示するから、それが可能かどうか、可能なら何秒かかるか試算を出せ」
「了解しましたぁ」
「それと、ランスロットの中を見たいんだが」
「ええ、もちろんどうぞ。疑問があったら枢木准尉に聞いて下さい。彼は優秀なパーツですから」
びくりと、全身が震えた。どんどんスピードを増していく鼓動がうるさい。彼の、歩く靴音が聞こえる。設置されている階段を一段一段昇ってくる。衣擦れの音が聞こえる。笑みを含んだ視線を感じる。強く握りこんだ手のひらの内で、じんわりと汗がにじみ出てくる。振り向くことは出来なかった。顔を見たら、名前を呼んでしまいそうだった。本当は、呼びたかったのだけれども。
「・・・・・・案外狭いんだな」
コクピットの天井に手をつき、覗き込むように入ってきた影にスザクはぽつりと呟く。
「―――殿下」
刹那、ものすごい痛みがスザクの左側頭部を襲った。思わず両手で押さえ痛みを堪えると、響いた音に驚いたのか、セシルが階段の下から問いかけてくる。
「副総督、どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない。スペースを開けてくれようとした枢木准尉が頭をぶつけただけだ」
「左様ですか・・・。大丈夫? スザク君」
「は、はい・・・っ! 大丈夫です、セシルさん。すみません」
それならいいけど、と言う彼女の向こうから、ロイドの笑い声が聞こえてくる。至極楽しそうなそれにすべて知られているような気がして、スザクは情けなく眉を下げた。けれど今度はぐいっと肩を抱かれ、間近に紫の瞳を見ることになる。
「殿下って呼ぶなよ、馬鹿」
最低限に抑えられた声は、ほとんど吐息のようにスザクの肌を滑る。胸が苦しくなると同時に何故か泣きそうになりながらも、顔を逸らすことが出来ない。
「だって、君はブリタニアの皇子だ・・・・・・」
「だから何だ? おまえは俺が皇子だから友達を辞めるのか?」
「・・・・・・仕方ないよ。だって僕は軍人で、君は仕えるべき主だ」
「馬鹿か、おまえは。俺たちが出会ったのは、おまえが軍に入る前だろ。優先順位はそっちにある」
「でも」
「スザク」
低い囁きが反論を遮る。その頼りない響きに、スザクはどきりと胸を震わせた。気がつけば、肩に回されていた手はいつの間にかスザクの軍服の二の腕を握っている。込められた力に、少しだけ眉を顰める。泣きそうに歪められる瞳から目が離せない。
「・・・・・・手を、握ってくれないか」
言葉が返せない。
「今だけでいい。手を、握ってくれ」
白い指先がスザクの手首を伝う。絡められたその温度に熱が一気に上がった気がした。頼りない指。身長はほとんど変わらないのに、スザクよりも一回り細いそれに愕然とする。力を込めれば折れてしまいそうで、彼はこんなに華奢だっただろうかと思わずにはいられない。目が逸らせない。緩やかに息が吐き出され、ルルーシュが額をそっとスザクの肩へと押し付ける。柔らかな毛先が首元をくすぐり、スザクの背筋を緊張とは違う何かが走った。ランスロットのコクピットは高い位置にあるために周囲からは何をしているのか見えないが、それにすらスザクは気を回すことが出来なかった。寄せられた薄い肩を抱きしめたくて、絡まる指を握ることで必死に堪えた。ルルーシュ、とかすれた声がスザクの唇から漏れる。
「ルルーシュ、ごめん、僕が」
「謝らなくていい。どうせいつかは見つかると思っていた。俺こそ、おまえに言わなかった」
「いいんだよ。ルルーシュはルルーシュだ。過ごした過去は変わらない」
「・・・・・・スザク」
そっとまなざしを上げたルルーシュに、スザクは微笑を向けた。どきどきと鼓動がうるさくて、うまく笑えたかは分からない。けれどルルーシュが安堵したかのように表情を緩めてくれたので、笑ってよかったと思う。
指を絡め、手を握り合う。こんな風に近く触れ合うのは、七年前以来だった。大きくなった肩幅や長くなった手足に、今更ながらに時を知る。
「俺は、ブリタニアを変える。変えてみせる。そのために憎んでいる皇室に戻った」
「うん」
「だけど怖いんだ。いつか呑み込まれる日が来てしまいそうで。俺の意思がブリタニアの血に負けそうで」
「ルルーシュ」
「怖いんだ、スザク。・・・・・・怖いんだよ」
紫の瞳がふるりと揺らぐ。その中に自分が映っているのに気づき、スザクは何故か嬉しくなった。強く手を握り、言葉が自然と唇をついて出る。
「僕がいるよ、ルルーシュ。ずっと傍にいる」
「スザク・・・・・・」
「君が迷ったら僕が手を引く。傍にいるよ。ずっとルルーシュと共にいる」
「だけど、おまえは」
「ルルーシュが笑ってくれれば、僕はそれで十分なんだ」
スザクの言葉に、ルルーシュが驚いたように目を見開いた。けれどそれも一瞬のことで、白い指にきゅっと力が込められる。嬉しそうに下げられた眉は、何故か涙を堪えているようにも見えた。
「・・・・・・手伝ってくれるか?」
「もちろん。ルルーシュが望むなら何でもするよ」
「ありがとう、スザク」
額がこつんと押し付けられる。交わった茶と黒の髪に、鼻先の触れる位置で閉じられていくまぶたの白さに、スザクはごくりと唾を飲み込んだ。近すぎる距離を今更ながらに意識する。同性とはいえ綺麗な顔にさぁっと頬を染めた様子を、ルルーシュに見られなくて良かったと思う。綺麗に色づいている唇が、そっと動いた。
「ありがとう・・・・・・」
握る手の力を強いものから優しいものに変える。恐る恐る頬をすり寄せると、ルルーシュも触れ合わせてきた。まるで七年前に戻ったかのように、二人はランスロットのコクピットで触れ合っていた。
約束するよ。君の傍にいる。
2006年12月10日