【「昨日、今日、明日、遠い未来」を読むにあたって】

この話は、R2第19話「裏切り」のネタバレを含みます。
ネタバレが嫌な方はどうかご遠慮ください。どんな話でも大丈夫という方のみご覧くださいませ。
閲覧後の苦情は申し訳ありませんがお受け出来ません。少しでもやばいと思われた方は今すぐお戻りくださいませ。むしろレッツリターン!



▼ 大丈夫です、読みます ▼












































ナナリー、ロロ、シャーリー。ユーフェミア、クロヴィス兄上。アッシュフォード学園のみんな、黒の騎士団。母上、父上。
俺はまだ、生きています。俺は今、生きています。





昨日、今日、明日、遠い未来





朝は早い。夜明けを迎える前にベッドを抜け出し、身なりを整える。着古されたシャツに、擦り切れ始めたズボン。小さな洗面台の蛇口を捻って、出てきた水で顔を洗う。水滴を拭うタオルは少し硬いけれども太陽の匂いがする。木製の櫛で軽く髪をとかし、夜のうちは外していた眼帯を左目に当てる。医療用ガーゼが視界の半分を遮った。カーテンを開き、力を入れないと開けない窓を、何度か押してどうにか風を入れる。ベッドメイクをしてから部屋を出た。
「おはようございます、ルイーズさん」
「おはよう」
階段を下りて右に曲がれば、すでに初老の男がダイニングのテーブルについてた。挨拶をすれば、皺の刻まれている目尻を下げて応えてくれる。物が雑多に置いてあるキッチンに向かい、薬缶の中身を流しに捨て、新たな水を入れてコンロにかける。ジジ、という音がして青い炎がついた。マグカップを二つ用意し、インスタントコーヒーの粉を入れてから食器棚を漁る。
「今日はキュウリとトマト、それに卵を買わなくてはならんなぁ。コーヒー豆もそろそろ切れそうだったか」
「ペーパーナプキンが残り一箱になっています。コーヒー豆は来週まで持つでしょうが、先週の市でイアンさんが近々安売りをすると言っていましたから覗いてみるのも良いかと」
「缶詰はどれだけ残っていたかな」
「コンビーフが10、オリーブが8、イワシが17、マッシュルームが11、洋ナシとアプリコットがそれぞれ9、白桃が12です」
「ではまだ買い足さんでも良いか」
ヤカンがけたたましい音を鳴らす前に火を止め、マグカップに注ぐ。冷蔵庫から取り出した牛乳を入れてかき混ぜれば、綺麗な渦を描いて茶色へと変わった。先ほど取り出したクッキーと共に老人に差し出し、自らも同じテーブルに着く。しばらくは無言が続き、互いにコーヒーを啜った。レースのカーテンの向こう、まだ夜は明けていない。新聞配達のバイクの音、ただそれだけだ。空になったマグカップを置き、老人が立ち上がる。
「それでは行こうかね」
「はい」
マグカップを二つ、流しで軽くすすいで食器籠に入れる。椅子にかけたままだったジャケットを手に取り、玄関で帽子を深く被る。外に出ればまだ空気は冷たく、それでも東の空は徐々に明るくなり始めていた。朝日は黄金であり、空は白に近い水色だ。小さなワゴンの運転席に乗り込み、キーを差し込んでエンジンを噴かせる。車は町の静寂を壊すことなく、二人を乗せて走り出した。



