玄関の鏡を前に身だしなみの確認をしていると、階段を下りてくる足音がしてルルーシュは顔を上げた。濃い青のロングスカートの裾が見え、カーディガンを羽織っている母と目が合う。その手には小さな鞄が握られており、マリアンヌもルルーシュと同じく出かけるのであろうことが察せられた。
「今日は雨は降るかしら」
「天気予報では30パーセントと言っていましたよ」
「ルルーシュ、あなたの予想はどう?」
「おそらく降らないでしょうね。前線もかかっていないし、夕立の心配も必要ないかと」
「そう、なら傘は持っていかないことにするわ」
半身をずらして鏡を譲れば、ありがとう、と礼を返される。緩やかなウェーブの髪一筋から、綺麗に磨かれたパンプスの爪先まで、すべてが美しくマリアンヌを形作っている。自分の母親ながら感嘆し、ルルーシュは玄関の戸を開いた。太陽の眩しさに思わず目を細めて、並んで門扉までの道を行く。
「夕飯までには帰ってこられるの?」
「ええ、そのつもりです」
「遅くなってもいいのよ? 何なら私が作っても」
「いいえ、母上はどうか何もせずに。食事は俺が作りますから」
こんなにも美しい人なのだが、マリアンヌの作る料理は別の意味で芸術的だ。以前に振舞われた手料理を思い出し、ルルーシュは青ざめながら本気で思いとどまるように願う。門扉を開けて勧めれば、先に出た母親がくすりと笑って手を伸ばしてきた。指先がルルーシュのシャツの襟を正し、そっと撫でて離れていく。
「分かったわ。あなたのご飯を楽しみにしているから」
「何かリクエストはありますか?」
「そうね、お肉よりはお魚。オリーブオイルで焼いて、この前作ってくれたオレンジとクレソンのソースがいいわ」
「分かりました。付け合せに緑野菜を用意しますね」
「ありがとう。いってらっしゃい、ルルーシュ。気をつけて」
「いってきます、母上。いってらっしゃいませ」
「いってきます」
足を止めて、ルルーシュは歩き出した母親の背を見送る。凛とした姿は決して大柄ではないはずなのに、泰然とした雰囲気を覚える。振り向いてマリアンヌが手を振った。ルルーシュも同じように振り返してから、背を向けて家を離れた。
街頭の大きなテレビでは、政治家たちが大きな声で討論を繰り返している。枢木玄武の増税に関する主張に、桐原泰三が冷静な指摘をし、どんどんと白熱していく議場をルルーシュは横断歩道の手前から見上げていた。前を行きかっていた車が白線で停まり、赤だった信号が緑に変わる。周囲の人々と共に歩き始めたルルーシュは、向かいから来る集団の中に見覚えのある人物がいることに気がついた。相手も気がついたのか、右手を挙げてぶんぶんと振ってくる。
「ルルーシュー!」
「マオ」
「ねぇルルーシュ、遊園地に行こうよ! 僕これからチューチューランドに行くんだけど、ルルーシュも一緒に行こうよ! きっと楽しいよ!」
飛ぶように駆け寄ってきて、マオはルルーシュの両手を握り締めて上下に振る。痛いくらいの力に眉を顰めるけれども、マオはそれに気がつかない。交差点の真ん中で止まった二人を避けるように、人々は横断歩道を渡っていく。二車線の道路はルルーシュが迷っているうちに点滅を始めてしまい、マオの手を引いて中央分離帯の上に上がった。信号が変わり、また車が走り出す。道路の真ん中にいる状況に、マオが楽しそうに歓声をあげた。
「ルルーシュ、遊園地に行こうよ! コーヒーカップに乗ってメリーゴーランドで回ろうよ!」
「・・・・・・悪い、マオ。今日は用事があるから、また今度」
「えーっ! 駄目だよ、やだよそんなの! 行こうよルルーシュ、行こう行こう行こう!」
