ナナリー、ナナリー、俺の妹。
愛しているよ。愛しているよ。
世界をおまえに、あげる。
死して候ふ
酷く絢爛で、極彩色に溢れた人々の中、中央に立っているのは小さな子供だった。幼年期を脱し始めた、けれど四肢はまだ細く、同年代の子供たちと比べてもなお痩せているだろう。黒髪の襟足は長く、毛先はぱさついており、艶さえないそれはいっそみすぼらしいほどだった。広間を満たしていた皇族たちはあからさまに眉を顰め、特に女は扇に隠した唇で小さく見苦しさを語り合う。好意などかけらもない渦の中で、それでも子供は二本の足でしかとその場に立っていた。
衛兵が皇帝の到着を告げる。皇族たちがそれぞれに礼を取り、子供は真紅の絨毯に両膝をついて頭を下げた。響く足音だけが空気の中にあり、衣擦れの音が着席を知らせる。それでも「面を上げよ」という言葉があってようやく、誰もが顔を上げることが出来るのだ。
玉座に座る第九十八代ブリタニア皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアは、子供を見て唇を吊り上げた。
「久しいな、ルルーシュ」
「お久しぶりです、父上。僕が日本に行ってからですから、約二年ぶりとなりましょうか」
「よくぞあの戦乱を生き抜いた。さすがは我が息子よ」
「もったいないお言葉です」
声は格好に不釣合いなほど、澄んだ耳あたりの良いものだった。子供が礼を言ってにこりと微笑めば、長い前髪の合間から鮮やかな紫の瞳が覗く。服こそ襤褸切れのようで、肌も薄汚れてはいたが、それでも子供が美しい造形をしていることに果たして広間にいる何人が気づけただろうか。
シャルルは愉悦を含み、更に笑みを深めた。子供は再度深く頭を下げる。黒髪が絨毯に着いた。
「この度は、僕を本国に呼び戻してくださったこと、ならびに皇位継承権を復権してくださったこと、心より御礼申し上げます。今このときから、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、母国神聖ブリタニア帝国のために尽くすことを誓います」
子供は名を、ルルーシュといった。現皇帝シャルルの十一番目の息子であり、取り戻された皇位継承権は第十七位に当たる。二年前に母であるマリアンヌをテロリストの蛮行で喪い、その後は追いやられるようにして妹とふたり、極東の島国へと追いやられていた。
先日、その日本がブリタニアの属国と化し、新たな統治が始められた矢先にルルーシュが軍により保護されたのだ。妹の姿はなく、たったひとりだけ。
「して、ルルーシュ。ナナリーはどうした」
「ナナリー、は・・・」
父親の問いかけに、ルルーシュが肩を震わせる。まっすぐ玉座を見上げた視線が左右に揺れ、骨だけの指先が服の胸元を握り締める。ばくばくと幾度か開閉を繰り返した唇をきつく噛み締め、搾り出すように答えを返す。
「ナナリーは・・・死に、ました。日本で、エリア11で」
ざわりと広間が騒然となる。皇族たちはひそひそと言葉を交し合い、さざめく様に場を震わせる。シャルルが笑みを消して目を細め、ルルーシュは歯を食い縛っていた。ぽつりぽつりと、子供は妹の最期を語る。
「戦争直後の、焼け野原でした。僕はナナリーを背負って、どこか少しでも安全な場所を見つけるべく歩いていました。夏の、暑い日でした。僕は水を探してくるよと、ナナリーを日陰に下ろして、それで」
思い出したくないとでもいうように、ルルーシュが目を瞑る。それでも眉間に刻まれている皺は深く、子供が脳裏にその光景を描いてしまっていることを教える。小さく吐き出された息は擦れていた。
「ほんの、五分にも満たない時間だったはずです。それなのにナナリーは、額から血を流していて、見えない目を、見開いていて、息も、していなくて」
「・・・誰がやった」
「分かりません。周囲を探したけど、人影は見当たらなくて。僕が、目を離したから。ナナリーをひとりにしたから、だからナナリーはっ」
「もうよい」
厳しい声音が強制的に話を打ち切る。荒げていた言葉の先を奪われ、ルルーシュが肩で息を繰り返す。埃の上からでも分かるほどに顔色は蒼白と化しており、唇は紫に変わっていた。抜けていく力のままに絨毯に膝を着き、項垂れる子供をシャルルは黙ったまま見下ろす。周囲の皇族の視線も、僅かながらに憐憫を含んだものへと変わっていた。
