Cher Lamperouge
32.最上級の硬質をもって
先にあった電話で言っていた時間よりも少しだけ早く、兄はランペルージ家に帰ってきた。
「お帰りなさいませ、お兄様」
「ただいま、ナナリー」
玄関ホールで出迎えれば、手が髪を撫で、ふわりと額に唇を落とされる。明らかな上機嫌の様子に計画が上手くいったことを知る。ナナリーまで嬉しくなって、兄の頬にキスを返した。
「おめでとうございます、お兄様」
「ありがとう、ナナリー。予定外に面白いこともあったよ。ランスロットのパイロットがスザクだったんだ」
「まぁ、本当ですか?」
アッシュフォード学園に転入してきた、七年前の知り合い。一度ランペルージの屋敷にも来たことがあり、久方ぶりの再会を果たした相手。枢木スザク。上手く変貌したと見せている、変貌したと自身も信じているだろう優しさを思い出す。作られた枢木スザク。
「スザクの背後にユーフェミアがいることは転入の件で分かっていたが、まさか名誉ブリタニア人なのにナイトメアフレームの騎士になっていたとは。しかもあの最新機体。どちらかといえば、機体がスザクを選んだのかもしれないな」
「それじゃあ、カレンさんが怒ったんじゃないですか? 前に負けてしまっているんでしょう?」
「ああ、帰りの電車の中じゃ怒りっぱなしで眉間に皺が寄っていた。ニーナたちは日本解放戦線への怒りだと思ったようだが」
「ふふ」
額を優しく触れ合わせてから、兄は後ろに回り車椅子を押す。歩みはゆっくりで、ただ気配がすぐ傍にあることが嬉しい。ずっと傍にいてとは言わないし、言えない。それにナナリーは確信していた。自分と兄は世界に二人きりなのだ。互いに背を預けあい、共に戦いゆく伴侶。それは世界の摂理などよりも、ナナリーにとって真実だった。だから会えなくても離れていても、不安になることはありえない。
「ユーフェミア第三皇女はお元気でしたか?」
「あぁ、相変わらずだったよ。ミレイに処理を頼んだから、そのうち連絡が入るだろう」
「まだお飾りのままなのですね。仕方がないと言えばそうなのかもしれませんけれど」
「コーネリアは頑丈な檻に入れて育てたらしい」
「壁に描かれた綺麗な絵が世界だと信じて」
素敵な箱庭。呟けば兄は苦笑したらしい。もしも自分たちが何事もなく皇室に育っていたら、同じことをしなかったとは言えないのだろう。けれど、現実はそうならなかった。自分たちは箱庭を追放され、世界の果てに落とされた。素晴らしい差。だからといって何かが終わったとは思わない。むしろすべてが始まったのだろう。ナナリーは開かない目ですべてを見ることを決め、兄は美しい笑みですべてを見抜くことを決めた。
「そういえば、化け物に会ったよ」
リビングで咲世子にお茶を貰い、団欒の中で兄が思い出したように言う。
「緑の髪に黄金の目。あれは確かにナナリーの言うとおり『化け物』だろうな」
「ホテルに来ていたんですか?」
「俺とカレンしかいないはずの部屋に、いつの間にか入ってきていた」
「何もされませんでした?」
「ああ、カレンが守ってくれたよ」
「よかった」
ほっと息をつく。兄の騎士はきちんと役目を果たしてくれたらしい。果たしてナイフは通じただろうか。それが少し気になったけれど。今度聞いてみようとナナリーは思う。
「俺が危機的状況に陥るのを待っていたんだろう。化け物の願いを叶える条件と引き換えに、ギアスという特殊能力を俺にやると言ってきた」
「特殊能力? 一体どんな?」
「さぁ? それについては言及していなかったから、化け物にも分からないのかもしれない。分かればもっと正確に説明するだろう。だとすると、所有者によって能力は違うということか」
まぁ、例えそうであったとしても。
「ギアスとやらを貰う気はないけどな」
兄の笑みを含んだ言葉に、やっぱり、とナナリーは唇を綻ばせた。やはりそうだ。兄はそんなもの必要としない。そんなもの当てにしない。当てにしていたらこの世界を生きていけない。要るのは確実な手段だ。誰もが非難することなど出来ない、絶対的な手段。
「ランペルージは清く正しく」
「付け入る隙など作らずに」
「犯罪には手を染めず、誰もが認める正規の手段で」
「そして手に入れるからこそ、確実な未来が我が物となる」
ふふ、と声が二つ重なった。
「断りの文句を告げたところでランスロットに攫われた。納得してなさそうな顔をしていたから、またどこかで待ち伏せされるかもしれないな」
「しつこい方ですね」
「化け物にも叶えたい望みがあるんだろう。奴の望みのために俺が必要となると、危害の可能性は格段に低くなる。ナナリー」
「分かりました。気をつけます」
兄を手に入れたいのなら、自分を人質にとって脅すのが最も効果的だ。けれど、あの化け物に限ってそれはないだろうとナナリーは思う。最初の対面で、化け物もナナリーのことを知ったはずだ。おとなしく人質になるような少女ではない、と。
「布石は打った。後はいかに早く盤面を整えるか」
「大丈夫ですよ。ユーフェミア第三皇女はお兄様のことが好きですもの」
「俺はナナリーの方が好きだよ」
「ありがとうございます。わたしも、この世の誰よりお兄様を愛してます」
手を差し出せば握られ、甲に温かな感触が落とされる。お返しにナナリーもそっと、兄の指先に唇を寄せた。互いを守り、戦う手。
駒はすべて、自分たちの手のひらで踊ればいい。
さぁ、いかがですか? これが私たちの世界です。
2008年5月3日