命を賭して、魂を売り渡し、それでも叶えたい願いがあるのなら。
すべてを失い、すべてを変える、その覚悟があるのなら。
異形となって求めるがいい。その手に抱くは茨の骸か、至高の冠か。
この世の果てまで孤独にひとり、堕ちる時へと突き進め。
王の前に道はない。王の後に、道はない。
天使が堕ちた日
ブリタニアは窮地に追い込まれていた。グアムが強襲され、奪われた。次はハワイだ。海中から現れた戦艦は数多のナイトメアフレームを上陸させ、次々とブリタニア人を殺戮し、その地を我がものへと変えていく。削り取られていく領土、そして民。三百年という時を経て起きた戦争は、人々にとって初めての体験と言っても良かった。世界は平和だったのだ。少なくとも、この三百年。国々は一丸となって平和を模索し、共に協力し合い、泰平への道を歩んできていた。しかし、それを壊したものがいる。唐突に戦端を開き、今まさに世界を混沌の渦へと突き落とさんとしている国。その名は―――日本。
「徹底抗戦を! これ以上奴らに好き勝手させてよいものか!」
「だが戦闘用のナイトメアフレームなど、数がそうない。日本め・・・秘密裏に軍事増強していたな」
「かつて黒の騎士団を名乗り、弱者のためにあると宣言した国のくせに!」
「我がブリタニアの誇りを守るためにも! 是非ご決断を、皇帝陛下!」
喧々囂々と声がいくつも重なり、場の視線がすべて玉座へと集められる。座り心地ではなく、装飾と威厳を重視した椅子に座しているのは、今年で二十一になったばかりの女帝だった。柔らかな紫色の髪はまっすぐに長く、高い位置で結ばれ静かに背へ流れている。顔立ちは愛らしさよりも美しさを際立たせ、それでも優しさを浮かばせた目元は彼女の本質を露にしている。神聖ブリタニア帝国の第198代皇帝である彼女は、名をジュディス・リ・ブリタニアといった。前皇帝の嫡子であり、早世した父親に代わり、十八の若さで国主となった。治世はつつがなく、代表されるような政策は未だ打ち出されていなかったが、築かれてきた平和を維持するだけの手腕は持っている。そんな彼女の元に舞い込んだ、日本によるブリタニア領土への侵略の報。まさか、と誰もが叫ばずにはいられなかった。世界は平和だったはずなのに、どうして。
「・・・・・・ナイトメアフレームの改造は、急務です。早急に手配を」
「では、アインシュタイン家とアスプルント家に技術提供を要請します」
「国境の軍備を厚くしましょう。ですが、あくまで国民の守護を第一とします」
「何を弱気なことを! そのようなことでは領土が守れるはずもない!」
「どうして戦いなど始めたのか。私は、日本国首相と話がしたいのです。私たちは互いに手を取り合い、今まで平和な世の中を築いてきました。それなのにどうして戦いに踏み切ったのか、その理由を知りたいのです。少なくともそれが分からないうちは、日本を攻撃することは出来ません」
「ならばあなたは侵略されるのをただ黙って見ていろと!? 愚かにも程がある!」
「話し合うときはすでに過ぎたのです! 日本が我らに敵意を持っているのは紛れもない事実!」
「中華連邦はどうした。まさか奴ら、日本についたわけではるまいな?」
「ふん、どうせ高みの見物でも決め込んでいるのでしょう。どっちつかずの蝙蝠が」
宰相や軍幹部、多くの高官たちがまたしても憤りを吐き出す中で、ジュディスはかすかに俯き、小さな吐息をそっと吐き出した。平穏を望み、そのためならいくらでも尽力しようと考えている彼女にとって、現在の状況は辛く苦しいものでしかない。己の采配ひとつで多くの民が屠られ、多くの民を屠るのだ。責任の重さに自然と心が痛みを覚える。どうしてこんな、と嘆きはやはり日本どころか、目の前の高官たちにも届かない。ブリタニアは今、日本の侵略を受けている。長きに渡って良きパートナーであった日本は、かつてのブリタニアが犯した愚行そのままに、彼らへ牙を剥いたのだ。
三百年前から、ブリタニア皇室は小さな一家として存在してきた。かつては百人を超える皇子皇女がいた時代もあったが、身内同士の争いが己を食い尽くすことを学び、現在は最低限の跡継ぎしか作らない。ジュディスは嫡子であったために皇帝となったが、彼女には六つ年下の弟がいた。このブリタニア帝国で唯一の皇位継承権を弟は、名をノアといい、濃い灰色の髪を持つ、ジュディスに似た顔立ちの優しい少年だった。ジュディスは亡き両親の分まで弟を可愛がっていた。特にノアは生まれつき身体が弱く、逞しいとは言えないから尚更だった。
「ジュディス姉様、顔色が悪いです。・・・・・・お仕事、大変なんですね」
「ふふ、大丈夫よ、ノア。心配かけてごめんなさいね」
