はらはらと溢れる涙に唇を寄せ、軽く吸い上げる。ちゅ、と小さな音が鳴って、ルルーシュが身を震わせた。閉じられているまぶたに沿って舌を這わすと、堪えきれないようにまつげが戦慄く。紅潮していく頬に、キスがしたいな、とスザクは思う。初めてのときとは違う、優しい、優しいキスを。今ならきっと、蕩けるように甘いキスが出来る。そう思ってスザクは額を合わせ、自身もゆっくりと目を閉じた。
「・・・・・・うおっほん」
「―――ほえあっ!」
次の瞬間、スザクは思い切り頭を殴られていた。ちょうど怪我の位置に重なった一撃は、目から星が出るほどに痛かった。





and I love you
17.人は生きる





後頭部を押さえ、うずくまりながら見上げたルルーシュは顔を真っ赤にして慌てふためいており、おそらくスザクを殴ったのも彼女だろう。けれどその前にわざとらしい咳は、桐原のものだった。ぎろりとスザクがそちらを睨み付ければ、年を重ねたひょうひょうとした顔と目が合う。せっかくルルーシュの気持ちも聞き出せて、良い雰囲気が漂っていたというのに台無しだ。ルルーシュは両頬を手で押さえ、必死に熱を冷まそうと頭を振っている。その様も可愛いと思うスザクは、きっと余裕が生まれてきているのだろう。大きく息を吸い、次に吐き出し、見る限りは冷静な顔を取り戻して、ルルーシュはスザクに命じる。
「何だ・・・・・・その、座れ」
「? うん」
言われた通り、スザクは床に正座する。しかし何故か周囲の神楽耶やラクシャータまで床に腰を下ろしたものだから、ルルーシュの方がぎょっとした。
「お気になさらないで下さいませ、ゼロ。どうぞお話を続けて下さい」
「そうそう、あたしたちのことはいないと思いな」
「で、出来るかっ、そんなこと!」
「今更だよ、姫さん」
「そうですわ。それにわたくしたちは、ゼロがどのような処理をするのかを見届ける必要がありますもの。ねぇ、桐原のお爺様?」
「神楽耶の言う通りだ。我々のリーダーであるゼロと、今は亡き玄武の息子。見守るのは我らの義務だ」
桐原や他のメンバーまで頷き、彼らも各々に膝をついて楽な姿勢を取る。カレンも周囲を見回して腰を下ろし、最後まで立っていた藤堂も神楽耶に袖を引かれて結局は正座した。唯一立つことになってしまったルルーシュは、周りを見回して再び顔に朱を上らせる。これは羞恥から来るものだろう。思わずスザクは笑ってしまった。
「ルルーシュは愛されてるね」
「・・・・・・遊ばれてるだけだ、こんなの」
「そんなことないよ。君が大切にされていて、僕も本当に嬉しい」
「・・・・・・おまえ、もう黙れ」
今度は照れから顔を真っ赤にし、ルルーシュは自身も乱暴に床に座り込む。それは少女らしくなく胡座で、スザクは注意しようかとも思ったけれど、とりあえず口をつぐんだ。目の前のルルーシュは何かを言おうと口を開くが、すぐに閉じてはまた考え込むように視線をさまよわせる。それがよくないんだろうなぁ、と今までを省みてスザクは話し掛けた。
「ルルーシュ、考えてることは全部口に出して」
「・・・・・・何で」
「一人で考えたら碌なことにならないのは、僕も君もよく分かっただろ? だから二人で言い合って考えよう」
むっと眉を顰め、ルルーシュは沈黙する。ゼロとして活動してきたときも、彼女は自分一人ですべてを決めてきたのだろうか。そうならば本当にすごい。一人の頭脳で、彼女は一国を手にしようとしている。
「・・・・・・これからのことを、考えていた」
ぽつりと小さく呟きが落ちる。
「明日、俺と神楽耶は世界放送を通じて、正式にブリタニア帝国にエリア11の解放を要求し、そのための徹底抗戦を宣言する」
「そんなことして大丈夫なの?」
「準備は十分にしてきた。ゼロと神楽耶の正体を明かし、日本が一つの意思であることを示す。望みは日本からのブリタニア軍の撤退で、政治への不干渉だ」
「・・・・・・確かにコーネリア軍は壊滅したかもしれないけど、本国からまた新たな軍隊が来るよ」
「それに対する用意も万全だ。心配しなくていい」
詳細を述べないのは、スザクを信用していないからではなく、すべてを話すべきではないと考えたからだろう。それを証明するかのように、ルルーシュはじっとスザクを見つめて言った。
「スザク、おまえはユーフェミアの下に帰れ。ランスロットはおまえの拘束と同時に、黒の騎士団が手に入れた。戦力差は逆転。ユーフェミアは本国に帰還せざるを得ないだろうから、それと一緒におまえも帰れ」
「・・・・・・ルルーシュ、僕の言ったこと聞いてた? 僕はもう戻るつもりなんかない」