「次は必ず行くから。遊園地の開園前から並んで、乗り物を全部制覇しよう」
「・・・・・・本当? オバケ屋敷も入ってくれる?」
「ああ。ジェットコースターも乗ろう」
「苺のチュロスを食べるんだよ!」
「分かってる。来週の土日なら空いてるから」
信号が黄色に変わって、赤になるのとマオが満面の笑顔になるのは同時だった。握ったままだった手を左右に振って、約束だよ、と叫んで横断歩道を渡っていく。反対側に着いたマオが大きく両腕を振ってから走り出すのを、ルルーシュは行きかう車の合間から見送った。そして横断歩道に背を向けて、また歩き出す。
花屋の店先に色とりどりの薔薇が並んでいて、ルルーシュは思わず足を止めた。赤に白、ピンクに黄色、グラデーションのオレンジ、染料を使っているのか青や黒まである。形も様々だったけれども、どれもが目を引く鮮やかさに感心していると、突然背中に衝撃を受けて息を呑み込んだ。柔らかな腕が肩越しに絡まってくる。薔薇に混じって届いた香りに覚えがあったため、ルルーシュは張り詰めた全身の力を抜いた。
「ふふ、誰だ?」
「ユフィだろう?」
「正解!」
溜息を吐いて首だけで振り返れば、近い位置にユーフェミアの笑顔がある。手が肩から腕へと抱きつく先を変えて、振り向けばユーフェミアだけでなくクロヴィスもいた。紫の瞳を細めて、少しだけ上からルルーシュを見下ろしてくる。
「お久しぶりです、クロヴィス兄上」
「久しぶり、ルルーシュ。先月のパーティー以来かな? 今度は社交界なんか関係なく遊びにおいで。新しいチェス盤を買ったんだよ」
「また俺が勝ってしまうでしょうけれど、それでもよろしければ」
「もう、ルルーシュったら!」
ユーフェミアが隣から小突くけれども、当のクロヴィスは苦笑して眉を下げている。それでも兄として不愉快なのか、伸びてきた指先がルルーシュの頬をむにっと引っ張った。おお伸びる、と楽しそうに笑っている。にゃにしゅりゅんでしゅか、あにうえ、と悪態をつけば、すぐに解放された。代わりにユーフェミアが軽く腕を引っ張ってくる。
「これからギネヴィア姉様と、カリーヌと一緒にお買い物に行くの」
「シュナイゼル兄上も途中で合流する予定だ」
「ルルーシュも一緒に行きましょう? みんなでご飯を食べましょうよ!」
「・・・・・・ごめん、ユフィ。悪いけど今日は用事があるから、また今度じゃ駄目かな」
兄姉妹の顔が思い浮かび申し訳なく感じながら断れば、ユーフェミアはぷくっと頬を膨らませた。白い肌が薔薇にも劣らずピンク色になって、その可愛らしさに指先を伸ばしてかすかになぞれば、今度は深い赤に変わる。ユーフェミアの呟いた「ずるい」という意味がルルーシュには分からなかったが、クロヴィスは面白そうににやにやと笑っていた。
「じゃあ今度ね、絶対よ?」
「ああ、もちろん」
「みんなで行きましょうね。必ずよ!」
今夜電話するから空いてる日を選んでおいてね、と言い残してユーフェミアは軽やかな足取りで道路脇に停められている車へと駆けていく。クロヴィスは肩を揺らして笑いを収め、ルルーシュに尋ねた。
「シュナイゼル兄上に伝言はあるかい?」
「いえ、特には。身体に気をつけてとお伝えください」
「分かった。それじゃあまた会おう、ルルーシュ」
ゆっくりと車へ歩いていく兄の背を、ルルーシュは花屋の前で見送った。高級車の窓が開けられ、ギネヴィアの視線とカリーヌの笑顔が向けられる。ルルーシュも微笑み返しているうちに車は出発し、たちまち見えなくなっていった。途端に戻ってきた芳香に、もう一度見た薔薇はやはり色鮮やかだったけれども、購入はせずに歩き出す。