胸を押さえたままゆっくりと深呼吸を繰り返して、ルルーシュが顔を上げる。懸命に浮かべられた笑みは、それでも瞳に浮かぶ涙を隠さない。
「・・・海の見える、緑の豊かな丘で、ナナリーは眠っています。守りきることが出来なかったのは、兄である僕の責任。お叱りはいくらでも受けます。どうか、処分を」
「おまえにはアリエスの離宮を与える。以後はブリタニアの皇子として生きよ」
「・・・分かりました。ありがとうございます」
かすかに寂しげに微笑み、ルルーシュはかつて生活していた離宮を受け取った。話は以上だと言うように、シャルルが立ち上がり玉座を後にする。皇帝のいなくなった広間は火がついたように騒がしくなり、今度は扇に隠さない話し声さえ響き始めた。
ルルーシュが立ち上がる。手の甲で目元を拭い、踵を返して玉座に背を向け歩き始める。その横顔は目さえ赤く腫れさせていたけれども、美貌の皇妃マリアンヌに瓜二つの毅然としたものだった。
アリエスの離宮は、皇帝の寝起きする本殿から遠く離れた場所にある。ルルーシュの小さな足で歩いて一時間。ぽつりぽつりと距離をとって建てられている皇妃ごとの離宮も姿を消し、皇室内とは思えないほど荒れ果てた緑の中に、その宮はあった。蔓の絡まる大理石の柱の横で、ひとりの女が待っている。まだ年若いメイドは、ルルーシュを見とめると深く頭を下げて出迎えた。
「お帰りなさいませ、ルルーシュ様」
「ただいま、咲世子。離宮はどう?」
「いくつかの家具が痛んではおりますが、そう酷いものはありません。食器やドレスなどの高価なものは荒らされた跡がありました」
「そう・・・悲しいね」
「アルバムや書籍は無事です。庭は職人を入れないと難しいかと」
「外は任せるよ。だけど、中はせめてこの手で綺麗にしたい。この離宮には、たくさんの思い出が詰まっているから」
「微力ながらお手伝いさせていただきます」
申し出に微笑み、ルルーシュは二年の間閉ざされていた扉を押し開いた。咲世子が換気をしてくれただろうに、それだけでは隠せないほどの埃と黴の臭いがぷんと鼻につく。かつては光を浴びて輝いていた絨毯さえ色褪せており、足元を見下ろしてルルーシュは口を噤んだ。沈黙がその場を支配する。
「・・・始めよう。せめて、今夜寝る場所だけでも確保しないとね」
やるせなさを押し殺した軽口に、咲世子も請け負うようにして主の小さな背中を追う。
最初にリビングの片付けを始めた。ルルーシュが品物の取っておくか否かの選別を行い、咲世子は柄の長いはたきで埃を落としていく。幸いにも掃除道具は盗られることなく残っており、硬くなっていた水道の蛇口を懸命に捻ってバケツに水を汲む。絞った雑巾で端から拭いていく。
無駄口を叩くことなく作業を進めたというのに、三時間かかってようやく一部屋が片付いた。紅茶とケーキで疲れを癒したくても、キッチンを使えるようにしなくてはそれも出来ない。それを見越して用意していたのだろう。咲世子が手渡してくれたミルクティーのペットボトルを礼を言って受け取り、ルルーシュが蓋を捻る。ちょうどその瞬間だった。
来訪を告げるベルが鳴り、咲世子が立ち上がる。一礼してからリビングを出て行き、玄関先でしばし来訪者の応対をしていたようだが、相手を連れることなくひとりでまた戻ってくる。
「どうかした?」
「ルルーシュ様にお会いしたいという方がお見えです。ですが、自分にはこのアリエスの離宮の敷居を跨ぐ資格がないと頑なに仰っていらっしゃいまして」
「資格? おかしなことを言うね。一体誰?」
「ジェレミア・ゴットバルトと名乗られました」
「ジェレミア・・・ああ、なるほど。分かった、僕が行く」
ペットボトルを置いて、ルルーシュは己についていた埃を払い落とす。まだ蜘蛛の巣の張っている廊下を歩んでいけば、すぐに玄関ホールへと行き当たった。発言通り、本気でこの離宮の敷居を跨ぐ資格がないと思っているらしい。青い軍服に身を包んでいる青年は、ルルーシュの姿に目を見開くと、すぐにその場に片膝を着いた。皇族に向ける礼の形に、ルルーシュが静かに瞳を細める。
この場ではルルーシュが上位者であり、ジェレミアは許し無しに言葉を発することは許されない。咲世子を背後に従え、ルルーシュは門前で傅いているジェレミアを玄関から見下ろした。
「久し振りだね、ゴットバルト卿。あなたがこの離宮の護衛についてくれた、あの日以来だ」
「ルルーシュ、様・・・!」