かつてEUと呼ばれていた国の、都会から遠く離れた小さな田舎町。その町角でひっそりと開かれている一軒の喫茶店は、コーヒーと紅茶、そして軽食を扱っていた。来るのは町の住民ばかりで、店主は生まれてからずっとその町で暮らしてきた初老の夫婦。娘息子はおらず、跡継ぎもないため夫婦の代で終わりかと思われていたが、いつしか一人の青年が店を手伝うようになっていた。黒い髪は長く、左目は病か戦争で失ったのか空洞で、眼帯を常に当てている。年は二十を越えているだろう。細身で儚い雰囲気を持つ彼を老夫婦はまるで実の子のように可愛がっており、そんな彼はいつの間にかひっそりと町に溶け込んでいた。青年の作る料理は美味しく、その整った容姿を見たいがために喫茶店に通う少女も増えたという。誰も彼の過去を知らない。それでも青年は密やかに喫茶店の二階で暮らしていた。
「やぁ、今日のランチは何かね?」
「こんにちは、ハインリヒさん。今日はビーフシチューとアスパラのサラダです」
「では、それを頼む。あと悪いんだが、妻に何か包んでもらえないだろうか? 頭が痛いらしく今日は家で休んでいてね」
「そうなんですか・・・。分かりました、それではリゾットか何かご用意しますね」
「ありがとう」
「お大事になさってください」
礼を言ってから客は、店主である老人と同じテーブルに着く。青年が来てからというものの、この店の料理はほとんど彼が作っていた。シンプルな藍色のエプロンを身につけてカウンターの内に立ち、狭い場所を左右に移動しながら器用に食事を作っていく。店主はテーブルのひとつで新聞をめくり、時に客の話に付き合い、婦人と庭の手入れをしながら一日を過ごす。
今日もぽつりぽつりと客の出入りがあり、午後四時を回る頃にはランチも売り切れ一段落する。椅子にもたれたまま舟をこいでいる老人にそっとタオルケットをかけて、軽く絞った布巾でテーブルを拭いていく。閉店は七時と早く、それでも町の小ささから考えると当然のことでもあった。明日の仕込みをとメニューを考えていたところ、カランカランと入り口のカウベルが鳴り、見慣れた子供が駆け込んできた。
「こんにちはっ!」
「こんにちは、アンリ。いらっしゃい」
「一昨日の宿題、全部分かったよ! クラスでも出来たのが僕ひとりで、先生も褒めてくれたんだ!」
「そうか、それは良かった。アンリが頑張った成果だよ」
カウンターから出てきて頭を撫でれば、へへ、と嬉しそうに頬をかいて子供が頷く。濃い茶色の髪の毛は手触りが良く艶もあり、子供はこの町で一番良い家の長男だった。本来ならば喫茶店に通うような年ではないが、子供は二日に一度やって来る。それは青年に勉強を教わるためだった。料理上手な彼は、多くの学も持ち合わせていた。分かりやすく、理解を踏まえて公式を教え、そして道理に導いてくれる。初等学校から大学まで幅広い学識を持つ青年に、子供の親も「息子をお願いします」と嬉しそうに頼んでいた。子供も青年によく懐き、ノートと教科書を片手に来ては、ケーキとジュースを注文して算数や社会を教わっていく。
町に日々は穏やかだった。青年は静かに時を過ごし、喫茶店からは毎日芳しいコーヒーの匂いが漂っていた。



田舎町の夜は早い。周囲を覆う森たちが深い闇を連れてきて、人々は日付が変わる前に眠りに付く。青年もそれは同じで、喫茶店の二階にある小さな部屋で、ベッドに身を横たえていた。けれどふと、自分以外の誰かの気配に気づいて目を見開く。反射的に起き上がろうとした身体を制したのは、隣の部屋で寝ているはずの老人だった。しわがれた、骨と皮のような手が青年の口を覆い、出来る限り低い声で囁き告げる。
「この町に、ブリタニアの軍が来ている」
青年の身体が強張り、唯一存在する右目が大きく瞠られた。カーテンの間から届く月光が紫に輝かせ、左目の醜い空洞との差を浮き彫りにさせる。
「ハインリヒさんから電話があった。ベニアミーノさんが引き留めているから、今のうちに西の方へ逃げなさい」
「・・・・・・ルイーズさん、あなたは」
「三ヶ月、目を見て過ごせば私にでも分かる。君はとても優しい子だ」
手が離れ、急いで、と告げられる。向けられる柔らかな笑みに引きずられるようにして青年は立ち上がり、クローゼットから出される洋服に着替えていく。老人はショルダーバッグにいくばくかの服と小物、それに財布を入れて青年に手渡した。階段を下りていけば、婦人が明かりのついていないキッチンから出てくる。ナイトキャップを被ったまま、布巾で包まれた塊を差し出した。
「サンドイッチだよ。おまえが作るものほど美味しくはないけれど、途中でお食べ」
「待ってください。ここで俺が逃げたら、あなたたちが」
「そんなことは気にしなくていい。気をつけるんだよ。絶対に捕まるんじゃないよ」
サンドイッチを無理やりに鞄に詰め込み、いつも市場へ行くときに被っている帽子を、婦人は背伸びして青年の頭に押し付ける。手を引くようにして裏口から連れ出され、古びた柵を開かれる。お行き、と老夫婦は青年に言った。
「短い間だったが、楽しかったよ。まるで本当の息子が出来たみたいだった」
「ありがとうよ。いつかまた来ておくれ」
「気をつけていきなさい。いつかきっと、君の優しさが理解される日が来るだろう」
伸びてきた手が青年の腕を叩き、肩に回され、頭を優しく撫で付ける。パジャマからさえもコーヒーの匂いがして、青年は緩く顔を歪めた。両の腕で老夫婦を抱き返し、ありがとうございました、と掠れた声で感謝を告げる。老夫婦が嬉しそうに笑った。
夜明けから逃げるようにして、青年は町を出る。



