勝利
「カレン。少し、寄り道をしてもいいだろうか」
背後の存在にそう告げられ、カレンは歩んでいた足を止める。白く長い裾が目に入る。リノリウムの廊下にそれはまぶしく、意味のない装飾が美しく、そしておぞましかった。ルルーシュを超合集国最高評議会の場へ連れて行くことが今のカレンに課せられた任務であり、自ら志願した責務であった。懐かしいアッシュフォード学園の廊下を、彼とふたりで歩む。隔てたのは時であり、心であったのだろう。互いに偽りあっていた日々の方が幸せだった。そう感じてしまう後悔を、眉を顰めることで押し殺す。
「・・・寄り道?」
「ああ。少しでいいんだ。時間は取らせない」
立ち止まっているルルーシュの視線は、踊り場から広がる廊下に注がれている。先に一体何があっただろうか。僅かに考えてすぐに思い当たった。考えなくてはならないほどに、すでにその記憶はカレンの中で風化していた。激動に飲み込まれ、思い出だけが美しい形を残している。
ルルーシュの鋭い靴先が、カレンの沈黙を許可と捉えて行く先を変える。こつ、こつ、と響く足音は一定であり、今度はカレンが後ろをついていくことになった。白い背だ。豊かな布に包まれている、その身体は僅かに痩せただろうか。否、そんなはずはない。彼は自ら望んでブリタニア皇帝の座に就いたのだから。自分たちを裏切り、暴君へと成り下がったのだから。細い首筋の青さなんて、気のせいに違いない。
「・・・懐かしいな」
ルルーシュが開いた扉は、かつて彼が在籍し、カレンも共にいたクラスのものだった。この教室に最後に足を踏み入れたのは果たしていつだったか。もはや覚えていない。思い出そうとしても正確な日付が思い出せない。ドアより先に進めないカレンを他所に、ルルーシュは並ぶ机の間を進んでいく。そして、ひとつの椅子を引いた。その場所だけはカレンも覚えていた。ルルーシュの、席だ。
長い皇帝服が、そのまま教室の床に触れる。汚れる、と思ったけれどルルーシュは何ら躊躇する様子もない。被っていた大きな帽子を脱いで手のひらに抱え、そっと机の上におろす。まっすぐに伸ばされた背筋。顎を引き、教卓と黒板をじっと見つめる。その手にシャープペンシルが握られていれば良かった。その指が、教科書をめくっていれば良かった。贅沢なんて言わない。いつものように授業を聞いている振りをしながら居眠りだってしてくれていい。漆黒の制服をまとって、皮肉を語ってほしかった。それでも彼は何もせずにそこにいるのだ。カレンの最も嫌いな姿で、憎むべき姿で、愛した、姿で。
奥歯を噛み締めて、嗚咽を堪えるために俯いたカレンは見ることが出来なかった。ルルーシュがそっと、かつてのように微笑んだ一瞬を。
「待たせてすまなかった。行こう」
気がつけば靴先がカレンの視界の中に入り込んでいて、その白さが現実を知らせる。渾身の力で拳を握り込み、カレンはルルーシュに背を向けた。早く彼を連れて行かなければ。早く、早く。心が終ぞ、壊れぬ内に。
別れの儀式だなんて、気づけなかった。
2009年8月4日(2009年9月12日再録)