届かなかった。届かなかった、届かなかった、届かなかった、届かなかった!
これは私の罪、私の咎、私の罰、私の責。死ねばよかった、私など。私が死んで、あの人が生きるべきだった。どんなに後悔してもし足りない。涙で拭える謝罪じゃない。
あの人のいない、明日が来る。
幸せを殺した手
その部屋の最も奥、上座の席にナナリーは車椅子を進めた。背後に従っていたゼロが足を進め、置かれていた椅子をどかしてくれる。空いたスペースに自身を収め、ナナリーはゆるりと瞼を持ち上げた。カノンを伴ったシュナイゼルが右隣の椅子に腰掛ける。ギルフォードを連れたコーネリアは眉を顰め、表情に困惑を載せていた。その様子を見上げ、ナナリーは左隣の席を勧める。
「どうぞ。お座りください、コーネリアお姉様」
「・・・・・・ナナリー」
「皇帝には私がなります。これは、私の義務。お兄様の創り上げた世界は、私が維持します」
何に代えても。強く、ナナリーは言い切った。
「シュナイゼルお兄様には、宰相をお願いします。例え卑劣だと言われようと、ギアスは解きません。絶対に」
「ゼロの望むままに」
シュナイゼルは顔を上げ、ナナリーではなくその奥、背後に立っているゼロの仮面を見上げて微笑む。兄の紅い瞳にコーネリアは嫌悪を浮かべていたが、自身に銃弾を打ち込んだ、あの歪んだ思想も忘れてはいないのだろう。黙ったまま椅子を引き、自らナナリーの左へと腰を下ろした。にこりと微笑みを浮かべ、ナナリーはコーネリアを振り向く。
「コーネリアお姉様は、先に受けた傷が癒えていないと聞いています。どうぞ養生なさってください」
「・・・・・・戦争もない今、戦うしか能のない私はお払い箱ということか」
「そうですね、お姉様は二度の重傷で腕に障害が残ってしまったと聞いています。それではナイトメアフレームに乗るのも難しいでしょう。世界は調和され、戦争もなくなりました。だからこそ、コーネリアお姉様には別にやっていただきたいことがあるんです」
「やってもらいたいこと?」
「はい」
ナナリーの答えはコーネリアの、そして再び騎士となったギルフォードの予想外のものだった。
「コーネリアお姉様には、子供を産んでいただきます。私の次にブリタニア帝国の皇帝となる跡継ぎです。その子を産み、育てていただきます」
シュナイゼルは柔和に微笑んだままだったが、カノンは驚きに目を丸くしている。ゼロの表情は仮面に遮られて分からず、コーネリアは呆然と唇を開き、ギルフォードは固まった。ただ、ナナリーだけが紫の瞳でじっと姉を見つめる。
「血筋は関係ありません。元貴族の方でも、一般の方でも構いません。どうぞ想いを寄せる方をお選びください。ですが、お姉様が嫁ぐことは許しません。このブリタニア皇室に入ってくれる男性と結婚し、子供を作ってください」
「・・・ちょっと、待て。ナナリー、どうして急にそんな・・・子供なんて」
ようやく言われた内容を理解し始めたのだろう。コーネリアの白皙の頬がじわりと朱に染まり始め、愛らしいその様子にナナリーは一回り以上離れている姉に対して微笑ましいものを見るかのような眼差しを向ける。照れくさいのか目線を伏せる姉に、小さく声に出さずに笑った。
「シュナイゼルお兄様には、生涯独身を通していただきます。親と子は別々の人間ですけれど、最も影響を与え合う存在です。少しでも不安があるのなら、その可能性を排除するのは私の役目。シュナイゼルお兄様には独身でいてもらいます」
ゼロの仮面がシュナイゼルを向く。分かりました、と穏やかな了承が得られる。
「私は結婚はしません。だから、子供も産みません」
「何故? おまえはこれから大きくなって、誰かに恋をするようになるだろう?」
「いいえ。私に誰かを愛する資格はありません。私は誰より私を愛してくださった、お兄様を信じることが出来なかった。疑いました。私の言葉は遅すぎて、お兄様には間に合わなかった。だから私は、死ぬまで誰も愛しません。この生をお兄様に捧げます。私はお兄様を愛し、お兄様だけを愛して死にます。お兄様がそうしてくださったように」
