ラクシャータがその皇子を見たのは、彼女がブリタニア本国に留学して四年目を迎えた頃だった。中華連邦の一部に属するインド軍区から、兵器工学を学ぶためにラクシャータはブリタニアに来ていた。科学だけでなく、おそらくすべての面においてブリタニアは世界の最新を行っている。他を見下す性質について思うところがなくはなかったが、それでも技術を得られるだけ良い方だ。ブリタニアで得たすべてを、ラクシャータは母国で活かそうと考えていた。インド軍区が中華連邦から独立するために、兵器はあって悪いものじゃない。もちろん使わないに越したことはないが。
「へぇ? この子が第十一皇子ルルーシュ殿下?」
「ロイドは初めてだったね。そうだよ、この子が私の弟、ルルーシュだ」
「噂には聞いてたけどねぇ。何たって幻の第三世代ナイトメアフレーム・ガニメデのパイロット、マリアンヌ皇妃の忘れ形見! あはは、会えて嬉しいですよぉ、ルルーシュ殿下! お初にお目にかかります。ロイド・アスプルンドにございまぁす!」
「はじめまして、アスプルンド伯爵。今回は見学させていただきます」
無礼にも取れる挨拶に、穏やかに微笑んで握手を返す。ブリタニアでは珍しい漆黒の髪が目を引き、ラクシャータは睨めっこしていた設計図を机に置いた。同じ研究室のいけ好かない男、ロイドが相対しているのは初等学校から高等学校まで同級だったらしい、第二皇子のシュナイゼルだ。その彼が連れている弟はグレーを基調とした制服に身を包んでおり、学生かとラクシャータは当たりをつける。
「ルルーシュももう十三歳になるし、少しずつこういった場所も覚えていく必要があるからね。ロイド、ナイトメアフレームはあるかな?」
「もちろん用意してますよぉ。とは言っても第四世代のグラスゴーだから、ガニメデを知ってるルルーシュ殿下にはあんまり面白くないかもしれないけど。ちなみにルルーシュ殿下は、パイロットとしての腕前は如何程で?」
「残念ながら、僕は母には似なかったようです」
「あはは! まぁいいんじゃないですかぁ? シュナイゼル殿下だってナイトメアの操縦はそこそこなんですし」
「・・・ロイド」
シュナイゼルが眉を下げる隣で、弟も困ったように微笑んでいる。ロイドは笑いながらグラスゴーのあるラボへの鍵を取りに行き、二人の皇子だけがその場に残った。ラクシャータはくるりとペンを回す。見目麗しい兄弟ねぇ、なんてことを考えながら。
「ナイトメアフレームに乗れなくても、戦場を動かすことは出来る。その意味が分かるね、ルルーシュ?」
「はい、シュナイゼル兄上」
「戦争だけが解決策じゃない。もちろん武威を示すことも大切だけれど、多くの手段を考えることも必要だ」
「まずは対話への道の用意を。武力を用いるのは交渉が決裂してからでも遅くはない。違いますか?」
「違わないよ。賢いね、ルルーシュ。君が私の弟でいてくれて本当に嬉しい」
シュナイゼルに髪を撫ぜられ、ルルーシュが眦を綻ばせる。弟を褒める兄の図はとても穏やかだったけれども、ラクシャータは内心で吐き捨てていた。武力を背後にちらつかせた対話など、果たしてどれ程の意義があるものか。
やはりブリタニアはブリタニア。放り投げていた設計図を持ち直し、ラクシャータは皇子たちを視界から弾くようにペンを握り、計算を始める。
だからこそ彼女は気づかなかった。その金色の髪を見つめて、弟皇子が静かに目を細めていたのを。
死して候ふ
「こんばんは、チャウラーさん。少しお時間よろしいですか?」
再会は突然だった。ブラウン管を通して以外でもう二度と見ることなどないだろうと考えていた姿が、今ラクシャータの目の前にある。卒業論文が一段落着いて、今日はもう帰るかと大学から程近い学生寮に向かって校門を出た直後だった。三日前に隣にあった兄の姿はなく、代わりに軍服の男をひとり侍らせてルルーシュは月明かりの中に立っている。ぱちりと目を瞬いたラクシャータを見上げ、ルルーシュは感じの良い笑顔を浮かべる。
「夜分遅くに申し訳ありません。でも、こうでもしないと貴女とお話しする時間は持てないと思って」
「・・・こんな時間に出歩いて、親御さんが心配するんじゃない?」
「生憎と母はもうおりませんから。父は僕の行動にとやかく口を出す方でもありませんし」
「護衛とかメイドとか、周囲はどうし宥めすかしたの?」
「ジェレミアと咲世子はここに。アリエスの離宮は広くありませんから、二人で手は足りているんです」
「そう。それで皇室のお坊ちゃまが、あたしに何のお話かしら?」