駅前のロータリーでバスを待っていると、直人という青年に声をかけられた。どうやら乗りたいバスがどこから出るのか分からないらしく、簡単な説明をすれば「ありがとう」と明るい礼が返される。感じのいい人だな、と友人の中に戻っていく背をルルーシュは見送った。その視界の端に映った姿に見覚えがあり、もう一度よく見て確認してから、バスの到着までまだ時間があるのでルルーシュはそちらへと足を向けた。
「やぁ、ルルーシュ」
「何してるんですか、V.V伯父さん」
「シャルルを待っているんだ」
売店の横にある花壇に腰掛けている伯父に、ルルーシュは呆れてしまった。年齢に似合わない幼い容姿を持つ伯父がそうしていると、遠足に行くために集合場所で待っている小学生を想像してしまう。ぽんぽんと空いている隣のスペースを叩かれ、ルルーシュは溜息を吐き出しながら腰を下ろす。眺める街並みは、駅前ということもあって騒がしい。
「僕ね、猫を飼いだしたんだよ」
「そうですか」
「白くてね、赤い瞳なんだ」
「それはウサギじゃないんですか」
「猫って名前のウサギなんだよ」
「もうちょっとマシな名前をつけてください」
「じゃあルルーシュってつけてもいいんだね?」
「まだシャルルってつけてもらった方がいいですね」
「それなら今度、君につけてもらおうかな。ウサギを連れて遊びに行くよ。いいよね?」
「ええ、前もって連絡を入れてくださるなら何時でもどうぞ。人参でも用意しておきますよ」
ぴょん、とV.Vが立ち上がる。長い金色の髪が揺れて、くるりとコートの裾をひらめかせて伯父が対面に立った。花壇の背後に設置されている時計を見上げて、ほとんどない肩を竦めている。
「もう行くよ」
「いいんですか?」
「うん。シャルルの買いたいものは分かっているから、先に行って品定めしているよ」
V.Vが一歩進むたびに、斜めにかけられているポシェットがぽんぽんと跳ねる。別れの挨拶もなしに雑踏に紛れていく小さな伯父の背を、ルルーシュは花壇に腰掛けたまま見送った。乗る予定のバスが来たので、立ち上がってズボンの尻をはたいてから歩き出す。
香ばしい匂いのパン屋に差し掛かったところで、カランとベルが鳴ってドアが開き客が出てくる。ルルーシュが足を止めていると、相手も気づいたのか顔を上げ、二人揃って驚きの声をあげてしまった。パン屋の紙袋を手に抱えたシャーリーは、すぐにルルーシュの方へと駆け寄ってくる。
「ルルもこのパン屋さんに買いに来たの?」
「いや、たまたま通りかかったらシャーリーが出てきたんだ」
「そうなんだ。ここ、美味しいんだよ! おススメはねぇ、クリームパンかな。中のクリームがしっかりしてて、すごく美味しいの」
ほら見て、と紙袋を示されて覗き込めば、数々の焼き立てパンが所狭しと詰まっている。お父さんと食べるんだ、とシャーリーは照れたように笑い、すぐ後に目をぱちりと瞬いた。慌てたように紙袋の中に手を突っ込む。
「あのね、ルルにもあげる! 甘いの大丈夫だよね? メロンパンとアップルパイとどっちがいい?」
「いや、俺は」
「あ、やっぱりクリームパンだよね! 最後のひとつだったんだけど・・・でもいいや、ルルにあげる。ちゃんと食べてね!」
「それは悪いだろう。楽しみにしてたなら、貰うわけにはいかないさ。シャーリーが食べるといい」
「いいの! だってルルに食べてもらいたいんだから。あっ、じゃあね、交換条件!」
「交換条件?」
「・・・・・・ルルって、お昼いつも手作りのお弁当でしょう? 今度、私にも作ってきて、くれないかなぁ、なんて・・・」