「駄目だ。おまえはブリタニアに戻れ。少なくとも日本におまえの居場所はない」
はっきりと告げられた内容が予想外で、スザクは目を瞠った。言い聞かせるように、ルルーシュはゆっくりと話していく。
「白の騎士ランスロットは、すでにブリタニア軍の象徴とも言えるナイトメアフレームだ。それを騎士団に引き入れるメリットは少ない」
「どうして? 僕ならブリタニア軍相手にだって負けないよ?」
「そうだろうな。だけど日本国民の心情がそれを許さない。ランスロットはあまりに多くの日本人を殺しすぎた。友人を、恋人を喪った彼らにとって、ランスロットとパイロットであるおまえは仇以外の何物でもない。そんな奴がいきなり味方だと言われても、理解どころか悲しみを逆撫でするだけだ」
アメジストの瞳が切なげに歪む。
「それに俺は、恋人を喪った人の前で、おまえと並ぶようなことは出来ない。俺はゼロだから、俺が言えばきっと国民はおまえのことを承知してくれるだろう。だけど、それも表面だけだ。人の悲しみと怒りは並大抵のことでは消えない。国のトップが、国民を悲しませてはいけない」
「・・・・・・ルルーシュは、みんなのために自分の幸せを我慢するの?」
「・・・・・・おまえ、よく自分が俺の幸せだなんて言えるな」
「違うの?」
「違うって言うか・・・・・・おまえ、七年で随分いい性格になったぞ。何だ、ユーフェミアが悪いのか? それともシュナイゼル兄上か?」
「ルルーシュは変わらないね。相変わらず自分以外の人に優しい」
その優しさが何時だって彼女を苦しめているのだと、スザクは思う。確かにランスロットが、スザクが数多くの殺戮を犯してきたのは事実なのだ。だけど、どんなに恨まれてもスザクはルルーシュの傍にいたいと思う。でも、それではいけないと彼女は言う。
「スザク。俺たちは、自分のしてきたことの責任を取らなきゃいけない」
アメジストの瞳は、とても静かで穏やかだ。スザクの翡翠の瞳を見つめ、まるで聖母のように微笑む。手を伸ばせば、不思議そうに一度瞬きをして、柔らかく握り返してくれる。けれども綴られる決意は固かった。
「俺はブリタニアを捨て、ゼロになった。おまえはユーフェミアの騎士になり、ブリタニア軍人となった。止むを得なかったことだってあっただろう。だけど、選んだのは自分自身なんだ。その行動には責任を取らなくてはいけない」
「だからルルーシュは僕から離れるの?」
「離れるんじゃない。少なくとも気持ちは傍にあるつもりだ。だけど俺はゼロとして日本を率いていかなきゃいけない。その道を、俺は選んだのだから」
指を絡めて握り返される。小さくルルーシュが笑った。
「だけど、おまえとは戦いたくない。でも、おまえを傍に置くわけにはいかない。それを考えると、やっぱりユーフェミアの下に返すのが一番だって結論に辿り着く。少なくともユーフェミアは戦場には出てこないから、ランスロットを失ったおまえも出てこなくて済む」
「・・・・・・僕は、どうやって責任を取ればいい?」
「それは自分で考えろ。ああでも、そうだな。シュナイゼル兄上に『お願いします、日本を解放して下さい』とでも頼んでみてくれ。気が向けば兄上も耳を貸して下さるだろう」
ルルーシュは戯言半分で言ったようだったが、スザクは深くそれに頷いた。戦場で重ねてきた罪は、平和へ従事することでしか償えない。屠ってきた以上の命を救えれば、なんて数で考えられるものではないけれど、そうしたいと思う。
「分かった。僕はブリタニアの中から、ブリタニアを変えるよ」
手を握り合う。かつては触れ合ったすぐ後に、逆らえない力によって離されてしまった。だけど今度は、自らの意思で手を放そう。また繋ぎあえる未来のために。
「時間がかかるだろうな」
「うん、でも頑張るよ。ルルーシュに負けないように」
「そうだな、俺も頑張る」
ルルーシュが笑う。スザクの見たかった、大好きな笑顔で。
「今度は手放さない。おまえとの未来のために、精いっぱい足掻いてみせるよ」
少しだけためらいながら額が寄せられる。こつん、と触れ合った互いの体温は温かく、ルルーシュは瞳を和らげた。大切なことを囁くように、そっと息を潜めて。



「・・・・・・本当はずっと、おまえが好きだった」



愛している。そう言って今度はしっかりと手を握り合う。本当は放したくないし、離れたくもなかったけれど、共にいられる未来のために今は少しだけ、さよなら。
それでも不思議と淋しくはなかった。満たされた幸福感だけが、二人の身体に広がっていた。





俺の心は、スザク、おまえのものだ。
2007年3月30日