さぁて、ようやく終幕だ。





最初の望み





「ルルーシュ、君のかけたギアスは、実に厄介な代物だった」
長い、長い石段を登る。ほとんど形を残していないそれは、靴の裏から土踏まずを侵略してくる。すでに脂肪や筋肉は露となって消えており、鋭利な欠片が骨に直接痛みを加える。
「外的要因は、身体が先に動いてことごとく致命傷を避けてくれる。内的要因は、身体が先に動いてことごとく病魔を滅ぼしてくれる」
茂る草木を手でどかす。うっそうとしたそこはすでに森であり竹やぶであり、到底道などとは呼べない有様になっている。仕方がない。随分と昔に破壊され、汚らわしいと捨て置かれた土地なのだ。
「おかげで僕は無駄に長生きをしてしまった。147歳だ。ギネスに申請すれば間違いなく世界長寿の記録を樹立できる。人はこんなにも生きられるものなんだと初めて知ったよ。ルルーシュ、君の何倍かな。計算は苦手なんだ。君がしてくれ」
仮面の内で皺しかない顔が、明らかな疲労を湛えている。唇は荒い呼吸を繰り返すばかりで色も無い。代わりに瞳だけは赤く輝いており、それは点滅などという時期をすでに越えていた。常時発現しているギアスは、その色を一秒ごとに深くしていく。
「それでも、さすがのギアスも時には逆らえないらしい。いや、細胞の死滅が再生のスピードを上回ったのかな。とにかく、これでようやく僕は死を迎えることが出来る。ようやくだ、ようやく。長い年月だった」
ようやく影を抜け、急だった坂が終わった。少しばかり開けた場所は剥き出しの土が足跡を受け入れる。はぁ、と仮面の隙間から息を吐き出し、腰を伸ばすように見上げた空は晴天だ。視界の端、大木に押し潰されるようにして朱色の柱が立っている。名を記されていた札は無い。何より真っ先に取り外され、破壊されたのだろう。
「本当に、長い月日だった。ブリタニアの皇帝は三回代わった。ナナリーは六十歳まで皇位に座し、その次はコーネリアの息子、その次は娘、そして次は彼女の息子。賢帝もいれば愚帝もいた。それでも彼らは一度たりとも戦争は起こさなかったよ。それだけは褒めてやってもいいだろう?」
大きく息を吸い込んでから歩き出す。背は自然と丸まるが、それも年齢から考えれば当然だ。足元に注意しながら、一歩一歩先へと進む。小さな建物は半ば崩れ落ちている。瓦が一枚、また目の前で形を失った。ざらりざらり、砂壁が風に舞う。
「カレンは結局、戦いを知らない男と結婚した。一度垣間見たけれど、有体の顔をした、まったく普通の平凡なサラリーマンだったよ。ルルーシュ、君とは違ってね。娘を産んで、48歳で死んだ。紅蓮を駆り続けた後遺症だと聞いたけれど、実際はどうかな。大量の睡眠薬と一握りのリフレインを、彼女は所持していたらしい」
手袋に包まれた指先で触れれば、柱のささくれが布を傷つけた。格子が嵌められていたはずの正面はすでに傾き、年寄りとはいえ大人の身体を滑り込ませることは難しい。周囲を回って、裏から入れそうな場所を見つけた。壁に手をかければ、脆く零れ落ちていく。柱のきしむ音がして、社は更に傾いた。
「リヴァルは会長と結婚したよ。ささやかだけど、温かい結婚式だった。ニーナは軍に残って研究を続けて、フレイヤを完全に無効化出来る装置を開発した。その後は多くの医療機器を作り、最後は大量破壊兵器の製作を企んでいた男を止めようとして、共に死んだよ。彼女を恨んだのと同じくらいの人々が、彼女の死を悼んだ」
身を屈めて中に入る。埃に塗れている床に足跡が刻まれる。穴の開いている天井からはちらほらと光が差し込んできており、それだけが唯一の明かりになった。見回して、懐かしさを感じようとするけれども、時があまりに過ぎたため感慨すらも思い出せない。
