それから毎日、ミレイはスザクの元を訪れた。しかし一週間もすれば彼女に教えられることはなくなり、アッシュフォード家から別の家庭教師が送られてきた。その中には武術の教師もおり、スザクに乗馬やフェンシング、多様な格闘技などを教えてくれた。元々勉強よりも運動を好むスザクはどんどんと腕を上げ、一月が経つ頃にはすでにブリタニアの生活に完全に馴染んだ。婚約者であるルルーシュは多忙らしく、三日に一度しか食事の席を共にしない。会話も必要最低限で、それでいいとスザクは思っていた。ミレイは彼女のことを優しいと言っていたけれど、スザクにはとてもじゃないがそうは思えなかったのだ。
and I love you
4.変わりゆく気持ちの在り処
その人物がアリエスの離宮を訪れた日、スザクは庭で武術の指導を受けていた。足技を主に用いるそれは日本で習っていた合気道とは異なるが、これはこれで面白い。初老の教師は年齢の割にぴんと伸ばした背筋が潔さを感じさせ、様々なことを教えてくれる彼をスザクは尊敬していた。指導の元に蹴りを繰り出していると、メイドが慌ただしく二人の元に駆けよって来る。
「お勉強中申し訳ありません。スザク様、お客様がお見えです」
「僕にですか?」
「いえ、正確にはルルーシュ様になのですが、ご不在と申し上げましたところ、婚約者であられるスザク様にお会いしたいとのことで」
スザクは眉を顰めたが、教師がすぐに着替えるよう言ったのでそれに従う。シャワーを浴びてメイドに用意された服に着替えると、いつもよりも格式ばった格好になった。髪にも丁寧に、けれど素早くブラシが通され、あっという間に仕立て上げられる。メイドに連れて行かれたのはサロンで、扉を開けられる前にそっと囁かれた。
「お相手は第三皇子クロヴィス殿下です。どうか粗相の無きようお気をつけ下さいませ」
扉がゆっくりと開かれていく。光に溢れる室内はまるで初めてこの離宮を訪れたときのようで、スザクは知らず目を細めた。けれど中央に立っているのは漆黒の少女ではなく、柔らかな金色の髪を持つ、スザクより五歳くらい年上の青年で、そういえばルルーシュ以外の皇族と会うのはこれが初めてなのだとスザクは気づく。
「おまえが枢木スザクか」
声は存外に高い。ミレイに教え込まれた作法に則り、スザクは丁寧に頭を下げた。
「お初にお目にかかります」
「私はクロヴィス・ラ・ブリタニアだ。ルルーシュの異母兄に当たる」
ソファーに腰かける姿は実に優雅だ。ルルーシュにも言えることだが、皇族というのはかくも華やかなものなのか。気を抜けば見とれてしまうような仕草を、彼らは行動の端々で惜しげもなく晒している。
「今日はルルーシュとチェスがしたくて来たのだが、留守のようだな。どこへ行っている?」
「皇女としてのお勤めのようです」
「シュナイゼル兄上か。まったく、少しは私に貸してくれても良いものを」
少しすねたように呟き、クロヴィスはソファーに背を預ける。薄い色の瞳がスザクを捉え、検分するように上から下まで眺め回す。決して心地よい視線ではなかったけれど、スザクは黙って堪えた。
「おまえ、チェスは出来るのか?」
「いえ、僕は・・・・・・申し訳ありません、将棋なら出来るのですけれど」
「ルルーシュに日本人の婚約者があてがわれたとは聞いていたけれど、実際に目にするのは初めてだ。おまえは、私以外の皇族に会ったことは?」
「いいえ、クロヴィス様が初めてです」
「大切にされているな」
クロヴィスのさりげない言葉に、スザクは一瞬遅れて目を見開く。その様を驚いてると解したのだろう。クロヴィスは楽しげに笑みを浮かべた。
「ルルーシュは分かりにくいが、おまえを大切にしているよ。兄弟姉妹の中じゃ一番ルルーシュを見てきている私が言うのだから間違いない」
「え、ですが、僕は・・・・・・」
「食事に毒が入っていたことは? 誰かから命を狙われたり、水をかけられたり、泥を投げつけられたりしたことは?」
「ありません、けど」
「日本人のおまえにとって、ブリタニアではこのアリエスの離宮だけが安全を保証されている場所だ。それが分かっているからこそ、ルルーシュはおまえをこの離宮から出さないのだろう」
特に今、日本との関係はとても微妙なものだから。そう内心だけで呟いたクロヴィスに気づかず、スザクはただ信じられない気持ちだった。確かにこの離宮から出ないように言われていたけれど、それは彼女の自己保身のためで、冷ややかな言葉で、そう告げられて。クロヴィスは静かに微笑む。
「ルルーシュは母と妹を亡くして変わってしまった。だけど元はとても優しい子だよ」
「えっ・・・・・・!」
上がった声にクロヴィスは眉を顰めたが、スザクはそれどころではなかった。初めて知る事実に思わず問い返してしまう。
