母と妹を喪ったルルーシュは、日本人の婚約者をあてがわれた。それは生贄という名の、政治的玩具でしかなかった。
10歳の彼女は運命の波にあらがうと誓う。
and I love you
2.堕とされた姫君
毎朝、ルルーシュは決まった時間に目を覚ます。浅い眠りは疲労を完全に癒してくれるわけではないけれど、無駄に睡眠を貪る気もない。一日に三時間も寝れば十分だと彼女は考えていた。特に今は必ず夢を見るから、眠りたいとさえ思わない。
クローゼットからワンピースを取り出す。先日までパステルカラーで占められていたそれらも、今は黒一色に染まっていた。それをまとい、顔を洗い、髪を整えたところでメイドがドアを叩いて朝を告げる。
「おはようございます、ルルーシュ様」
「ああ、おはよう」
すでに支度を済ましている主に、メイドはわずかに眉を下げる。すべて自分でこなしてしまうルルーシュに内心で困っているのだろう。実際にそう進言されてもいたが、ルルーシュは出来る限り他人を頼りたくなかった。アッシュフォード家からよこされている彼らを信用していないわけではない。むしろ先日までいた皇室直属のメイドたちより格段に信じている。けれど、そんな問題ではなかった。ルルーシュは信じることを辞めていた。このブリタニア宮殿に信じられる輩など存在しない。
朝食の席につくと、すぐに温かな料理が運ばれてくる。小食な彼女に合わせ、わずかなパンとサラダ、それとフルーツだ。注がれたコーヒーにミルクと砂糖を断り、そのまま口をつける。苦いけれども、今はそれが心地よい。
「サロンにいる。来たら通せ」
「かしこまりました」
そう告げて席を立つ。読みかけの本を取るため自室に戻り、その足でサロンへと向かった。光の差し込む白い部屋は無意味にまぶしく、ルルーシュは柳眉を顰める。広い空間に一人、彼女は長椅子に腰かけて本を読み始めた。笑い声も、優しい気配ももうない。沈黙だけがルルーシュの共だった。
ルルーシュの母と妹が死んだのは、今から二週間ほど前のことだ。本殿にて行われた皇族のパーティーに参加した際、外からの銃撃を受けて倒れたのだ。マリアンヌは即死、かばわれたナナリーも治療の甲斐なく三日後に息を引き取った。テロリストの蛮行とされているが、このブリタニア宮殿にそんな輩が入ってこられるわけがない。密やかに流れている噂は他皇妃の暗殺というものであり、ルルーシュもそう推測していた。彼女の母マリアンヌは庶民の出だけれども美しく聡明で、皇帝の覚えもよかった。その寵愛に嫉妬した他皇妃がテロリストを装い殺害に到ったのだろう。考えただけで、その愚行に腸が煮え繰り返る。本を握る手が震える。
けれどもルルーシュがそれ以上に怒りを覚えているのは、己の父親に対してだった。力があるのに母と妹を守ろうとしなかった。しかも二人が死んだ後、犯人を捕らえさせる気配さえない。謁見して問いただしたところ、一蹴された。あのときの屈辱は忘れられない。あの男は、妻と娘の死を少しも悲しんでいなかった。
しかもあろうことか告げたのだ。日本から送られてくる男児を、ルルーシュの婚約者にすると。ふざけるなと叫んだ。皇位継承権だって放棄しようとした。けれどもあの男はそれを良しとしなかった。ルルーシュの今持っているすべては自分が与えたものだから、生きてさえいないおまえに捨てる権利などありはしないと言って。握りすぎて裂けた皮膚は、今も醜い痕をルルーシュの手のひらに残している。けれどそんなものよりも、心の傷の方が深かった。大好きだった母と妹を亡くし、父親であるはずの男を恨み、けれど何よりも自分の無力さを憎んだ。
いつか見返してやると思い、政治の勉強を始めた。女だろうと関係ない。第二皇女コーネリアは武人として戦場に出ているのだ。だったら自分だって。自分だって表舞台に進出し、いつか皇帝の位を奪ってやる。母と妹の写真にそう誓い、ルルーシュは毎晩遅くまで勉強に明け暮れていた。眠れば血に濡れたあの日を夢見る。それを振り切るように、勉強に没頭していった。
日本という国は世界有数のサクラダイト産地国で、ブリタニアからすれば喉から手が出るほどに欲しい土地だろう。だからこそ和平を結んでいる傍らで軍事力を強化し、ナイトメアを開発した。それに焦ったように差し出されてきた日本首相の子供など、もはやブリタニアにとっては邪魔でしかない。すでに戦争へのカウントダウンを始めているのだ。けれど建前上受け取らないわけにはいかず、皇帝はそれを母親という後ろ盾を失ったルルーシュの婚約者とした。皇位継承権は低いけれども、第三皇女だ。後ろ盾はアッシュフォードしかいないし、権力中枢に参入してくるほどの力もなく、これ以上相応しい押しつけ相手もいないだろう。
そうしてルルーシュの婚約は決められ、彼女は日本人の夫を持つことになった。互いにまだ10歳なので、正式な結婚は先の話になるだろう。しかし余計な枷が出来たな、とルルーシュは思っていた。日本人の婚約者など、これから台頭していく自分にはマイナスでしかない。せいぜいおとなしくしててもらおう。そんなことを考え、彼女は未来の夫となる人物を出迎えた。
「は、はじめまして! 枢木スザクです!」
「・・・・・・ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ」
「どうぞよろしくお願いしますっ!」
そう言って勢いよく頭を下げた少年は、ルルーシュとほとんど変わらない背丈をしていた。人種ゆえか少し肌が黄色く、柔らかそうな茶色の髪をしている。皇族でありながら黒髪である自分よりもブリタニア人らしく見え、ルルーシュは内心で苦く笑った。ぼうっと顔を赤くしている相手は慌てふためいた仕草で視線をさまよわせ、けれど結局は目を合わせて叫ぶように言う。
「黒い髪、すごく綺麗ですねっ!」
きょとんと、ルルーシュは目を瞬いた。そんなことを言われたのは母と妹以外、初めてだった。
その後はメイドに部屋を案内させ、ルルーシュはさっさと自室に引き上げた。婚約者ということで夕食は一緒に取ったけれども、会話はなかった。相手はちらちらと自分に話し掛けようとしていたようだけれど、ルルーシュが空気でそれを拒絶したのだ。食べ終えるとすぐに部屋に戻り、読みかけだった本を開いた。覚えることは山のようにある。余計な時間は使っていられない。風呂から上がり、身体を拭いているとふと目に入った鏡に漆黒の髪が映る。長い髪はマリアンヌと揃いというころで他の皇族からは蔑まれているけれども、母を敬愛しているルルーシュにとっては誇りだった。それを褒めてくれたときの、あの真っ赤な顔を思い出す。
「・・・・・・馬鹿じゃないのか。事情もろくに知らないで」
吐き捨ててバスローブを身に付け、ベッドに向かう。新たな本を広げる前に、ルルーシュは一本の電話をかけた。
自分とメイド以外の気配を感じる。慣れない感覚をルルーシュはしおりとともにゴミ箱へと投げ捨てた。
あの夜の月が美しかったのか、俺は全然覚えていない。
2007年1月14日