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Cher Lamperouge
4.悲しみの聖母
車が止まり、再びディートハルトの腕でナナリーは降ろされる。けれども今度はすぐに椅子のようなものに座らされ、それが押されて動き出したことから車椅子だと理解した。緩やかなスロープを上がり、光が遮られ、建物らしきものの中に入ったことを知る。広い空間の中、気配が一つあった。
「お帰りなさいませ、ルルーシュ様、ナナリー様」
「ただいま、咲世子さん」
女性の声だった。まだ若い。名前からしてブリタニア人ではなく日本人なのだろう。けれど穏やかで控えめさを併せ持ち、思慮深そうな声にナナリーは好感を持った。彼女とディートハルトに対する兄の声が、信頼を置いていたからということもある。
「ナナリー、咲世子さんはお手伝いさんだ。身の回りのことをしてくれる」
「よろしくお願いします、咲世子さん」
「こちらこそよろしくお願い申し上げます、ナナリー様。何か御座いましたら遠慮なくおっしゃって下さいませ」
差し出した手を握り返される。少しだけ冷ややかな、ふっくらとした女性の手。母よりも一回り小さなそれにナナリーは笑う。
「ナナリー、とりあえずシャワーを浴びておいで。その後で食事にしよう。咲世子さん」
「はい、かしこまりました。ナナリー様、バスルームへご案内致します」
車椅子を押す手が代わる。それでも不安にはならない。兄が信頼を寄せている以上に、ナナリーが彼らを受け入れる理由はないのだ。
浴室は見えないけれども広いと感じた。動かない足の代わりに咲世子が手を貸してくれて、久しぶりに髪を洗った。蛇口を捻れば鉄の臭いを帯びた水ではなく、温かいお湯が勢い良く流れ出てくる。ボディーソープは桃の香り。タオルはふかふかで、渡された下着は新しくて、着せられた服はかつてのようにひらひらとフリルの多いワンピースだった。咲世子の指が髪をとかし、丁寧にドライヤーをかけていく。リボンを結わいてもよろしいですかと問われ、ナナリーは深く頷いた。
車椅子に乗っていると、屋敷が随分と広いことを知る。階段だけでなくエレベーターも設置されていて、乗ると静かに稼働した。つれていかれた部屋はダイニングなのか、食事のいい匂いがしていて、二つの足音が行きかっている。兄とディートハルトのものだとナナリーはすぐに分かった。
食事の席で、兄は言った。
「ナナリー、僕たちはブリタニアの貴族、ランペルージ男爵の養子になったんだ」
久しぶりのフルコースの食事は、何だかとても美味しく感じられる。
「だけどご当主夫妻は事故で亡くなられてしまったから、今は僕が当主だよ。ディートハルトはランペルージ家の執事であり、僕の仕事の補佐もしてもらう。咲世子さんはこの屋敷の唯一のお手伝いさんだ」
かちゃんとナイフとフォークを置く音がして、角を挟んだ隣の、ホストの位置から伸びてきた手がナナリーの手に触れる。互いの指先はすでに滑るようになめらかになろうとしている。
「今日からナナリーはナナリー・ランペルージ。僕はルルーシュ・ランペルージだよ」
いいね、と問いかける声に頷かない理由があっただろうか。兄の声は変わらずに優しく穏やかで、それは自分だけに向けられるものだと知っている。だからこそナナリーは微笑を浮かべて頷いた。
閉じているまぶたの向こう、兄は変わらずに綺麗だった。
世界よ、人々よ、聖母に包んでもらいなさい。
2007年5月5日