「ルルーシュ、様のお母さんと妹って、亡くなられてるんですか・・・・・・?」
その後、クロヴィスによって悲劇を語られ、スザクは今更ながらに気がついた。自分がルルーシュについて全然知らないことに。
ルルーシュはその日も深夜になってから帰宅した。疲労はあるけれどシュナイゼルに付いて回ることで得られる経験は大きい。自分の思考が大人相手にも通用することを知れたのは十分な収穫だ。明日も朝から予算会についての討論があるから、そのためにシュナイゼルから指示された下調べをしなくてはならない。仕事はどれも楽ではないけれど、第二皇子に付くことが出来たのは幸いだ。利用できるだけ利用してやろうと、ルルーシュは思っていた。
「お帰りなさい」
メイドならば決してしない言葉遣いで声をかけられ、ルルーシュは階段から降りてくる人影に気がついた。二日ぶりに会うスザクはすでにパジャマ姿で、上から厚手のガウンを羽織っている。どうせ義務的なものだろうと思い、ルルーシュは彼の出迎えを無視した。けれど続けられた言葉に足を止め、振り返る。
「今日、クロヴィス様がお見えになりました」
「・・・・・・クロヴィス兄上が?」
「はい。ルルーシュ、様とチェスをしたかったらしくて。また日を改めていらっしゃるとのことでした」
伝言を述べるスザクの顔にクロヴィスへの抵抗や嫌悪感はない。それから察するに陰湿な対応はされなかったのだろう。皇族は概してブリタニア人以外の人種を見下すが、第三皇子クロヴィスはその傾向が薄かった。彼を守護している者には純潔派が多いけれども、本人にそこまでの意思はない。事実、庶出であるマリアンヌの離宮まで何度も足を運び、ルルーシュとチェスを打ち、彼ら母子の肖像画まで描いているのだ。政治には向かない義兄だと、ルルーシュは思う。
けれどクロヴィスへの感情ではなく、違ったものをスザクから感じられ、ルルーシュはわずかに眉根を寄せる。長い髪を振り払い、緩慢に腕を組んだ。
「それで?」
「え?」
「それで、おまえは俺に何の用だ。まさかどこぞの皇族を怒らせたんじゃないだろうな?」
「い、いえ、そんなことはしてません」
「だったら何だ」
「え、えっと・・・・・・その」
視線をさまよわせ、ためらうように口を開いては閉じる様を、ルルーシュは苛立ちながら見つめた。政治においてならばいくらでも待つことが出来るが、私生活での短気さは自覚している。特に母と妹を喪ってからの自分の余裕のなさにルルーシュは気がついていた。だけど、どうすることも出来ない。憎しみだけが日々膨れ上がっていく。
「あの、クロヴィス様が、」
「兄上が何だ」
「ルルーシュ、様は、一月半ほど前に、お母さんと妹さんを亡くされたって」
かっと頭に血が上り、次の瞬間ルルーシュは、スザクの頬を平手で叩いていた。小気味よい音が深夜の離宮に響く。
「ふざけるなっ! 俺に同情するつもりか!?」
「違っ・・・! 僕は、そんなつもりじゃなくて!」
「おまえはここでおとなしくしていればいいんだ! 余計なことはするなっ!」
悲鳴のような声だったけれども、スザクもぐっと腹に力を込めて言い返す。
「でも僕は君のことを何も知らない! 教えてよ! せめて君に守られないくらい僕だって強くなりたい!」
「おまえに何が出来る!?」
「何も出来ないけど、でも! 君を守るくらいなら出来るよ! 運動神経は僕の方がいいっ! だって君、この前階段から転がり落ちそうになったじゃないか!」
「そ、それとこれとは関係ないっ!」
「関係あるよ! 君は帰ってくるのも遅いし、朝は起きたらいないし、全然休んでないし! すごく心配だよ!」
「おまえに心配される云われはない!」
「あるよ! だって君は僕の奥さんじゃないかっ!」
売り言葉に買い言葉の勢いで言い返していたが、ルルーシュの瞳が見開かれたのに気づき、スザクもやっと息を吐き出す。けれど何がそんなに彼女を驚かせたのか分からなくて自身の発言を振り返ろうとしたとき、今までで一番大きな声がぶつけられた。
「おまえは馬鹿だっ!」
それだけ叫んで、ルルーシュはダッシュで部屋に駆け込んでいく。あまりのスピードに引き止めることも出来ず、スザクはぽつんと玄関ホールに残された。いつもなら寝ている時間なのにぱっちりと冴えている頭が、くるくると先ほどのやり取りを巻き戻していく。馬鹿だと言われたことよりも、自分の発言を思い出して、スザクはぼんっと真っ赤になった。何を言ってるんだろうと、スザク自身思う。自分たちはまだ10歳で、この婚約には政治的な意味合い以外何もないはずなのに。
だけど彼女のことが知りたいのだと、スザクは思い始めていた。
母上、ナナリー、あいつは馬鹿だ!
2007年1月25日