リヴァルは、自分はルルーシュの親友でありたいと思っていた。スザクのような特別にはなれないかもしれない。それでも、それでも。





銀河に融けた少年の友達





始業開始のチャイムまで後三分というところで、リヴァルは教室に駆け込んだ。本当はもっと余裕を持って来られるはずだったのだけれど、突然電話をかけてきたバイト先の店長と話をしていたらこんな時間になってしまった。今日のバイトのはずだった人が急病になってしまった、悪いけど今夜来てくれないか。電話口にも慌てていた店長を思い出して、リヴァルは軽く肩を竦める。特別手当をつけるからと言われなければ、苦手な歴史のレポート提出を明日に控えている今日、誰がその申し出を受けたものか。
ざわざわとした教室では、クラスメイトたちがいくつかのグループになって笑いあっている。その合間をすり抜けて、向けられる挨拶に答えつつリヴァルは自分の机を目指した。鞄を置いて、首をめぐらせて友達の姿を探す。案の定ルルーシュはスザクやシャーリーと一緒にいて、何の話をしているのか盛り上がっている。シャーリーが手振りで何かを表していて、スザクが横から同じようなジェスチャーを加え、そしてルルーシュは唇を吊り上げて笑っていた。
「・・・・・・ありゃ?」
やっぱりレポートは諦めるべきかもしれないとリヴァルが思った瞬間、チャイムが鳴って教師が入ってきた。

教師の綴る数学の公式は、リヴァルにとって程よく難解で、程よく興味深いパズルのようなものだ。好きではないけれど嫌いでもない。そもそも勉強は普通程度に出来るつもりだし、数学は答えがひとつに終着するからやりようもあるというもの。これが歴史やら国語やらになると答えが一気に抽象的になって、裏の裏を読まなくてはならないのだからお手上げだ。練習問題を片付けて、リヴァルはそっと二つ前の席のルルーシュを垣間見る。
黒い髪をさらりと重力に従わせ、ルルーシュはノートにペンを走らせている。紫の瞳は教科書や黒板を行き来せず、彼の頭脳からして問題を解き終えていることは明らかで、ならば何か違うことをしているのだろう。教師にばれない内職や睡眠は、ルルーシュの十八番だとリヴァルは認めている。その横顔は白いけれども、青ざめている様子はない。あえて言うなら少しばかり頬のラインが鋭くなったくらいか。
うーん、とリヴァルは首を傾げる。レポートはすでに諦めた。

