緊張で疲れていたのか、翌朝スザクが目覚めたのは陽も高くなってからだった。天井が木目ではなく壁紙で、あれ、と不思議に思った直後に自分がブリタニアに来ていることを思い出して跳ね起きる。時計を見ればすでに十時を回っており、慌ててクローゼットから服を引っ張り出して着替えた。慣れない洋装に手間取ってしまったけれども、顔を洗って昨日最初に案内されたサロンへと走る。途中ですれ違うメイドたちが笑顔で挨拶してくれるのに、スザクも息を切らしながら返事を返した。けれどたどり着いたサロンにルルーシュの姿はなく、代わりに金色の髪の少女がソファーに腰かけていた。彼女はスザクに気がつくと立ち上がり、スカートを摘まんで完璧な淑女の礼を取る。
「お初にお目にかかります、枢木スザク様。わたくしはアッシュフォード家が長女、ミレイと申します。どうぞお見知りおきを」
顔を上げ、にこりと微笑んだ少女はスザクよりも少しだけ年上のようだった。
「ルルーシュ様から仰せつかり、本日よりスザク様のお勉強相手を務めさせて頂きます。どうぞよろしくお願い申し上げます」
勉強相手という単語よりもルルーシュという名に反応し、けれど身体は正直に空腹を訴えてきゅるるると情けない音を鳴らす。スザクが真っ赤になって腹を押さえると、ミレイが優しく微笑み「お先に朝食をお召し上がり下さい」と言った。
and I love you
3.優しさの真義
朝食はパンとサラダとフルーツに加え、とろけるような熱々のオムレツが用意された。成長期のスザクがパンをお代わりすると、メイドが手際良く皿に載せてくれる。米ではないことが少し残念だったけれども、ここはブリタニアなのだ。日本ではないと言い聞かせ、スザクは食後の紅茶を飲み干した。
急いでサロンに戻ると、先ほどミレイと名乗った少女がソファーに座り、ファイルのようなものを開いていた。スザクに気がつくとすぐに立ち上がる。それが第三皇女の婚約者に対しての礼であることに、スザクは気がついていなかったけれども。
「あの、」
「はい、何でしょうか?」
「ええと・・・・・・ルルーシュ、様は」
ソファーに座り、まだ姿を見ていない彼女について尋ねるが、何て呼べばいいのか分からずおかしな問いかけになってしまった。ミレイはぱちりと目を瞬いたけれど、すぐに微笑んで答えを返す。
「ルルーシュ様は皇女としてのご公務にお出かけになられました」
「皇女としての、公務?」
「はい。その間にスザク様に皇室についてご説明するよう、仰せつかっております」
ミレイは自身もソファーに座り、スカートの膝に手を揃えて姿勢を正す。
「先ほどもご挨拶させて頂きましたが、改めまして。アッシュフォード家が長女、ミレイと申します」
「はじめまして。枢木スザクです」
「よろしくお願い申し上げます、スザク様」
「そんな、様付けなんてしなくていいです。僕の方が年下みたいですし」
スザクがそう言うと、ミレイはゆっくりとかぶりを振った。そして諭すように、一言ずつ丁寧に告げる。
「スザク様、あなたはブリタニア帝国第三皇女、ルルーシュ殿下のご婚約者なのです。お国でどのように過ごされていたのかは存じ上げませんが、今やあなたはブリタニア皇室の一員です。どうかそのご自覚を少しでも早くお持ち下さいませ」
自分よりも少しだけ年上の少女にはっきりと述べられ、スザクは言葉を失った。日本にいたときとは違う、明確な重圧が自分の肩に載せられたのだと、スザクはこのときようやく気づいた。
ミレイはその後、ブリタニア皇室の歴史についてスザクに語った。かいつまんだそれはスザクも事前に父親から聞いていて、あまり苦労することなく理解していく。次に示されたのは厚いファイルで、そこには写真とその人物についてのデータがこと細かに記されていた。一枚目のそれはスザクでさえ知っている、ブリタニア皇帝についてのものだ。
「こちらは現在皇室に属している方々のプロフィールになります」
「これ、全部ですか?」
200枚以上ありそうな束にスザクは驚くが、ミレイは頷く。
「これを全部覚えるようにとの、ルルーシュ様からのお言葉です」
「ええっ!? 無理ですよ! 僕、そんなに頭良くないですし!」