「研究でお疲れでしょう? 立ったままでは何ですから、どうぞ乗ってください。寮までお送りします」
ルルーシュが自ら背後の車のドアを開く。中は向かい座席になっているベルベットのシートで、確かに高級車ではあるが皇族にしては地味だった。
どうぞ、とルルーシュがにこやかに誘う。ラクシャータは僅かに眉を顰めたが、控えて立つジェレミアがきつく睨んできたため肩を竦めた。話の内容の検討はつかないが、どうやら素直に帰してはもらえないらしい。シャンパンくらいあるんでしょうね、と問いながら、ラクシャータは車内に身を収めた。
ジェレミアがハンドルを握り、後部座席でラクシャータとルルーシュが向かい合う。メイド服を身に纏った女がルルーシュの隣に座り、当然のようにシャンパンを二人分注いで差し出してきた。僅かな照明でもその肌が黄色人種のものであることが分かり、ラクシャータは驚いていた。ブリタニアの皇子が、ナンバーズを連れている。彼らからしてみれば奴隷にも等しい他国民を同じ車に乗せ、あまつさえ食べ物を扱うことを許している。車は当たり前のようにラクシャータの仮宿である学生寮を通過した。問うことさえ馬鹿馬鹿しくて、ラクシャータはシャンパンを一気に呷る。
「それで、ブリタニアの皇子様があたしに一体何の用?」
伸ばしっ放しの髪をかき上げれば、同じようにシャンパンを舐めていたルルーシュが顔を上げる。グラスを咲世子に預け、彼は組んだ膝の上で手を重ねた。
「不躾な質問で申し訳ないのですが、チャウラーさんは大学卒業後の進路はどうされるおつもりですか?」
「インドに帰るわよ。もともとこっちには留学しに来ただけだったし」
返答に、ルルーシュがそっと微笑んだ。
「貴女のような優秀な科学者を失うなんて、ブリタニアにとって大きな損失です。僕の下で更なる研究に没頭してみませんか?」
「・・・はぁ? 何言って」
「貴女のその、大量殺人破壊兵器であるナイトメアフレームを作る一方で、パイロットスーツの性能を上げて操縦者の命を守ろうとする、独善的で傲慢でこれ以上ないほど矛盾している考え方に興味があるんです」
微笑があまりに穏やかだったからじゃない、言葉に仕切れない他の理由でラクシャータは声を失った。間抜けにも大口を開いて目を見張る。この皇子は、この子供は、今、何と言った?
脳内で再生された発言の意味を理解した瞬間、ラクシャータは手にしていたグラスを叩きつけずにはいられなかった。とはいえ、毛の長い絨毯では破片の砕ける音さえ立てさせない。
「・・・馬鹿にしてんの? 皇子だからって調子乗ってんじゃないわよ、クソガキが」
「まさか。純粋に讃えているだけですよ。敵は殺せるだけ殺し、味方は生かせるだけ生かす。戦場においてそれは鉄則なのだから、貴女の行動は軍科学者の鑑です」
ラクシャータの射殺すような視線にも、唸るような低い声にも、ルルーシュは動揺を露にしない。九つも年下の子供に馬鹿にされている。途端に微笑が嘲笑に変わって見え、ラクシャータは向かいの座席を思い切り蹴りつけた。視界の隅で咲世子の指先がぴくりと動く。ルルーシュは涼しい顔のまま、ラクシャータへ小首を傾げた。
「どうしてそんなに不愉快になるんですか? 感情は容易く割り切れないもの。貴女の行動を非難しようだなんて、僕はちっとも考えていないのに」
「はっ! とてもじゃないけどそうは見えないねぇ」
「敵を屠るだけでなく、味方をも救えるのなら一石二鳥じゃないですか。ただ、シュナイゼル兄上は貴女の行動を容認はしても、推奨はしないでしょうね。あの人は見えない位置にあるものを、あえて日の当たる位置に持ってこようとはしないから」
警戒を解かないラクシャータに、ルルーシュは困ったように眉根を下げる。けれどそれも僅かな間のことだった。彼は一切の感情を消し、ただ美しいだけの顔でラクシャータを見据えた。
「現実的な話をしましょう。ラクシャータ・チャウラーさん。貴女には、僕の下についてもらいたい。僕の下で科学者としての腕を磨き、いずれは時代の最先端をゆくナイトメアフレームを創り出して欲しい」
馬鹿じゃないの。ラクシャータの唇が動いたのが分かったのだろう。絞られた光のせいで瞳は深く、色を見せない。ルルーシュは更に言い募る。
「そのために必要なものは用意しましょう。研究所からなる施設、助手となる人員、経費も無駄のない範囲で認めます。もちろん成果に対する報酬も約束しましょう。チャウラーさん、貴女の望みは何ですか?」