「ルルーシュ!」
数学が終わった休み時間、次の化学のため移動教室の準備をしていた肩を後ろから叩く。ルルーシュはすでにノートも教科書もペンケースも持っており、彼のことだから携帯電話も制服のポケットに入れているだろうし、いくばくかの小銭も持ち歩いているだろう。ならば大丈夫、とリヴァルはその腕を軽く引いた。
「スザクー! 俺とルルーシュ、ちょっと先に行ってるから!」
まだ用意の終わらないスザクに声をかけ、分かった、という返事を貰うのと同時に少し早足で教室を出る。いつもなら何だかんだと言ってくるはずのルルーシュもされるがままで、リヴァルは自分の直感が間違っていないことを確信した。
化学室は一階だ。係りのニーナがすでに実験の準備をしていることだろう。けれど降りるべき階段を逆に上って、渡り廊下を抜け、特別教室の並びへと向かう。幾つかの会議室の前の抜き足で通り過ぎ、小ホールの入り口まで来る。重さのある扉は鍵がかかっていなかったけれど、中に入ることはせずに舞台脇の階段を上がった。放送室はさすがに開かなかったが、最奥の観覧席のドアは開いた。貴賓室のこの部屋からは、舞台と客席が一望できる。壁には高名な画家の絵画が飾られており、ソファーセットのスプリングは最高。流石はアッシュフォード学園だと納得する作りの部屋は、学生の立ち入りは禁止だし、滅多なことでも使われない。リヴァルがこの部屋の存在を知っているのは、ひとえに生徒会の一員だからだ。
勢いのままルルーシュを引っ張ってきたのはいいものの、さてどうしたものか。頬を掻きたい面持ちで掴んでいた腕を放せば、だらりと落ちた気配がした。沈黙を長引かせたくなくて、リヴァルはわざと明るい声を出して振り返る。
「会長から聞いたんだけどさ、ここのソファー、寝心地最高なんだって」
へぇ、という相槌すら返されない。ああこれは重症だ、とリヴァルは慌てて言葉を連ねた。
「だからルルーシュ、今日はここでさぼってれば? 先生には俺が適当に言っとくからさ」
ウィンクをつければ、ぱちりと目を瞬かれる。その紫の瞳がいつになく力を失っていることに、リヴァルは朝彼を見た瞬間に気がついていた。ルルーシュの秀麗な顔がいびつに歪む。いつだって冷静で愛想笑いが上手い彼の、負の色合いを乗せた表情を見せられる度にリヴァルはどきりとしてしまう。決して入ってはいけない領域に足を踏み入れてしまったような、今ならまだ逃げられる、そう囁かれているような、そんな気持ちになるのだ。
「・・・・・・何故分かった?」
「んー、何となく?」
笑ってみせるのさえ緊張しているのに、ルルーシュは気づいているだろうか。投げやりに教科書やノートを机に放り投げる所作さえ乱暴で、いつもの彼からは想像もつかない。靴を脱いで、三人掛けの様の大きなソファーに横になる。腕で目元を隠した様は、彼がとても疲労していることを物語っていた。壁時計を見れば、もうチャイムは鳴っていた。化学の実験はすでに始まってしまっているだろう。先に行った自分たちの不在を、スザクが不思議に思っているに違いない。それでもこんな状態のルルーシュを授業に出させることなど、リヴァルには出来なかったのだ。
「・・・・・・誰か呼んでこよっか? スザクとか、ナナちゃんとか」
「嫌だ。絶対に呼ぶな」
「じゃあ会長? それともシャーリー? カレン?」
「何故?」
嘲笑にも似た笑いが、あらわになっている赤い唇から漏らされる。リヴァルとて、おそらく拒絶するだろうなぁとは思ったけれども、それでも前者二名がルルーシュにとって重要な位置を占めていると感じているからこそ聞いたのだ。けれど、ルルーシュは拒んだ。親友にも妹にも、誰にも今の己を見せたくないと彼は言う。
枢木スザクという存在が、ルルーシュにとって特別なことを知っている。長い間離れていた旧友らしいが、再会してからこちら、そんなブランクなど感じさせない親しさを二人は醸し出している。けれどリヴァルは気がついていた。少なくともルルーシュは、スザクに気を使っている。彼が不自由ないように、理不尽な感情に晒されないように、常に笑顔でいられるように、繊細な注意を周囲に払って、そしてそうとは気づかれないようにスザク自身を守っている。果たしてそれは親友に向けるべき気遣いなのかとリヴァルは疑問に思っていた。ルルーシュはスザクに負い目を感じている。少なくともリヴァルにはそう見えたし、ルルーシュはもはやスザクを、己の一部として認識しているかのように彼には見えた。
ナナリーに対してとて同じだ。ルルーシュは自分の妹である彼女に、まるで騎士のように、それでいて兄のように振舞う。目が見えず足も動かない彼女を補うように、あまりに純白な幸福を束にして、綺麗にリボンで結んで妹に捧げ続けている。微笑みあう兄妹の図はリヴァルとて何回も見てきているし、幸せを絵に描いたらこんな風になるのかもしれないと思ったことさえあった。ルルーシュはいつだってナナリーを優先し、彼女のことを思って行動している。その端々に彼自身の犠牲が行われていることに気がついたのは、果たしていつのことだったか。ナナリーに向ける微笑の中に、ほんの僅かの諦観が見え隠れしているのをリヴァルは目撃してしまった。ルルーシュはもはやナナリーを愛しすぎて、彼女を神格化すらしてしまっている。存在意義の譲渡に、危険だと、そう思う。
「・・・・・・夢見が、悪かったんだ」
呟かれた声に、リヴァルははっと我に返った。自分は未だ立ち続けたままで、ルルーシュは力なくソファー横になっている。
語られないルルーシュの身の上を、リヴァルは知らない。ランペルージ家についても彼は多くを喋らないし、それこそ両親については聞いたこともない。ただナナリーという妹だけが唯一の肉親であるかのように振る舞い、バックグラウンドを見せてもらったことはなかった。クラブハウスだけが私生活のあるべき場所なのだと、ルルーシュは暗に示していた。
そんな彼が娯楽としていた賭けチェスを断るようになった理由も、リヴァルは知らない。週末の度に出歩いている理由も、学校を休みがちになりはじめた理由も、そういったものをすべてリヴァルは知らない。知らないままで良いと思っている。ルルーシュが語らないのなら、それは彼にとって秘していたいものなのだ。
寂しくないわけではない。もしかしたら、スザクには教えているのかもしれない。そうは思うけれども、それでもリヴァルはルルーシュに問おうとはしなかった。彼が自分に望んでいる役割に、それは入っていないと思ったから。悲しくないわけではないけれど、それでも、それでも。
「じゃあ俺、行くわ」
ぎこちなく足を動かして、見てはいないだろうけれどもリヴァルは笑った。本当ならこの後は遅れて授業に合流するつもりだったが、予定変更だ。一度教室に戻って、そして鞄を取ってこなくてはいけない。そしてこの貴賓室より手前にある部屋のどれかで、歴史のレポートを始めよう。そうすれば少なくとも、誰かがこの部屋に来ようとしたら気づけるはずだ。今日のルルーシュは誰にも会わない方がいい。そう思って踵を返した。
「・・・・・・リヴァル」
「んー?」
「ありがとう」
その一言に、振り向いた目に映った横たわる友に、泣きたくなったのを、きっとルルーシュは知らない。



リヴァルは、自分はルルーシュの親友でありたいと思っている。スザクのような特別にはなれないかもしれない。それでも、それでも、特別ではないからこそ気を使わなくて済む存在になれたらと思っている。
ルルーシュが無理しているのを、リヴァルは見ていることが出来ないのだから。鮮やかに笑っていてくれたらと、願うのだから。





歴史のレポートは涙で滲んで、結局一行も進まなかった。翌日手伝ってくれたルルーシュは、いつものように笑っていた。
2008年6月29日