せわしない皇帝業の合間、訪れる小さな離宮への一時を、逃げだとジュディスは自覚している。次々と求められる決断に疲弊しているのは国庫だけでなく、ジュディスの自身もだ。戦争など過去の記録の話でしかなかった。今となっては昔の、映画や夢物語の中にだけ存在する野蛮な業。そんなものを実際に行う人間がいるなど、ジュディスには到底信じられない。ましてや自分がそれを迎え撃ち、同じく武器を取らなくてはならない側に回るなど。
「大丈夫。大丈夫よ、ノア。きっと日本も話せば分かってくれるから」
「ジュディス姉様」
「大丈夫よ。人はそんなに簡単に、闇に落ちる生き物ではないはずだもの」
対面に座る弟の両手を包み込み、語りかけた言葉は間違いなくジュディス自身への慰めだった。震える指先を、いつだって袖口の下に隠してる。眉を下げる弟に、大丈夫よ、と再度ジュディスは囁いた。大丈夫よ。怖い。怖い。怖い。大丈夫、よ。ねぇ誰か、大丈夫だと言って。ねぇ。
日増しにやつれていく姉の姿を、ノアは歯がゆい思いで見つめていた。日本に攻撃を仕掛けられてから、平和だった世界は一転して歪みを増した。今はまだブリタニアのみが攻撃されているが、いずれその戦火は他国へと振りかかるだろう。それを避けるために、ある国は日本への同盟を申し入れると共にブリタニアへの攻撃を開始し、またある国は中立を宣言する影でナイトメアフレームの建造に勤しむ。世界が分かれて初めて、ノアは平和が薄く脆い硝子の上に存在していたことを知った。人は、分かり合えないのかもしれない。対話を求める姉の背も、高官との会議を重ね、他国からの情報を聞くにつれて、どんどんと項垂れ丸くなっていく。載せられている重責がまるで目に見えるかのようで、ノアは手を伸ばし、その荷を持ちたくて仕方がなかった。それでも彼の身体は軟く、強靭には程遠い。
「僕がもっと、強かったなら・・・」
呟きは願い。力ない己への後悔。愛してくれている姉への感謝。皇位継承権を持ちながらも、脆弱な皇子であるノアは知っていた。陰口から始まる嘲笑、人という人間の拭いきれない闇の部分。彼はジュディスほどに、純粋に人を信じられない。だからこそノアは己を愛してくれる姉を愛していたし、唯一の家族である彼女の力になりたかった。
「僕に、力があったなら。日本からブリタニアを守り、ジュディス姉様を支えられるくらいの力があったなら」
小さな離宮で、祈るように両手を組む。弱いが故に、強い願いが身体に宿る。紫の瞳を瞼に隠し、ただひたすらにノアは懇願した。神でも、悪魔でも、何であろうと構わない。
「お願いです。僕に、世界を変える力を・・・!」
刹那、閉じた世界を激流が舞った。
白い、輝く、闇のようでありながらも何もない、ただその空間で。
引きずり込まれるように追い求めて駆けるように。
遠い先、人影に向かって懸命に手を伸ばす。
振り向いた、その姿、は。
はっと目を見開いたノアがいたのは、一瞬前までの離宮ではなかった。雑踏の街並みの中、多くの人々が行き交っている。どこだかも分からない交差点の手前、我に返ってノアは走り出した。点滅していた信号が赤に変わり、クラクションが文句を鳴らす。
「ごめんなさいっ!」
謝罪もおざなりに、ノアは駆ける。何人もの人にぶつかりそうになって、実際にぶつかって、ごめんなさい、と繰り返しながら走り続ける。今いる場所がどこかなんて分からなかったし、自分がどこへ向かおうとしているのかも分からない。心臓は少しずつ負担に悲鳴を挙げ始めるけれど、それでも立ち止まるわけにはいかなかった。ただ、ノアは目指していた。突き進むこの先にあるものだけを、ひたすらに求めて。視界は徐々に周囲のものを映さなくなる。音さえ消える。街並みの中、まるで己しかいないかのような錯覚を覚え、そしてついにノアは「見つけた」と弾む声で囁いた。手を伸ばす。届かずに、もがいて、そしてようやく触れた肩を力任せに振り向かせた。艶を帯びた闇より深い黒髪が流れ、その合間、ノアと同じ紫の瞳が瞠られる。貴いこの色をノアは誰より知っていた。だから叫んだ。切なる願い、その心のままに。
「お願いです、僕に力をください! この国を、姉様を守るためなら僕はどうなったって構わない! だからお願いします! お願いです・・・っ・・・ルルーシュ、陛下!」
かつて世界を混沌に落としいれ、魔王とさえ呼ばれた人物にノアは懇願した。さほど歳の変わらない美しき尊顔が驚愕に震え、彼が己を止めるように右頬を抑えたときには遅かった。強い願いに引き摺られ、神の印が発現する。
―――そしてノアは、力を得た。ギアスという名のおぞましく悲しい、王の力を。
ギアス三期で見てみたいもの=C.Cの立場にいるルルーシュ。ちなみに展開が進むにつれ、ノアはどんどん病んで壊れていきます。
2009年12月9日