「今すぐこの車から降りて、これから一生あんたの顔を見ないことだね」
「それではインドを差し上げましょう。中華連邦の支配下ではなく、完全に独立した一国家である、自由なインドを」
簡単に言ってのけられた内容に、ラクシャータはまたしても言葉を失わざるを得なかった。それは決して口に出されてはいけないものであったし、ましてやブリタニアの皇子が約束するなど天地が引っくり返ってもありえない、そういった類のことだった。
インド軍区は、中華連邦の付属品。化外の地。そう呼ばれて蔑まれ、天子の統治すら及ばず、かといって独立政府を立てることも許されない捨て置かれた場所だ。ラクシャータの故郷。くれると言うなら貰いたい。だが、ただで貰えると思うほど、ラクシャータは愚かでも阿呆でもなかった。
「・・・どうやって、インドをくれるっていうの。あの軍区はブリタニアではなく中華連邦の一部。流石の皇子様でも手出しは出来ない場所よ?」
「簡単な話ですよ。中華連邦をブリタニアの一部にしてしまえばいい」
「それ、何百年先の話かしら?」
「貴女の開発するナイトメアフレーム次第で、数十年が数年に縮むかもしれませんね」
何でもないことのように、ルルーシュは語る。握る手のひらにじわりと汗が浮かんできて、ラクシャータはようやく、自分がとんでもない事態に巻き込まれているのだと理解した。子供だと思って甘く見ていた。ブリタニアでは、力の有る者だけが勝ち残ることを許される。その「力」にラクシャータを宛がおうと、ルルーシュは考えているのだ。確かにナイトメアフレームにはそれだけの可能性があるし、あのロイドにだって負けない頭脳を有している自負がラクシャータにはある。
「僕は、玉座が欲しい」
反逆の意志は、今はまだこの一台の車の中に収まっている。それでもいつか、国中に浸透する時がやってくる。ラクシャータがそう予測できるほどにルルーシュの瞳は混沌としていて、立ち止まれない強い決意に満ちていた。
「このブリタニアで成り上がるには、戦場で結果を出すのが一番手っ取り早い。だからこそ僕は貴女が欲しい。貴女の望むものを、チャウラーさん、貴女に差し上げると約束しましょう。僕がブリタニア皇帝になったあかつきには、インドを、自由に」
「覇権を手にして、やることが解放? それって許されないんじゃないの? ブリタニア皇帝として」
「『優しい世界』を作るためには、まず最も強大な力を我が物とし、そして木っ端微塵にその権力を崩壊させる必要がある。それが現世界にとって、僕の祖国だったというだけの話です」
「『優しい世界』?」
「そう。僕の妹、ナナリーが望んだ」
振動が身体に響いて、ラクシャータは車に乗っていたことを思い出した。スモークガラスの向こうに並ぶ景色に見覚えはなく、現れたジェレミアが後部座席のドアを開ける。先に降り立ったルルーシュが、その手を差し出してきた。
「どうぞ」
逆らう意識すら動揺に奪われたまま、手を引かれてラクシャータも車を降りる。夜の闇の中、建物の影は丸くしか浮かび上がらない。控えめな灯りに照らされた門前で、ひとりの少女が背筋を伸ばして立っている。彼女はラクシャータたちを見とめると、上品な微笑みで出迎えた。
「お待ちしておりました」
「ミレイ、彼女がラクシャータだ」
「お初にお目にかかります、チャウラー様。ミレイ・アッシュフォードと申します」
ルルーシュと同じか、もしくはひとつふたつ年上の容姿で、ミレイと名乗った少女は淑女の見本のような礼を取る。アッシュフォードという名にラクシャータが息を呑んでいると、ミレイは扉を開いて中へと導いた。ルルーシュによって握られている指が放されることはなく、引き摺られるようにして足を踏み入れた内部はいたって普通の洋館だった。しかし、それも書斎の奥に設置された隠し扉を見るまでの話だ。
「ま、待って。アッシュフォードって、爵位を奪われたんじゃ」
マリアンヌの死と、それにまつわるナイトメアフレーム第三世代生産からの撤退で、大公爵という貴族から転がり落ちたはず。間違っても、ラクシャータの知る「アッシュフォード」は、こんな要塞に近い地下研究所なんて持っているはずがない。しかし、次々と最新のセキュリティがミレイによって解除されていく。指紋に声紋、網膜パターン。ラクシャータの初めて目にするプログラムさえある。十を超えたバリケードを抜け、ルルーシュが当然のように言い放つ。
「実績と技術と環境、加えて技師さえいれば研究は続けられますよ。皇室に奉仕しなければならない義務が減っただけ、むしろ喜ばしいことではありませんか」
