【「嗚呼入寂」を読むにあたって】
この話は、天子対してに厳しいかもしれませんので、どんな話でも大丈夫という方のみご覧くださいませ。
閲覧後の苦情は申し訳ありませんがお受け出来ません。少しでもやばいと思われた方は今すぐお戻りくださいませ。むしろレッツリターン!
▼ 大丈夫です、読みます ▼
血反吐を堪えきれない。間隔が日々、短くなっていく。死はおそろしくないのだと言ったら、天子は泣くだろうか、香凛たち同胞は嘆くだろうか。国の行く末は気がかりだけれど、それでも悔いは無いのだと言ったなら、あの漆黒は笑うだろうか。
ルルーシュ。おまえの創った世界を、もう少し生きていたかった。
嗚呼入寂
手元の資料を読み上げながら、星刻はちらりと上座にいる天子を見やる。大人しく目を通してはいるけれども、その瞳が文字を追っていないことは明らかで、まろみの際立つ頬は退屈にか少し膨れている。喉の奥まで競りあがってきた溜息を堪え、資料を机に落とせば、天子が弾かれるようにして顔を上げた。すぐに慌てた様子で己を繕うけれども、それすら星刻には児戯に過ぎない。
「気が散じていますね、天子様」
「星刻・・・・・・ごめんなさい」
「休憩にしましょう。誰か、茶の用意を」
声をかければ、控えていた給仕の者が一礼して部屋から出て行く。叱られると思ったがそれもなく、ほっとしたのだろう。緊張を緩めて、天子は椅子の背もたれに己を預けた。星刻は書類を整えて重ねる。国防費、補正予算、地方自治法、その後は他国への開発援助についても話さなくてはいけないというのに。問題は山積みだ。合衆国中華とて、領土を削られ、かつてほどの大きさでなくなったとはいえ、現存する数多の国家の中ではブリタニアに次ぐ大きさを有しているのだ。都市部と農村における格差は深刻で、他国に慈悲を施している余裕などないのに、それでも動かないわけにはいかない。ブリタニアと日本と合衆国中華、今はこの三国が世界の中心となっているのだから。
ブリタニアの第99代皇帝、通称「悪逆皇帝」が死して三ヶ月。世界は憎しみの終着点を得て、それを発散させることで調和へ向かって歩み始めた。各国が足並みを揃えて、飢餓や貧困への対策を一丸として行っている。合衆国中華は天子を頂点に据え、日本は扇を首相にし、先だってはブリタニアが第100代皇帝ナナリー・ヴィ・ブリタニアの擁立を宣言した。世界は安定に向かっている。だからこその問題を、星刻は認識していた。
「ねぇ、星刻。昨日、神楽耶から手紙が来たの」
天子の幼い声が、彼女の日常を知らせる。そうですか、と星刻は望まれている穏やかな微笑を持ってしてそれに応えた。今この部屋の現状こそが合衆国中華の後退の一歩であることを、天子は自覚しているだろうか。告げられる相談とも言えない戯言が星刻の余命を蝕んでいるのだと、天子は理解しているだろうか。
「今はとても静かな生活を送れているって。黒の騎士団の人たちと会うことはないけど、寂しくないって」
「そうですか」
「毎日、祈りを捧げているんだって書いてあった」
先の戦いの中、超合集国最高評議会議長という重責についていた少女は、すべてが終わり世界に調和が訪れると同時に、その任を自ら下った。皇コンツェルンも信用できる部下に任せ、あらゆることの始末をした後、その足で寺へと行って、長く伸ばしていた黒髪を顎で揃えるくらいの長さにまで切り落とした。年齢から考えれば短くは無いだろう残りの人生を、すべて仏門に帰依することで捧げるのだという。それが彼女なりの、ゼロ―――ルルーシュに対する懺悔であり感謝であることを、星刻は理解していた。静かな生活とは、身の程をわきまえ、何を望むことも無く必要最低限の中で暮らしているということだろう。あのまま在れば世界のトップに立つことすら可能だっただろうに、神楽耶はそれを良しとしなかった。ルルーシュの優しさを抱くのに、自分は相応しくないと判断したのだ。