「そんなことでいいのか?」
「う、うん! ずっと美味しそうだなって思ってたの! あんなお弁当を作れるなんて凄いなって!」
「分かった。来週にでも作って持っていくよ」
「ありがとうっ!」
花の咲くように、それこそクリームパンのクリームよりも甘い笑顔を向けられて、今度はルルーシュも遠慮せずにパンを受け取る。手のひらに乗ったそれは意外に軽く、けれど香ばしい匂いが漂ってきた。美味しそうだな、と感想を漏らせば、我がことのようにシャーリーが嬉しそうに眦を下げ、そして慌てて手首の腕時計を見る。
「ごめんね、ルル! お父さんが待ってるからもう帰らなきゃ・・・」
「ああ、引き止めて悪かった。クリームパンありがとう」
「ううん、私こそ! じゃあまたね!」
紙袋を抱えて走り出したシャーリーは、途中で何度か振り向いて、その度にはにかむ様に笑った。揺れるオレンジ色の髪を見送って、ルルーシュはまた歩き出す。割ってみたクリームパンは柔らかいが弾力があり、黄色いクリームはシャーリーの言う通り少し硬めで、それがとても美味しかった。
曲がり角でジノにぶつかりそうになった。ルルーシュは突然の事態に硬直するだけだったが、ジノの方で避けてくれ、思い切り頭を打ち合うこともなかった。どうやら急いでいるらしい彼はルルーシュを見てぱちりと目を瞬き、「ルルーシュ先輩、また今度!」とだけ言って笑顔を向けてから走っていった。擦れ違う後ろ姿を見送り、ルルーシュは歩き出した。
次の曲がり角でもまた、ルルーシュはぶつかりそうになった。今度は相手が肩を抑えることで衝突を緩和してくれ、礼を告げようと顔を上げると、これまた見知った姿があった。
「久しぶりだな、ルルーシュ君」
「藤堂さん。仙波さんに卜部さんも、お久しぶりです」
「やぁ」
「久しぶり」
身長はまちまちだけれども、体格の良い男たちが三人、連れ立っているのはそれだけで迫力がある。それでも藤堂の手に込められている力は優しいものであり、ルルーシュがちゃんと立ったのを確認してから支えを解く。ありがとうございます、と礼を述べれば、藤堂は緩やかに目元を和らげた。
「ルルーシュ君、少し痩せたんじゃないか?」
「それはいかんな。子供はもっと食べて寝るべきだぞ」
「また道場に来るといい。相手をしよう」
「藤堂さんに相手をされたら、ウォーミングアップの時点で倒れますよ。俺の運動神経が悪いのはご存知でしょう?」
「だからこそだ。君は努力家だし、機転が利く。多くの場を経験しておくことは大切だろう」
「・・・・・・分かりました。今度お伺いします。ですがくれぐれもお手柔らかに。くれぐれも」
重ねて念を押せば、仙波と卜部が笑った。藤堂も苦笑するようにして、ルルーシュの頭をぽんぽんと軽く撫でる。それじゃあまた、と並んで歩いていく彼らの背を、ルルーシュは複雑な気持ちで見送った。雑踏の中でも体格の良い三人は簡単に見つけることが出来る。溜息を吐き出し、ルルーシュは歩き出した。
風が真横から吹いてきて、目にかかった髪をかきあげていると目の前に車が止まった。目映いシルバーの車体には傷も汚れも何一つなく、ルルーシュの顔さえ綺麗に照らし出している。静かに窓が開くと、前を向いたままの父親の顔が出てきた。広い車内には運転手以外に連れもいないらしく、ルルーシュは首を傾げる。
「伯父さんと待ち合わせだったのではありませんか?」
「兄さんに会ったのか」
「ええ、駅前で。先に店に行くと仰っていました」
「そうか」