今でも毎夜、夢に見る。白く尊い服を血に染めて、息を引き取っていく兄の姿。気高く輝いていた瞳が力を失い、色を失い、触れた手のひらがナナリーにすべての真実を教えてくれた。一瞬にして取り戻した兄への愛を、現金だと人は言うだろう。真意を知ったから信じるなんて、傲慢だと言うだろう。ナナリー自身、そう思う。真実の愛とはきっと、兄のような姿をしているのだ。例え自分がどうなろうと、相手がどうしていようと、常に信じ、想い続けた兄の慈愛。愛している。そう叫んだナナリーの声は、死にゆく兄に届かなかった。握り締めた手のひらさえ返されることはなく、兄は独りで息を引き取ったのだ。その孤独を知り、酷い絶望がナナリーを襲った。
「・・・ナナリー、きっとルルーシュはそれを喜ばないだろう。幸せになってくれと言うに決まってる」
「私の幸せは、お兄様と共にあることでした。お兄様のいない今、私の幸せは存在しません。世界中のどこにも」
ふ、とナナリーは息を吐き出した。コーネリアの向けてくる心配そうな表情が少しだけ面倒くさく、姉の愛情に感謝しなくてはならないのだろうけれども、そういった気持ちにもなれない。それでも瞳を閉じることなく、ナナリーは前を向き続ける。
「お兄様が命を懸けて創り上げてくださった世界を、私は死ぬまで維持します。そのためにはシュナイゼルお兄様、コーネリアお姉様の手助けが必要です。お願いできますね?」
「・・・・・・ああ」
「ゼロの望むままに」
「ありがとうございます」
唇を吊り上げて礼を言い、ナナリーは手元のファイルを開いた。そこには兄の残したいくつもの行いが記されている。最も、何よりも記述すべき最後の奇跡については述べられていなかったが。世界はこんなにも愚かです。心中で囁き、ナナリーは最初の案件から読み上げる。
「まず、ナイト・オブ・ゼロについて。この地位には、ゼロについていただきます。当面は私の騎士という形になりますが、いずれは超合集国最高評議会のアドバイザーに就任するという道もあるでしょう。国に囚われず、ゼロには『正義の味方』というポジションを貫いてもらいます。世界に対しての切り札、ゼロをそういった存在にすることが目的です。次に皇族特権の廃止についてですが、今や残っている皇族は私とシュナイゼルお兄様とコーネリアお姉様の三人のみ。復権しても身内争いは起こらないでしょうし、そうすることで皇帝の独裁ではないことも示せます。故に、皇族特権は回復しましょう。そして貴族制の廃止ですが、これは現状のままでいきたいと思います。身分の差は金銭の差にも繋がり、ひいては人の心にも差を与えます。富める者が貧しき者を蹂躙する、そういった醜い世界が実際にあったのも事実です。貴族制は廃止。人に優劣はありません。それと、破壊された皇帝陵に関してですが」
ナナリーは笑った。お兄様、見ていらっしゃいますか?
「建設しなおしましょう。見栄えは必要ですが、過剰な装飾はしないように。お兄様の名前は刻みません。人々にとってお兄様は『魔王ルルーシュ』なのですから、刻むことを良しとしない者も多いでしょう。第99代皇帝の名は、空白で」
そっと胸に手のひらを寄せる。ナナリーは目を閉じた。瞼の裏、浮かんでくるのは慈愛の形だ。殺人者の顔などではない。貴き聖者のそれ。最後までナナリーを愛してくれた、たったひとりの兄。ナナリーのすべて。
「ルルーシュお兄様は、永久に明日の中に」
愛、夢、希望、未来。すべての輝かしいものを逃がさぬよう抱き締めて、ナナリーは明日を生きる。兄のいない明日を、愛のない明日を、生きることが義務であり、維持することが責務であった。
お兄様のいない明日を生きることが、私への罰。
2008年9月30日