Cher Lamperouge
29.女神様の創り方
「いやぁっ! 放して!」
沈黙と不安と啜り泣き、そして銃の金擦れと足音が響いていた室内に少女の叫び声が反響した。ユーフェミアがはっとして顔を上げると、眼鏡をかけた黒髪の少女がテロリストに引きずり立たされようとしている。止めなさい、と声を張り上げようとしたが、強く引かれた腕に遮られた。きっとその相手を睨み付けようと振り向いて。
―――紫玉の瞳に、出会う。
「何をなさるおつもりですか?」
「何、を、って・・・・・・止めないと彼女が!」
「先ほど連れて行かれた男のときは止めなかったのに、何故今度は止めるんです?」
「何故って、それは・・・・・・っ」
「目の前に晒された悲劇だけを止めようとするのは辞めなさい。施政者はもっと大局を見なくてはならない」
冷静な言葉にかっと頭に血が上る。眼鏡の少女は必死でテロリストに声を荒げているというのに、助けようとする人は一人もいない。叫び声はすでに涙に変わっている。
「それでも何もしないよりましです! 私は皇女なのです! 彼女を救わなくては―――っ」
「名乗り上げたところで、あなたに何が出来るのですか? 代わりに人質になること? あぁ、それは見事な自己犠牲の精神だ。それであなたが死んだら、あの少女がどんなに糾弾されるかも考えないで」
くすりと、囁く笑い声がユーフェミアの耳をくすぐる。少女が泣いている。助けなくてはいけないと思う。だけど握られた腕がユーフェミアを引き止める。本当は大して力が込められていないことに、ユーフェミアは気づいていなかった。引き止めたのは、紫の瞳と冷ややかな声。そして、美しい少年の顔。
「何も彼女を救うなと言っているわけではありません。ただ、あなたがあまりに考え無しに行動しようとするから止めているだけです」
「ですが、誰かが止めないと・・・・・・」
「そうですね、止める人間は必要です。しかしその人間は止めるだけの能力を有したものでなくてはならない。あなたの名は確かに有効でしょう。ですが今度はあなたが人質になるだけです。それでいいと思いますか?」
「・・・・・・私がそうなることで、他の方々が助かるのなら」
スカートの上で手のひらを握り締めて言えば、少年はふっと笑った。鮮明な赤い唇が香るように綻ぶ。
「とんだ皇女だな。これじゃ周囲の苦労が偲ばれる」
侮蔑のはずなのに、それはとても甘かった。少年の顔が近づく。交わる、桃色と漆黒の髪。耳元に唇が寄せられる。触れる。少女の悲鳴が消える。ユーフェミアのすべてを少年が埋め尽くす。
「このくらいの出来事は、能力があればしのぐことが出来る。それが出来ないのは君の至らなさだ。現状を把握し、先を読み、周囲の出方を予測し、すべてに対して常に策を練る。理解と覚悟と経験が、君には絶対的に足りない」
いつまでお飾りでいるつもりだ? 入り込んでくる吐息が、声が、ユーフェミアの中に沁みていく。落ちていく。それでいて引き上げられるような一切の感覚。気配が離れ、腕を握っていた手が放れていく。そこで初めて、ユーフェミアは少年を見た。理解をした。美しく少年は笑う。指先がゆっくりと愛しげにユーフェミアの頬を撫でる。
「理想を現実にするには能力が要る。手本を見せてあげよう。君が立派な施政者となるために」
「ルルー、シュ・・・・・・?」
信じられず名を漏らした唇に人差し指が触れる。瞳を細め、死んでいたはずの義兄は微笑んだ。
「戻ってきたよ、ユフィ。君の援けとなるために」
ユフィ、ユーフェミア、大切な義妹、初恋の人。
2007年7月1日