Cher Lamperouge
9.勝つためのルール
紅茶を運んできた女性は、驚いたことにイレブンだった。日本の、エリア11のすべてを嫌っているだろうと思っていたのに、主はにこやかに礼を告げ、メイドの入れた紅茶を飲んでいる。自分たちに対し控えめでありながらも穏やかな所作で接するメイドを、ミレイはまじまじと見つめてしまった。目が合い、微笑を向けられてぱっと俯く。このようなイレブンは初めてだった。
「咲世子さん、ディートに伝言を頼めるかな? 例の株は明日まで動向を見るって」
「はい、かしこまりました」
深く頭を下げ、メイドは静かに部屋を出ていく。テーブルを挟んで一人掛けのソファーに座っている主は、ミレイの知らない人物のようだった。けれど、そうであるはずがない。何よりルルーシュ・ランペルージには妹がいる。ナナリーという、足と目の不自由な妹が。そこまで同じで別人という可能性は限りなく低い。けれどそれは否定される。
「ランペルージ男爵は、投資家だとお聞きしております。何でも先を読んでの売買は見事なもので、決して損を出さないとか」
祖父の言葉に、主は笑う。いいえ、と愛想の良い顔で。ミレイの知らない笑みを浮かべる。
「ランペルージ家は爵位こそ男爵ではありますけれど、一族は私と妹だけ。手広く事業を展開することが出来ないだけですよ。アッシュフォード様のような伝統のある方を前にしてお恥ずかしい限りです」
「前御当主はエリア11に来た直後、奥方と共に亡くなられたとか」
「ええ、不幸な事故でした。私と妹を養子にして下さった、そのすぐ後に」
まなざしを伏せる主は漆黒のスーツを着ている。締めているタイはグレー。ミレイはパステルカラーの服をまとった主しか見たことがなかった。アリエスの離宮は朗らかな色と笑顔で溢れていた。こんな風に笑う顔なんて見なかった。まつげを伏せ、そしてゆっくりと押し上げる、こんな艶やかな姿なんて。
「先日、アッシュフォード様の経営されている学園に入学と転入申請を出させて頂きましたが、許可は頂けますか?」
「もちろんです。ランペルージ男爵は中等部一年に、妹君は初等部の四年でよろしかったでしょうか?」
「ええ、ありがとうございます。学園では私がランペルージ家の当主であることは伏せて頂きたいのですが」
「分かりました。そのように取り計らいましょう」
祖父は次々に了承の意を示していく。ミレイは主を見つめることが出来ず顔を伏せた。主は自分がルルーシュ・ヴィ・ブリタニアであることを認めようとしない。自らをルルーシュ・ランペルージだと言い張っている。けれどそれが探し求めてきた主であることはミレイにだって分かった。今はもう本国の貴族たちだって忘れているだろう、ブリタニアの第十一皇子、十七位皇位継承者。望めば皇帝の座さえ手に入れることが出来るのに、それを放棄した。そして最下級の貴族、ランペルージ男爵を名乗る。アッシュフォードの懇願も無視をして、自分はランペルージだと名乗り続ける。どうして、と思わずにはいられない。ミレイの知るルルーシュ・ヴィ・ブリタニアはもっと優しい少年だった。優しく聡明で少し自信家で、周囲に気を遣う少年だった。優しい皇子だった。だけど、目の前のルルーシュ・ランペルージは違う。裏切られた。思ってはいけないことを、ミレイは思ってしまった。
「―――私はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下ではありませんけれど」
呟きに、ミレイははっと顔を上げる。こぼれないよう必死で堪える涙の向こう、主は囁くように話を続ける。
「殿下は足と目の不自由な妹殿下とお二人でエリア11に来られたのでしょう?」
「はい」
「では、さぞかし大変な思いをされたでしょう。私もエリア11成立と同時にこちらへ来ましたが、イレブンのブリタニア人への憎悪は今とは比べ物にならないほど激しいものでした。迂闊に外出をすれば、殺されるかもしれないとすら思うほどに」
そんな、とミレイは言いたかったが声にはならない。
「それ以前にも殿下は皇室で母君マリアンヌ皇妃を亡くされ、父親であるブリタニア皇帝には自分がいることを承知の上で戦端を切られた。妹君とたった二人、世界の底に落とされて、きっと殿下はこのようにお思いになられたのかもしれませんね」
赤い唇で、ルルーシュ・ランペルージは告げる。
「結局この世で信じることが出来るのは、自分一人だけなのだと」
私が推察するのもおこがましいですが。漆黒の中、主は笑う。ミレイは言葉を無くした。涙が頬を滑り落ちた。
それは明確な拒絶であり、アッシュフォードの過失から来る現実であり、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアをルルーシュ・ランペルージに変えた真実だった。
間に合わなかった。変わってしまった。主の世界は。
2007年5月12日