Cher Lamperouge
3.麗しき未来、御手を
ナナリーがその足音に気づいたのは、二十四万一千八十三を数えたときだった。目が見えなくなってから、聴覚は嫌でも鋭さを増した。知人ならば足音で誰か分かるし、その人がどんな感情を抱いているのかも大まかに察することが出来る。だからこそナナリーは数を数えることを止めた。この足音は紛れもなく兄のもの。間隔が短いから走っているのだろう。すぐに声も届けられた。
「ナナリー、ただいま」
三日前と変わらない、慈しみに満ちている声。弾んでいる様子から、兄が望みの物を手に入れたことが分かる。
「お帰りなさい、お兄様」
「ただいま。三日間、何かあったかい?」
「いいえ、何もありませんでした。お兄様こそ怪我などされてませんか?」
「大丈夫だよ。待たせてごめん。だけどちゃんと手に入れてきたから」
兄の後ろからもう一つ足音がする。けれど警戒している様子がないので、それも「手に入れてきたもの」の一つなのだろう。兄が安心させるようにナナリーの手を握った。
「彼はディートハルト。詳しい紹介は屋敷に帰ってからにしよう」
「失礼致します」
低い声と共に大人の手がナナリーの背と足に回され、そのまま抱き上げられる。変わらず繋いでいる兄の手に、ナナリーは力を込めた。大丈夫だと兄は笑う。
そのまま廃墟を抜け、ナナリーは車に乗せられた。皮張りのシートは今まで触れていたアスファルトに比べると沈んでしまいそうな柔らかさで、思わず隣の兄に寄り沿う。指がナナリーの髪をくすぐった。その指先が三日前とは違って滑らかになっていることにナナリーは気づいた。
お帰りなさいませ、お兄様。ご無事で何よりです。
2007年5月5日