最後のセキュリティを越えれば、ただ広い空間に出る。蛍光灯の余りの眩しさにラクシャータは目を瞑ったが、徐々に瞼を上げ愕然とした。最新の計測器が溢れる中央に、その機体は立っていた。
「ガニメデ・・・!」
開発が途中で打ち切られたため、現存している完成体は僅か数機。資料のロムでしか見たことのなかった幻の第三世代が、今まさにラクシャータの眼前にある。ごくりと、生唾を飲み込んだ。科学者としての興奮と感動が勝手に脳から溢れ出てくる。あのロイドが知ったら地団駄を踏んで悔しがるに違いないと、関係のないことすら思う。
「このガニメデは参考資料です。駆動機関は第四世代よりも、第五世代よりも優れています。おそらく第七世代が誕生したとしても、そのベースはガニメデのものでしょう。このガニメデを、チャウラーさん、貴女に差し上げます」
ぱっと振り向けば、いつの間にか手は放されていて、少し離れた場所にルルーシュは立っている。その背後にはミレイの他に、初老の男がふたり、黒髪の少女がひとり控えていた。少女は眼鏡の奥の瞳をきらきらと輝かせて、ラクシャータを見つめてきている。
「この施設も貴女のものです。手助けとして、アインシュタインが選び抜いた研究員たちをつけましょう。それと、ニーナ」
「はいっ」
名を呼ばれて、黒髪の少女が跳ねるように前に出てくる。アッシュフォードにアインシュタイン。ガニメデのパイロットだったマリアンヌの後見であり、第三世代ナイトメアフレームのすべてとも言える技術を開発した家系。一度朽ちたそれらが、ルルーシュの下に再び集結している。
「ニーナ・アインシュタイン。歳はまだ十三ですが、科学者としての頭脳とインスピレーションは僕が保証します。彼女を貴女の助手に育ててください。姿勢を受け継がせるも良し、真逆に行かせるも良し、すべて貴女に任せます」
「ニ、ニーナです! よろしくお願いします、ラクシャータ先生!」
三つ網を肩で跳ねさせながら、ニーナが深く頭を下げる。懸命なその様子に、ラクシャータは研究室に出入りしていた付属高校の女子学生を思い出した。セシルといった彼女は、いずれ自分の後輩になるはずだった。可愛がっていたし、懐かれてもいた。自分とロイドの間に入り、クッションの役目を果たす彼女は科学者としても見込みがあった。だが、もはや研究だけしていればいいラクシャータの学生生活は終わりを迎える。
施設、資材、金銭、人材。比べるべくもない。兵器作成だけでなく、生命維持の研究を続けることも許された。科学者にとって理想的な環境が与えられようとしている。それでも素直に頷けないのは、それを与えようとしてくるルルーシュがあまりに毒々しいからか。理性ではない感情の部分がラクシャータに歯止めをかける。計算だけで生きてはいけない。そう考えたのが手に取るように分かるのか、ルルーシュがふっと微笑んだ。まるで不出来な子供を慈しむかのように、うっそりと。
「それでは、最後の一押しをしましょうか」
ガニメデの装甲が、彼を青く照らし出す。ジェレミアと咲世子、ミレイとニーナ、アッシュフォードとアインシュタインの各当主らを侍らせ、ルルーシュはラクシャータを魅了した。
「すべての責は僕が負う。いざとなればおまえは、僕に脅されていたのだと言えばいい。だから僕の下につけ。僕に従え。―――いいな? ラクシャータ・チャウラー」
思考さえ奪う命令だった。責任の放棄は義務の押し付けであり、それすら許すとルルーシュは言う。他になすり付ける行為はラクシャータの忌むべきものであり、それを許された瞬間、理解した。
「・・・いいわよ。今この瞬間から、あたしはあなたの専属科学者ね。大切にしてよ、皇子様?」
了承に満足げに頷くルルーシュは、最初からラクシャータの信頼を得られるなんて思っていなかったのだ。だからこそ彼は利害についてしか語らなかった。酷い思い善がりだ。これは、ラクシャータの抱く矛盾よりも酷い。何故なら最後の言葉は、間違いなくラクシャータを守るためのものだった。罪悪感を減らすためのものであり、精神を救うためのものだった。馬鹿な皇子様、とラクシャータは口内で呟く。
暴虐で優しいだなんて、それは致命的な矛盾だろうに。
ここまで書いたところで、やっぱり一番最初に考えていたネタ『The Revelation』に戻りました。これはこれでまた続きを書いてみたいです。カレンを非道な手段で屈服させるルルーシュになるはずだったんだ・・・。
2009年6月2日