「ひとえに皇族と言えど、様々な派閥が存在します。言葉を一つ間違うことで、争い沙汰になることなど日常茶飯事なのです。それを避けるべく、ルルーシュ様はおっしゃられたのかと」
渡されたファイルは重い。試しにめくってみれば、その人物の名から父親・母親・兄弟姉妹・祖父母・従兄弟など三代前の親類関係、後見貴族や過去の遍歴、生年月日趣味特技に好みのタイプなど様々な項目が小さな文字で羅列されている。溜息を吐き出しそうになって、スザクはどうにかそれを堪えた。先ほど話に上がったルルーシュは、もうすぐ三時になるというのに、まだ帰ってくる気配がない。
「ルルーシュ・・・様、は、一体どんな方なんですか?」
ぽつりと問いかければ、紅茶のカップを持ち上げていたミレイがスザクを見つめ、一瞬の後に柔らかい微笑を浮かべた。それは親愛に溢れていて、この人はルルーシュが好きなんだな、とスザクは思う。
「ルルーシュ様は、とてもお優しい方ですよ。言葉遣いが少し乱暴で勇ましいですけれど」
茶目っ気を含んだ言い方に、スザクの肩も自然と緩む。へらりと笑って同調した。
「僕も、驚きました。お姫様だからもっとふわふわしてると思ってたのに、ルルーシュ、様は、その、可愛いっていうよりも、格好よくって」
「お綺麗な方でしょう。まだ10歳なのにとても優秀でいらして、今日は第二皇子シュナイゼル殿下と共に外交会議に出席されていらっしゃるんですよ」
「外交って・・・・・・え、あの外交ですか?」
「スザク様のおっしゃる外交がどの外交かは分かりませんが、わたくしが申しているのは諸外国との関係について話し合う外交です。シュナイゼル殿下は皇子皇女の中では最も優秀だと言われておりますし、その殿下に認められてルルーシュ様もそういった場に立ち会うことを許されているのです。将来的にはルルーシュ様も政治の道へとお進みになられるのでしょうね」
「でも、女の子なのに?」
「あら、性別なんて関係ないですよ。ブリタニアは能力重視の国家です。実力さえあれば女でも政治家になれますし、軍人にだってなれます。第二皇女コーネリア殿下は、先日一個小隊の隊長になられたそうですし」
基本的に女は家に入るものだという日本の考え方とは正反対だ。常に家におり、世話を焼いてくれた母を思い出してスザクは複雑な気持ちになる。ブリタニアは個人の人生を個人で決めることを推奨し、能力次第で誰もが活躍出来る制度になっている。それは良いことなのだろうと、スザクは思う。
「ですが、だからこそ互いの足を引っ張りあうことも多いのです。特に貴族階級や皇室では相手をおとしめるためなら乱暴な手段に訴えることもよくあります。スザク様もどうかお気をつけて」
真剣な表情で告げた後、ミレイは皇室の祭典や礼儀作法について語った。いろいろな情報を与えられ、スザクはパンクしそうになる頭を必死で抱え込んでいた。
その夜、スザクは一人で夕食を取った。八時になっても九時になってもルルーシュは戻らず、玄関の扉が開いたのは結局十一時を過ぎてからだった。メイドに出迎えられている彼女は今日も黒のワンピースを着ており、スザクはパジャマの上にガウンを羽織り出迎えた。
「お、お帰りなさい」
上擦ってしまう声で話し掛けると、ルルーシュは藤色の瞳をスザクへと向ける。この目に見つめられるとどうしようもなく焦ってしまう自分に、スザクは気づき始めていた。
「あの、今日、ミレイさんがお見えになりました。ルルーシュ、様に、よろしくとお伝え下さいとのことです」
「・・・・・・あぁ」
「ルルーシュ、様が手配して下さったんですよね? ありがとうございます」
「勘違いするな。おまえが皇族と問題を起こせば、俺が巻き添えを食うからだ」
冷ややかに言い捨て、ルルーシュはスザクに命令する。
「何かあったら俺の名を出し、後はひたすら頭を下げていろ。それ以外余計なことはするな。自分のためにも、日本のためにもな」
ルルーシュはそのまま階段を上がり、立ち尽くすスザクの横を通り過ぎて自室へと入っていく。その姿を追うことも出来ず、スザクはただ拳を握りしめた。これが当然のことなのだと必死に自分に言い聞かせながら。日本のためだと言い聞かせながら、その夜は唇を噛んで眠った。
君の優しさ、今なら判るよ。
2007年1月22日