「ジノは合衆国中華に身を寄せ、星刻の後釜に納まった。天子に焦がれられているなんて噂を聞いたのはいつだったかな。それでも独身のまま死んだよ。年は覚えていない。国葬だった気もするけれど、どうだったかな。アーニャはね、はは、面白かったよ。ジェレミア卿と一緒にオレンジ畑を耕して、そして二十年かかって彼の妻の座を手に入れた。まさに執念だね。女は本当に強くて恐ろしい」
マントの下から剣を取り出し、床板の継ぎ目に突き立てる。かつて一度だけ染み込ませた血のせいで刀身は錆びていたけれども、それでも打ち付けられている釘の方が脆かった。板が外れ、埃の塊が舞う。暗闇を漂うそれらは無意味にきらめいている。
「篠崎咲世子はジェレミア卿の結婚式を最後に、消息を絶った。どんなに探しても見つからない。足取りすら残されていない。ロイドさんとセシルさんは、結局結婚どころか付き合うにも到らなかったよ。あの二人のことは僕にはさっぱり理解不能だ。あんなに傍にいたのに手を取り合うことも無く、二人はそれぞれの人生を終えた」
一枚、二枚、三枚剥がしてようやく肩幅程度の穴が開く。覗き込んで広がるのは、外とは違い湿った土だ。頭に合わせて仮面がずれる。それほどまでに年老い、身体は何回りも小さく枯れてしまった。マントを脱ぎ捨てれば、情けない体格があらわになる。足を下ろして、床下に降り立った。
「扇要は政策能力の無さが祟って、二年で日本首相を辞任した。旧知であるブリタニアと中華以外との外交は築けなかったし、国内における統治は凡庸すぎて民を更なる高みに導けなかった。所詮流されただけの男、人の上に立つ器ではなかったね。ヴィレッタと田舎に引っ越して教職に戻ったと聞いたけれど、どんな最後を迎えたんだが。次期首相には藤堂さんの名も挙がったけれど、彼は固辞したよ。己は戦人であって、政治家ではないのだと。神楽耶は尼のまま還俗することなく死に、黒の騎士団は解散し、最高評議会のオブザーバーとしてゼロだけが残った」
ざくり、剣を大地に突き立てる。梃子の原理を利用して土を掘り返し、脇に寄せる。もう一度剣を突き立てる。同じ行為を繰り返す。何度も、何度も。草の葉が破れ、青い臭いが広がった。土を掘り返す。深く、広く、縦二メートル×横一メートルもあれば良いだろうか。深さは果たして何メートルか。
「こんなところかな」
五分も作業を続ければ、人ひとりが十分に横たわることの出来る穴が完成した。剣を床に立てかけて、仮面のロックを外す。カチリという音は鳥のさえずりに混ざって消えた。スザクはようやく肩で大きく呼吸をする。自室以外で枢木スザクに戻るのは、それこそ何十年振りか彼自身覚えていない。
「ルルーシュ、君の指示通り、ゼロは徐々にその存在を公の場から消していった。もちろん紛争が起こりそうなときは最高評議会や戦場に姿を現したけれども、それでも十分に伝説と呼べる範囲の生き物と化している。人々も、まさか同じ人間が147年も生きているなんて思わないだろう。ましてや、こんな老人が放たれる弾丸を避けるだなんてね。ゼロはもう伝説の存在になった。神と呼ばれるに等しい、誰もの祈りの果てにいる英雄に」
長い間、それこそ決して人前で外すことなく共にあった仮面。元来自分のものではなかったそれを、スザクはゆっくりと手のひらで撫ぜた。ゆるり、ゆるりとささやかに触れて、埃に塗れた床の上へと置く。
「戦争は起きなかった。人は明日を求め、憎悪を消化し、調和の中で生きることを始めた。しかし醜いものだよ。飢餓や貧困はともかく、差別はやはりなくならなかった。ブリタニア人はナンバーズと同列に扱われることを嫌がり、ナンバーズはブリタニア人をここぞとばかりに屈服させようとした。人は醜い。戦争は確かに無かったけれど、戦場は常に存在した。人が生きる限り、戦場はなくならない。何故なら人は皆別々の人間であり、心が異なる以上、誰の中にも戦いの芽はあるのだから」
穴に立ち、スザクは天井を見上げる。小さな綻びがいくつも開いている向こうに、空が見える。青く、そして白い。かつてのように鮮やかな晴天に、偶然か必然にか祝福を感じて唇が綻ぶ。
