目覚めと共に、枕元のカレンダーを確認する。ルルーシュが出張に行ってから×が十個。ついに今日は丸のついている日、つまりルルーシュが帰ってくる日だ。随分と嬉しそうな顔をしていたのだろう。朝食の席でメイドに笑顔で指摘されたし、授業にも身が入っていないと教師に苦笑しながら怒られてしまった。
本当に、いつの間にこんなに惹かれてしまったのだろう。帰ってくると思うと胸がどきどきして、今なら何だって出来る気がしていた。
and I love you
8.それはまるで夢のような
帰ってきたルルーシュは自分の足で歩行できず、シュナイゼルの側近に抱きかかえられていた。いつもは陶器のように白い頬が朱に染まっていて、苦しげな息が唇から漏れている。メイドたちがベッドや薬の支度に走り出し、スザクは顔を蒼白に変えて駆け寄った。けれど名を呼ぼうとするよりも先に、涼やかな声が降ってくる。
「心配することはない。慣れない外交に疲れが出たのだろう」
はっとして顔を上げれば、柔らかな金髪を持つ人物が側近を従えて立っている。クロヴィスに似た、クロヴィスよりも鋭角的な雰囲気を持つその人物をスザクはファイルで知っていた。おそらく誰よりも礼儀を払うべきだと思っていた。ルルーシュが政治に参画出来るようになった、最も大きな原動力。
姿勢を正して腰から頭を下げる。運ばれていくルルーシュがとても心配だったけれど、彼女のためを考えれば目の前の相手を粗雑に扱う方が問題だろう。だからこそ走りそうになる足を抑えて挨拶をする。
「ルルーシュ様をお運び下さりありがとうございます」
「いや、あの子は幼いながら頑張っている。私がもっと注意して見ているべきだった」
「シュナイゼル殿下にはとても良くして頂いていると、ルルーシュ様より聞いております。彼女に代わり、御礼申し上げます」
「・・・・・・枢木スザク、だったか」
顔を上げなさい、との言葉にスザクはゆっくりと従う。ルルーシュが付いている人なのだ。きっと悪い人ではないと思い、その目を見つめ返す。弟のクロヴィスは青い瞳なのに、シュナイゼルは紫だった。ルルーシュと、同じく。
「ルルーシュとは仲良くやれているか?」
「はい。とても良くして頂いています」
「そうか、それはいい」
それはいい、ともう一度呟いてシュナイゼルはうっすらと笑う。仕草一つ一つに気品があり、まるでルルーシュを見ているかのようだった。スザクは以前にクロヴィスとルルーシュが実の兄妹のようだと思ったけれども、シュナイゼルは違う。兄妹の相似ではなく、根源が等しいような、だけどまったく違うような、そんな不可思議な印象を受けていた。
「明日は公務もない。あの子についていてやりなさい」
「はい」
「お休み、枢木スザク」
「お休みなさいませ、シュナイゼル殿下」
頭を下げて見送る。車のエンジン音が聞こえなくなるまで待って、スザクは弾かれるように駆け出した。階段を二段飛ばしで上がって、勢いよくドアを開けてしまいそうになって、慌てて静かな動作に切り替える。
「・・・・・・ルルーシュは、どう?」
小声で尋ねれば、氷嚢を取り換えていたメイドが振り返る。
「少し熱がございますが、風邪ということではないようです。やはりお疲れになられたのでしょうね」
もうすぐ11歳になろうという少女が、10日間の外国への視察。周囲は大人ばかりで、いくら賢い彼女といえど、決して楽な仕事ではなかっただろう。体力差は歴然なのだ。だけどそれを悟らせないよう、ルルーシュはひたすらに顔を上げ、歩み続ける。
「・・・・・・今夜は、僕がルルーシュを看てるよ」
「スザク様」
「傍にいたいんだ」
「・・・・・・かしこまりました。何かございましたら何時でもお呼び下さい」
スザクの気持ちを察したメイドは柔らかに微笑し、一礼して部屋を出ていく。静かに閉められたドアを見て、スザクは自分が初めてルルーシュの私室に入っていることに気がついた。思わず鼓動が速くなりかけるけれど、苦しげなうめき声に慌ててベッドを振り返る。ルルーシュの白い額に、汗で前髪がくっついている。それを払おうとして、でも素手で触れていいのか躊躇って、結局用意してあったタオルでそっと拭った。
「・・・・・・おかえりなさい、ルルーシュ」
白い頬が真っ赤に染まっている。寝苦しいのか顰められている眉に、そっとスザクはいたわりを告げた。
夕食は部屋に運んでもらい、シャワーは稽古の後に浴びたからと断り、スザクはひたすらにルルーシュの傍を離れなかった。ぬるくなった氷嚢を取り換え、額に浮かぶ汗を甲斐甲斐しくタオルで拭う。夜が来て、日付も変わり、いつもなら眠っている時間だというのに、睡魔はまったくやってこない。枕元に持ってきた椅子に座り、スザクはじっとルルーシュを見つめていた。少しだけ開いている唇から熱い吐息がこぼれている。苦しそうなのに、だけど綺麗だとスザクは思ってしまった。なんて、綺麗な人。ルルーシュ以上に綺麗な人を、スザクは知らない。