「覚えていてくれたんだね、僕と、このアリエスの離宮を。ありがとう」
労わるような声に、ジェレミアがはっと顔を上げる。悲嘆さえ浮かべていた瞳がルルーシュの柔らかな笑顔と出会い、苦しみを堪えるかのように激しく歪んだ。じわりと目尻に涙すら浮かべて、ジェレミアは額を地へと押し付ける。
「そのようなお言葉、このジェレミア・ゴットバルトにおかけくださる必要など御座いません! 私は、マリアンヌ皇妃をお守りすることが出来ませんでした・・・! その罪、この命をもってしても償うことなど出来ぬと分かっております。ですがどうか、どうかこのジェレミアを今一度、ルルーシュ様のお傍に置いてくださいませ! 今度こそお守りさせていただきます。ルルーシュ様に害をなすすべてのものからお守りすると誓い申し上げます! ですから、どうか、どうか!」
大理石のアプローチに額を擦り付けるようにして、ジェレミアが叫ぶ。
二年前、『アリエスの悲劇』と呼ばれるようになったテロリストによるマリアンヌ暗殺の夜、離宮の警備に当たっていた衛兵のひとりが、このジェレミアだった。軍人になったばかりの、まだ若い青年が初めての任務に瞳を輝かせ、そして気を張り巡らせて職に就いていたのをルルーシュも覚えている。
眼前で示されている変わらない忠節に過去を思い出し、ルルーシュの表情が少しだけ翳った。それを追い払うように頭を左右に振ると、黒髪が遅れて頬を打つ。
「ありがとう、ゴットバルト卿。あなたの気持ちは嬉しい」
「では!」
「だけど、僕はあなたの忠義を受けるわけにはいかない。あなたは、母上を敬愛していた。だからこそ、息子である僕に仕えてくれるというその気持ちは嬉しいけれど、それでも僕は、母の仇を討つためにこのブリタニア皇室に戻ったわけではないのだから」
ジェレミアが怪訝そうに眉を顰める。咲世子は良の手のひらを白いエプロンの前で重ねて、ただ静かに控えている。
ルルーシュは汚れた靴で一段一段確かめるように階段をくだり、ジェレミアの前へと降り立った。陽はすでに西へと傾いていて、傅いているジェレミアからは目の前の皇子の顔がよく見えない。それでも夕陽を差し込ませて輝く瞳は紫であり、呼吸を奪うほどに深い色を帯びていた。微笑むルルーシュは、彼の母マリアンヌに酷似して美しく、彼の父シャルルに相似して不遜だった。高い子供の声が、甘く目的を囁いた。
「僕はね、世界を手に入れるために、この皇室に戻ったんだよ。醜い生き物ばかりのいる、この皇室に。忌々しい皇子なんて身分に甘んじてでも世界を手に入れたかったから、だからこの場所へと戻ってきたんだ」
ねぇ、ゴットバルト卿。
伸びてきた指先を、ジェレミアは避けることが出来なかった。薄汚れていて、骨と皮だけのそれは、青年の身体を凍らせるだけの威力と威圧に満ちていた。頬を撫でてくる所作はとても優しいのに、ジェレミアを端から侵食していく。強い思いに引きずられてしまう。悲痛なほどの、強い決意に。
「ナナリーの望んだ『優しい世界』を、僕は作る。そのためなら何だってやる。ナナリーのためなら、僕は何だって出来る。・・・だからゴットバルト卿、あなたは僕についてきてはいけない」
最後にふわりと子供らしく微笑んで、ルルーシュは触れさせていた手を引いた。罪の意識など感じなくてもいい。眼差しだけでそう語られ、小さな背は階段を上っていく。その先では咲世子が厚い扉を開いており、明かりのついていない暗い廊下が口を開けて待っている。
闇に吸い込まれていく折れそうな細い姿に、気づけばジェレミアは駆け寄り、その手のひらを取っていた。優しく、強く、それでいてしかと握り、彼は新たな主を導いた。
「掃除には、男手があった方が良いでしょう。力には自信があります。このジェレミアに何でもお命じください、ルルーシュ様」
「・・・何でも?」
「ええ、何でも。このジェレミア・ゴットバルトは、生涯ただひとり、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下のために」
宣誓の意味を汲み取り、ルルーシュは困ったように眉を下げ、それでも受け入れた。咲世子が扉を閉め、アリエスの離宮は宵の闇に包まれる。底のない世界で、星が小さく輝き始めた。
ルル受けオンリーイベント「All Hail Lelouch!!」の没ネタから。ルルに咲世子さんにジェレミアで、鉄壁アリエス体制です。
2009年6月2日