前を向いたままこちらを見ない父親に、ルルーシュは少しだけ肩を竦める。家庭の事情から離れて暮らしているため、こうして顔を合わせるのは実に一ヶ月振りになるだろうか。会話はどうしても事務的なことになりがちで、主導権を譲るためにルルーシュが沈黙すれば、どうしたって話は続かない。けれど今日は珍しく、車内のシャルルが口を開いた。
「・・・・・・三週間後」
「はい」
「授業参観があるそうだな」
「はい」
「父兄だと聞いた」
「はい。父上はお忙しいかと思いましたので兄らに相談したところ、シュナイゼル兄上がいらしてくださるそうです」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・もしお時間が空きましたなら、父上も是非いらしてください。勇姿を見せられるかは分かりませんが」
吐き出したくなった溜息を飲み込んで代わりに言えば、寄せられていたシャルルの眉間の皺が明らかに緩んだ。分かりやすい人だと我が父ながらにルルーシュが呆れていると、胸を反らしてシャルルがようやく振り向く。
「無様な姿を曝すでないぞ、ルルーシュ」
「努力します。父上もどうかご無理はなさらず」
「ふん、仕事など容易いものだ。・・・・・・マリアンヌに健勝だと伝えておけ」
「はい」
黒光りする窓が静かに上がり、シャルルをまた車内の人へと戻していく。派手な車が我が物顔で走り出すのを見送り、ルルーシュはまた歩き出す。ひとつ溜息を吐き出して、そしてかすかに笑いながら。
傾いた日差しが街をオレンジ色に染め上げ、店のウィンドウも輝きを変える。少しばかりの醜さに目を細めていると、鮮やかなライトグリーンが映し出されてルルーシュは振り向いた。歩道橋の上のC.Cは、目が合うとにやりと唇を吊り上げて、足取り軽く階段を下りてくる。膝丈のスカートの裾を揺らして、あっという間にルルーシュの前まで辿り着いた。
「今日は母上と美術館じゃなかったのか?」
「マリアンヌとはもう別れた。スーパーに寄ると言っていたな」
「っ!」
「冗談だ。ケーキを買って大人しく帰っていったぞ」
「・・・心臓に悪い。本気で止めろ」
はぁ、と額を押さえるルルーシュに、C.Cは肩を震わせて楽しそうに笑う。帰宅途中のサラリーマンが来たので道を譲り、くるりと一回転してからウィンドウに背を預けたC.Cに習い、ルルーシュも彼女の隣に並んだ。帰路へつく人々で溢れている雑踏は騒がしく、肩が触れるほどに近寄らなければ互いの声も聞こえない。
「美術館はいいな。静かで人も少ないし、ナンパしてくる馬鹿な男もいない」
「おまえと母上をナンパしようだなんて、命の惜しくない男もいたもんだな」
「水族館も好きだ。ラッコやイルカは可愛いし、マグロは見てるだけで食べたくなる」
「大人しく寿司屋に行け」
「映画館もいいが、あれはひとりで行くべきところだな。せっかく隣にいるのに二時間も喋れないだなんて、デートの意味も無いじゃないか」
「まぁ、それは確かに言えることだが」
「遊園地も悪くは無いが、チューチューランドは待ち時間が長くて話題が尽きて、カップルは分かれるともっぱらの評判だそうだ」
「ああ、付き合い始めのカップルには難易度が高そうだな」
「じゃあ決まりだな。水族館を回った後で、寿司屋に直行だ」
「は?」
「次の休み、午前10時にチュラチュラ水族館の正門前。遅刻などしてみろ、マリアンヌに報告してやるぞ」
にやりと唇を吊り上げて、C.Cはウィンドウから背を離す。目を瞬いたルルーシュを覗き込むようにして彼女は笑い、雑踏の中へと一歩下がる。夕焼けのオレンジが、彼女のライトグリーンの髪を神秘的な色に変えた。
「心配するな。割り勘にしてやる」
「・・・・・・分かった。弁当はいるか?」