「あのね、星刻」
天子が窺うようにして見上げてくる。その瞳に浮かんでいる期待に、星刻は逆に自らが裏切られた思いを何度感じたことか。それでも天子は、甘えるような声音で己の望みを口にする。
「あの、世界ももう平和になったし、わたしがこんなことをする必要はないんじゃないかしら・・・? もっと、政治を分かっている大人の人に頼めばいいと思うの。わたしみたいな子供じゃなくて」
それは年齢の卑下ではなく言い訳だ。怒鳴り散らしたい衝動を堪え、星刻は入れられた中国茶に口を着ける。陶器から滑る液体を飲み込めば、喉の奥で鉄と混ざった。吐き出すほどではない。今度は意識して喉を動かし、言葉と共に胃の中へと落としていく。
「わたしも神楽耶みたいに引退した方が、合衆国中華のためになるんじゃないかしら。田舎に小さなお家を買って、そこで星刻や香凛と静かに過ごせれば」
「残念ながら、私はお供することが出来ません」
「え・・・?」
「今、天子様や私が政治の場から身を引くということは、それすなわち合衆国中華は指導者を失うということです。世界が調和に向かっている今だからこそ、そういった不必要な混乱は避けるべきでしょう。自国の民に混乱を覚悟せよなどと告げることは、私には出来かねます」
出来る限り柔らかい言葉を選んだつもりだが、隠し切れない憤怒が滲んでしまった。育ってきた環境ゆえか他人の顔色を悟ることに長けている天子は、びくりと肩を震わせて俯く。その瞳にはすぐに涙が浮かび始め、星刻をまたしても苛立たせる原因となる。時間さえあれば、彼とて上手く宥め誘導してみせただろう。しかしもう、星刻に残された時間は少ない。
「我が国は今や世界の一角として認識されています。日本首相の扇は、元は一介の教師でした。ブリタニア皇帝ナナリー陛下も、幼い頃に皇室を離れ、以後はただの学生だったそうです。年齢は15と、天子様とさほど変わりはありません」
「でも・・・・・・」
「静かな生活ならば、合衆国中華が確固とした土台を築き、すべてを均し、後進に道を譲ってからでも遅くは無いでしょう。天子様は、我が国の主なのです。その自覚をいい加減にお持ちください。あなたが夢見るべきは己の平穏ではなく、民の富でなくてはならないのです」
じわり、粒となった涙が天子の頬を滑り落ちる。僅かながらの罪悪を覚えないでもなかったが、星刻にはもう手段を選んでいる余裕がないのだ。少しでも早く、天子を指導者として成長させなければ。そうでないと、合衆国中華はブリタニアと日本に遅れを取ることとなる。特にブリタニアの第100代皇帝は、すでに己の人生をすべて兄に捧げることを誓ったという。内に確かな激しさを持つ少女は、兄の創り上げた調和を維持するためならば、それこそ何でもやるだろう。世界は調和されたからこそ、今後物を言うのは武力ではなく指導力だ。道を作る力、そして人の上に立つ覚悟。それが、天子には絶対的に足りない。
「・・・・・・星刻は」
小さな膝の上で両手を握り締め、涙に溢れる瞳で天子が問うてくる。
「星刻はっ・・・わたしを、外に連れて行ってくれるんじゃなかったの・・・!?」
自嘲が星刻を満たした。ここまで天子を甘く育てたのが己であり合衆国中華であるのなら、それが最大の罪とすら思える。
「天子様は、すでに外に出られたでしょう? 残念ながら私ではなくゼロの手によって。しかし連れ出した相手は違えど、あなたはすでに宮廷外の景色を見られた。戦場ばかりでしたが、その中で学ぶことも多かったはずです。人々の生死、正義、悪、何千何万の主義主張。それらを目にしてきた上で民ではなく己の願いを優先したいというのなら、それも良いでしょう。あなたに君主の座を降りていただき、別の人間をそこに就け、そして私は新たな君主を支えるのみです」
「星刻!」
「天子様、私はあなたのための存在ではありません。合衆国中華、その繁栄の礎となるための存在です。そのことを努々お忘れなきよう」