「それでも君の死も、僕の人生も、決して無駄なものではなかった」
視線をゆっくりと下げ、同じ目線にある仮面を見つめ、そして手の中の剣へと落とす。マントで刀身を拭うと、土は剥がれたけれども黒ずんだ血液は消えなかった。ふと笑いながら、布を穴の底に敷く。剣を逆手に持ち、スザクは静かにその切っ先を己の心臓へと埋めた。貫かれた先、血が重なる。こうして二人は世界の礎となることを誓ったのだ。かつて、己の犯した罪の罰として。
「人は醜い。だけどそんな人を、僕たちは愛した。馬鹿みたいに犠牲的で、誰にも褒められることなんてなくて、それでも僕たちは世界を改変しなくてはならなかった。それが義務であり、贖罪だった。多くの人の明日を奪った、僕たちだからこそ」
ぐるり、剣を回転させれば、心臓が完全に破り散ったのを体内で悟る。それでもすぐに死に直結しないのは、さすがギアスの力といったところか。唇の端から血を伝わせながらも感心し、スザクは剣を引き抜いて穴へと落とす。そのまま膝を着き、仰向いて外していた床板を元のように戻した。釘は打ち付けられないが、このような寂れた社に来る人間などいやしまい。ましてや裏切りの騎士の家系が祀られる、枢木神社になど。
「だけど、147年生きて分かった。はっきり、言おう。ルルーシュ、君は間違っていなかった。正しかった。その心の在り様は正しく人であり、そして世界であった。僕も、間違っていなかった。正しかった。ルルーシュ。僕と君は、正しく人間だった。世界だった」
ギアスがスザクの身体を死なすまいと作用している。それでも臓器を再生させるには到らず、手足の端々から生気が抜けていくのが分かる。完全にそうなる前に、スザクは穴に腰を下ろし、自らの足に先ほど盛り上げた土をかけ始めた。踝が埋まる。膝が埋まる。上から叩いて硬くする。
「そしてようやく、僕らの罰は終わる。この先の世界に責任なんて持ってやるものか。みんな勝手に生きていけばいい。僕たちがそうしたように、カレンたちがそうしたように。人は所詮、自分のために存在する生き物だ。醜い。だけど、醜いのが人だ。だからこそ僕たちは、世界を愛した」
上半身を穴の中に倒し、腕だけを伸ばして土を被せていく。胸にかければ溢れ出す血ですぐに湿り、色を濃くする。そろそろ限界か、とスザクは己の顔にも土を落とした。目に入ったが、もはや不快感すら覚えない。瞼を下ろす。紅い閃光が閉ざされ、体内で限界まで無駄な努力を繰り返している。傍から見れば、大地から二本の腕だけが見えている状態だろう。土をかけ、叩いて硬め、左手を埋め、右手も地面に押し込んでいけば、スザクの全身を大地が包み込む。伝わる冷ややかな熱に笑った。息苦しさは、もう感じない。
「これでようやく、僕も還ることが出来る。ゼロはいずれ、仮面を見つけた誰かが継げばいい。気づかずに葬るのなら、それもよい。義務は果たした。僕も、ルルーシュも、ようやくすべてを終えられる」
とくん、とくん、鼓動が地球に呼応するかのように、静かにその速さを緩めていく。とくん、とくん、終わる己をスザクは感じ、ようやくだと嬉しさに涙が眦を湿らせ、すぐに土に吸い込まれていった。とくん、とくん、とくん。とくん。最後の鼓動がかすかに身体を打つ瞬間、スザクは弧を描く唇で囁いた。
「この人生、僕の勝利だ」
そして瞼の裏、紅い光に沈黙が訪れる。ゼロは、枢木スザクは、死んだ。

暗い土の中、掘り返されたため不自然に散らばっている草、蜘蛛の巣の張る床下、釘の抜けた板が三枚、うっすらとそこだけ拭われている埃、傾いている柱に穴だらけの天井、崩壊した社、その、外。美しく回り続ける世界。
二人の少年の創り上げた奇跡が、ようやくその手を離れてゆく。仮面だけがひとつ、寂れた始まりの地に残されたまま。
その瞬間、ようやくすべてが終幕したのだ。





この人生、僕らの勝利だ。
2008年10月19日