「おまえの手作り弁当を食べたら、寿司屋の有り難味が減るだろう。デザートだけでいい」
「はいはい」
「苺だぞ」
了解を取り付けて、C.Cはひらりと手を振って横断歩道へと向かっていった。輝いている長い髪を眺めていれば、彼女は一度振り向いて悪戯に投げキッスを寄越してくる。眉を顰め、けれどルルーシュも苦笑して手を振った。青になった横断歩道を渡っていく後ろ姿を見送り、ルルーシュも店の前から離れ、歩き出す。
どこまで歩いてきたのか分からないが、紅はすでに西の空に残るだけになり、東には半月が昇って夜の様相を見せ始めている。周囲の人影もいつの間にかばらけており、各々が自宅へと辿り着いている頃だろう。心持ち空腹を訴える胃を感じながら、ルルーシュはゆっくりと歩み続けていた。車もなく、自転車も無い。聞こえてくる音といえば遠い場所の踏み切りが降りるそれだけで、鼻につく匂いは温かな夕食を思わせるそれだ。さてそろそろ、とルルーシュが首を戻したところで、いつの間にか目の前に見知った存在が立っていた。鍛錬中なのか、胴着を着ているスザクは額に汗を浮かべている。
「ルルーシュ」
「やぁ、スザク。ランニングか?」
「そんなところ。あ、ちょうど良かった。後で電話しようと思ってたんだ。政治のレポートで分からないことがあって」
「お父上に聞けばいいだろうに」
「・・・聞けないって分かってて言うかなぁ。意地悪だね、相変わらず」
「性格なんだ」
汗を拭いながら苦笑いを浮かべるスザクに、ルルーシュもくすりと笑みを漏らす。少しばかり冷えてきた夜は涼しくて、スザクの吐く息が僅かに白く澱んだ後に消えていく。人がいないせいか声が良く通り、自然と二人とも声量を抑えた。向かい合った距離は近くて、ルルーシュが柔らかに笑めば、スザクも同じように笑い返してくる。
「それにしても、政治のレポートなんて宿題があったか?」
「先週の火曜日に出たやつだよ。君は確か、自習時間のうちに終わらせたって言ってたっけ」
「ああ、あれか。そういえば提出はまだだったな」
「いいよね、ルルーシュは政治が得意で。僕なんか平均点しか取れなくて、何度父さんに叱られたことか」
「俺はこの前、経済のレポートでA+が取れなくて父上に怒られたぞ」
「あれ、珍しいね? ルルーシュが最高評価を逃すなんて」
「ブリタニア企業の新製品リサーチにおける問題点を突いたら、そういうのは家族会議でやってくれと泣きつかれた」
「先生も気の毒に」
話し合っている間に、西の空も完全に夕焼けを沈めた。そろそろ時間かとルルーシュが空を見上げると、察したスザクが脇にそれて道を譲る。自然な動作で二人はすれ違い、手を振り合った。
「じゃあスザク、後で電話する」
「ありがとう、待ってるから」
「疲れ果てて寝るなよ」
「起きてるよ、多分」
直線でしかないアスファルトの道に、ルルーシュは一歩を踏み出す。スザクは見送ってくれるらしく、その場に足を止めたままだ。ルルーシュは二歩目を踏み出す。靴が地を蹴る。足が軽くて、早めに三歩目を踏み出す。踵が着く前に四歩目で地面を打って、そのままの勢いで走り出した。背後にはまだスザクの気配があり、それも走っていくうちに歩き始めたのか距離の開いていく感覚があった。短くなる息が白い。眺める空は高く美しく、ルルーシュは星の瞬きにつられるようにして笑いながら走り続けた。
ありがとう、ありがとう、ありがとう。さよなら。
end so start
(表テーマは約束、裏テーマはR2第15話くらいの時点における久堂の死亡予測リストです。)
2008年8月18日、9月15日