西の森を、ひたすらに歩いていた。本当は走るべきなのだろうが、青年は己の体力の無さを自覚している。息が切れかけていたけれども、それでも出来るだけ殺しながら先を急いだ。町の人は無事だろうか。懸念は尽きないけれども、おそらく殺されることは無いだろう。自分の存在など知らぬ存ぜぬを突き通せばいいのだ。何より彼らは本当の意味での青年を知らない。だから嘘をつくことにはならない。そしてそのことをブリタニア側は何より見抜いていることだろう。
「そこにいるのは誰だ!?」
突然当てられた光に、目の前が焼ききれるように白く変わる。反射的に目を押さえた指の向こう、二人の男が塞がるようにして森の中に立っており、青年は思わず舌打ちをした。格好からしてブリタニア軍人なのは間違いなく、名誉なのか武器は所持していない。町全体を包囲していたのだろう。周到なことだ、と青年は内心で皮肉に呟く。
「・・・・・・男か?」
「町の者か? 名を名乗れ。こんな時間にどこへ行く?」
がさがさと茂みが掻き分けられ、懐中電灯の光が揺れながら近づいてくる。ここで捕まるわけにはいかないと、青年は奥歯を噛み締めた。ブリタニアに捕まるわけにはいかないのだ。その手に落ちれば、もはや自由は無い。シュナイゼルの膝元で生涯飼い殺されることになるだろう。飼われるのならまだマシだ。けれどおそらく何不自由ない生活を保障され、そしてすべてが不自由に暮らすことを義務付けられるのだ。異能である左目など、すでに自ら抉り出したというのに、それでもまだ追ってくる。捕まるわけにはいかない。ナナリーが育て、シャーリーが救い、ロロが遺してくれた命、そんな無為に使うわけには。
青年が僅かに足を引いたのを、逃げるためだと思ったのだろう。男たちの気配が変わり、剣呑なものに変わる。どうするべきかと青年が思考に走った瞬間、男の後ろで何かが鈍くきらめいた。
「えいっ!」
高い少女の掛け声と共に、ガン、と鈍い音が男の頭で起こった。おそらく物凄い衝撃を受けたのだろう。青年の足元に崩れ落ちてきた男のヘルメットは縦にひびが入って割れている。何だと思って顔を上げれば、男の立っていたすぐ後ろに少女がひとり、フライパンを抱えて佇んでいた。地味な灰色の服は夜に紛れて分からない。それでも黄金の瞳には見覚えがあった。短くなってしまっているけれども、ライトグリーンの髪にも。
「C・・・!?」
「はぁっ!」
今度は横から掛け声がかかったかと思えば、残っていたもうひとりの男が青年の視界を勢いよく横切っていく。バランスを取って草の上に着地した相手にも見覚えがあった。赤い髪はC.Cと逆に長くなっている。すぐに手首を掴み、走り出すその強さも変わっていない。えい、と地に伸びている男にもう一撃フライパンをお見舞いして、C.Cもすぐについてくる。どうしてここに二人がいるのか理解できず、青年―――ルルーシュは、己の手を引くカレンに叫んだ。
「何故っ・・・何故、おまえたちがここにいる!?」
走りながら振り向き、カレンは逆に責めるような瞳でルルーシュを睨み付けた。
「あなたを探してたからに決まってるでしょ!? まったく、ちっとも一箇所にじっとしてないんだから!」
「だけどご主人様がご無事で良かったです! 本当に、良かった・・・っ」