「・・・っ!」
ぼろぼろと涙を流し始めた天子を無視して、星刻は業とらしく落ち着いた動作で書類を束にし、ペンをまとめて立ち上がる。見下ろした瞳に慈愛は浮かんでいなかったか。出来る限り冷酷な、冷たい顔をすることが出来ただろうか。申し訳ありません。告げる代わりに「今日はもう終わりにしましょう」と言って机を離れた。背中越し、天子が顔を覆って泣き始めた気配がするけれども振り返らない。開いた扉は重く、縋りつくような嗚咽に苛まれる。しかし苦しむときはもう過ぎた。
「星刻、どうしました?」
足早に部屋から離れていると、角から出てきた香凛と行き会った。まだ執務時間中なのに、星刻が廊下にいることに驚いたのだろう。目を瞬いた彼女に、星刻は自嘲を浮かべるかのように笑った。それだけで敏い部下は何があったのか理解したらしく、細い眉を僅かに顰める。喉の痛みを堪えるべく、資料を握る手に力が篭った。
「天子様は、まだ幼い。このままでは合衆国中華は、すぐに立ち行かなくなる」
「・・・ええ」
「私の死が、天子様が地に足をつける切っ掛けとなってくれればいいが」
でなければ、こうして冷たく接している意味が無い。言葉にはしなかったけれども、香凛はすべて飲み込んだかのように微笑んでみせた。
「心配しなくとも大丈夫でしょう。天子様は、そんなに弱い方ありません。もしも泣き続けたのなら、そのときは私が頬を叩いて引きずり立たせてみせましょう」
「・・・すまない。嫌な役を押し付ける」
「どちらがですか」
互いに少し歪に笑いあい、擦れ違った。これから香凛は天子の元へ行き、泣いている彼女をあやしてくれるのだろう。すまない、と重ねて告げれば、何でもないといった笑みを返された。それから何人かの執務官と会話を交わした後、星刻は与えられている自室に戻る。官舎の中で最も良い部屋を与えられているのは、天子による好意だ。しかし今は、それが重い。乱暴に資料を長椅子に放り、星刻は洗面台へと駆け込んだ。
「ぐっ・・・・・・か、は・・・っ!」
先ほど無理やり飲み下した血反吐が、塊となって吐き出された。蛇口から流れる水に絡めとられて排水口へと消えていくけれども、その赤は薄く洗面台に軌跡を残す。しばらく同じ行為を繰り返していれば、洗面台はすぐに真っ赤に染まり、星刻の喉さえも腫れさせる。息を吸い込むことすら辛くなり、鏡に映る己の青褪めた頬に、ひとり笑った。艶を失い始めた髪が、情けなく顎に張り付いている。死に侵されている男の顔だ。時間はもう、あと僅か。
己の死が、天子の立つ切っ掛けとなればいい。ひとりで世界に立ち、そして自らの責任を果たせるようになってくれれば。そのために尽力し、時間がないからこそ焦って冷たい態度を取ったのだと、数十年後でもいいから理解してもらえたなら。愛らしく微笑む天子を脳裏に描き、星刻は笑った。自分はまだまだ覚悟が足りないらしい。報われる己を思い描いてしまうだなんて。鏡に向かって失笑し、星刻は疲弊した瞼を下ろした。
今更ながらにゼロの、ルルーシュの覚悟を思う。世界の憎悪を一身に集め、己の幸福をすべて諦め、自ら討たれることで世界中の安寧を達した。その孤独、その貴さ。仮面越しとはいえ何度も戦場で隣に立ち、相対し、時を共にしてきたけれども、星刻は終のところで彼の理解者になることが出来なかった。許されなかったのもあるし、気づけなかったからでもある。それでも真実を知り、抱いたのは尊敬と感謝だった。何度頭を垂れても足りやしない。その愛を想う度に、敵わないと心から思う。
「・・・・・・私もすぐに、そちらへと行くだろう。そのときは、今度こそ」
おまえの理解者になれる、努力をしよう。誓う声さえ掠れた。ゆく先に彼がいると分かっているからこそ、星刻にとって死は恐れるに足らない出来事なのだ。
すまな、かった。
2008年10月5日