思えば、出会ったときからルルーシュは綺麗だった。光の中、振り向いた姿。揺れた長い黒髪。貫いてきた藤色の瞳。強烈なまでの空気をいつだって彼女は持っている。冷ややかな物言いに隠されている優しさ。激高したときの泣きそうな叫び声。喪った家族を思って膝を抱える背中。いつだって、どんなときだって彼女は綺麗だ。優しくて冷酷で激しくて、苛烈なほどの閃光。闇さえもきっと美しいのだろう。彼女は綺麗なもので構成されている。それがどんなに汚れたものであっても、ひたすらに背筋を伸ばし、前を向き続けているからこそ綺麗なのだとスザクは思う。ルルーシュ以上に美しい人を、スザクは知らない。ルルーシュ以上に美しい人など、きっとこの世には。
「・・・・・・スザ、ク・・・?」
思考に耽っていたスザクは、名を呼ばれてはっと顔を上げた。熱のせいか少しだけ潤んでいる瞳に月光が射しており、やっぱり綺麗だとスザクは思う。
「ルルーシュ、大丈夫?」
「・・・・・・?」
「シュナイゼル殿下が送ってきて下さったんだよ。多分疲れから来る発熱じゃないかって」
「・・・・・・あぁ」
どうりで、と呟いた声はかすれていて、スザクは用意してあった蜂蜜とレモン入りの水をグラスに注ぐ。
「起きれる?」
「・・・・・・ん」
もそもそとベッドの中からルルーシュの手が出てくる。上半身を捻るようにして起き上がろうとしているが危なっかしく、だけど手を貸していいものかスザクは迷った。そういえば、ルルーシュのネグリジェ姿を見るのも初めてなことに気がつく。薄い布地は黒ではなく純白だった。月光を浴びてほのかに青くさえ見える。何でこんなに綺麗なんだろう、とスザクは胸がどきどきして泣きそうにさえなってしまった。
「・・・・・・はい、気をつけて」
コップを握らせる手だって小さい。指だって細い。手首だって、腕だって。すべてが頼りなく見えてしまって、スザクは本当に泣きたくなった。半年前、初めて会った時は同じくらいの身長だったのに、今はきっとスザクの方が高い。体形だって、スザクの方ががっしりしている。ルルーシュは女の子なのだと、今更ながらにスザクは気づいた。とても綺麗な、女の子。まぶたを伏せて水を飲む姿は儚くて、震える長いまつげが綺麗で・・・・・・可愛くて。
「ルルーシュ」
再度横になった彼女が手をしまってしまわないうちに、スザクはそっと指先を触れさせた。熱いのかもしれない。もしかしたら冷たいのかもしれない。それすら分からなくて、ただ自分が彼女に触れているという緊張だけがある。振り解かれると思ったけれどそれはなく、スザクはゆっくりとルルーシュの手を握りしめた。ふっと、軽い息が彼女の唇からもれる。
「・・・・・・母上が、よくこうしてくれた」
「マリアンヌ皇妃が?」
「俺やナナリーが、寝込んだとき。いつもこうやって、手を繋いでくれた」
切なさに歪んだ顔は、熱で浮かされているからかもしれない。初めて聞く家族の話を逃さないよう、スザクは両手でルルーシュの手を包み込む。
「優しい、人だった。いつだって穏やかに笑っていて、いつだって、俺を見守っていてくれて」
「素敵なお母様だったんだね」
「あぁ。・・・・・・少しだけ、おまえに、似てる」
目を見開いたスザクに、ルルーシュが笑う。身体の辛さから不格好なものだったけれども、スザクを喜ばせるには十分すぎた。手をしっかりと握り、かみしめるように約束する。
「じゃあ、これからは僕がルルーシュの手を握るよ。これから、ずっと」
「・・・・・・ずっと?」
「うん。大好きだよ、ルルーシュ」
告白はするりと、ためらうことなくスザクから発された。言葉にしたことで返って納得する。自分は、彼女のことが好きなのだ。きっと、初めて会った、あのときから。
「好きだよ、ルルーシュ」
「・・・・・・スザク」
「好きだよ。本当に好き。大好きだ」
政治的な意味合いしかなかった婚約。だけど今は感謝する。彼女がブリタニアの皇女で良かった。自分が日本首相の息子で良かった。重なった悲哀を運命と呼んでしまいたい。出会えて良かったと、心からそう思う。
「・・・・・・馬鹿だな、おまえ」
言葉は乱暴なのに、声はひどく優しい。
「こんな女の、一体どこが好きなんだ」
「分からないよ。だって全部好きなんだ」
「・・・・・・本当に馬鹿だ」
まるで仕方がないというように、ルルーシュは眉を下げた。何かを堪えるように、でもとても嬉しそうに。ほころんだ唇が見えたのは一瞬だけで、すぐに枕に隠れてしまったけれど、初めて見た笑顔は写真よりもずっと可愛くて、スザクは胸がどきどきした。手は繋がれたままで解かれていない。何だかもっと触れたくなってしまって、指を一本一本絡めるように隙間なく包み込む。どきどき、する。
「・・・・・・スザク」
「うん?」
「・・・・・・ありがとう」
声はくぐもっていたけれど、確かにそう聞こえてスザクは微笑んだ。もう寝た方がいいよ、と言って布団に挟まれている髪の毛をそっと払ってやる。まもなくして穏やかな寝息が聞こえてきても、握った手は放さなかった。愛しさが次から次へと溢れてしまって、スザクは何度も寝ているルルーシュに「好き」と囁いた。彼女が自分の夢を見てくれますように。そう月に願う夜だった。
ありがとう、スザク。ありがとう。ありがとう。俺はもうこれで十分だ。十分だよ。ありがとう。ありがとう、スザク。
2007年2月5日