C.Cが隣で涙ぐむようにして、手を伸ばしてルルーシュのそれを握り締めてくる。二人は半ばルルーシュを引きずるようにして森を抜け、停めてあった車に転がるようにして乗り込む。すぐに発進したそれは、塗装されていないでこぼこの道を上下に跳ねるようにして進み、危うく頭をぶつけかけながら、ルルーシュはバックミラーに映っている、これまた見覚えのある人物に驚いた。
「ジェレミア・・・!?」
「お迎えが遅くなり申し訳ありません、我が君」
「何、で」
茫然とするルルーシュを、右からカレンが覗き込む。ぎくりと身を震わせた姿に、馬鹿ね、と笑う。
「そんなのルルーシュが好きだからに決まってるでしょ? やっぱり私、あなたと一緒に行くわ。あなたがどんな人か知っても、もう離れるなんて出来ない」
「ご主人様は優しい方です。わたしのことを救ってくださいました。だからわたしも、ご主人様と一緒に行きます」
「・・・・・・逃げるだけの、生き様だぞ?」
「そんなの関係ありませんよ。私たちにとって、ルルーシュ様の存在こそが笑顔の源なのですから」
生きることとはそういうことではありませんか? ジェレミアが鏡越しに笑う。カレンも同意するように目を細めて、C.Cも力強く首を縦に振った。ショートカットになったグリーンの髪が揺れ、ルルーシュは無意識のうちに手を伸ばす。指に絡まることなく、すぐに途切れた感覚に時の流れを知る。
「・・・・・・勿体無いな、綺麗だったのに」
「ご主人様を探すのに、目立ってしまいますから。それじゃあ意味が無かったですし」
くすぐったそうにC.Cが笑う。カレンを振り向けば同じ分だけ成長した顔があり、すでに立派な女性になっていることが感じられた。手を伸ばして赤い髪に触れれば、僅かにその頬を朱に染める。
「カレンは美人になったな」
「なっ・・・口が達者なのは相変わらずね!」
「大人っぽくなったって言ってるんだ」
知らず唇が緩んで、笑みを浮かべたのなんて何時振りだろうかとルルーシュは思い返す。黒の騎士団を追われ、神根島にて父親を葬り、すべてから手を引くことを選んで密やかに生きようとしていたけれども、シュナイゼルはそれを許してくれなかった。ギアスは存在してはいけない力だと言い、それを抉り捨てても尚、彼はルルーシュを危険視した。殺しはしないよ、だからおいで。そうして軍を動かす兄から逃れ続けて数年。今回のように優しく逃がしてくれる人たちもいれば、軍を呼ばれ売られかけたときもある。それでも逃げ、生き延びてきた。命を捨てることなど出来ない。多くの死を齎した罪人だとしても、ルルーシュという人間はナナリーが育て、シャーリーが救い、ロロが遺してくれたものなのだから。
「・・・・・・ありがとう」
万感の意を込めて囁けば、カレンもC.Cもジェレミアも嬉しそうに笑ってくれた。同じように笑みを返して、ルルーシュは目を閉じる。傍にある誰かの体温がこんなにも優しく感じるのは久し振りだった。これから先も逃亡の人生だろうけれども、それでも足掻いて足掻いて、そして最後には笑って死ぬ。そうルルーシュは決めていた。これはもはや、己の義務だ。懸命に生きて幸福に死ぬことだけが、自分に出来る、生かしてくれた彼らへの感謝であり贖罪だ。
その日のために、ルルーシュは今日も生き続ける。朝日から逃げ、夜を求めて。生きていますと、喪った愛しい存在たちに申し出ながら、今日も、明日も。遠い未来も。





19話、ほっとしました。ロロが幸福だったこと、そして黒の騎士団との関係が終わったこと。騎士団は何というか、最後まで自分たちで考えるということは無かったんだなぁと思いました。
2008年8月17日