その日、副総督としての仕事が早めに終わったユーフェミアは、こっそりと政庁を抜け出して己の騎士が通っているアッシュフォード学園を訪れた。服装はそこらへんの女の子と同じようにシンプルなワンピースで、いつもは高く結わいている髪も二つに分けて緩い三つ編みにし、黒縁の眼鏡もかけている。これならまじまじと見られない限り副総督だとは分からないだろう。
一人で街を歩くのは久しぶりで、胸をわくわくさせながらウィンドウを眺める。可愛らしいネックレスに魅了されて、美味しそうなアイスクリームを一つ購入し、まるで本国で学校に通っていた頃に戻ったようで、ユーフェミアはとても楽しかった。もちろん皇女として副総督の仕事が嫌なわけではない。政務に精通していない自分を知っているからこそ不甲斐ないとは思うけれども、それとこれとは話が別だ。ユーフェミアはまだ16歳で、身分は高くても中身は普通の女の子と変わらないのだから。
一通り街を満喫してから足取りをアッシュフォード学園に向ける。本日の来訪を彼女は己の騎士であるスザクには伝えていなかった。スザクはあまり学校のことを話してくれないけれども、楽しいということは雰囲気で伝わってくる。きっと良い友達でも出来たのだろう。だから、それを少し覗くだけ。こっそり、こっそりと、ユーフェミアはアッシュフォード学園に潜入を果たした。見つからないように木々の合間を縫って、スザクがいるだろうクラブハウスの方へと向かう。学園では生徒会に所属したらしく、放課後は軍の任務がない限りクラブハウスで仕事をしているのだと聞いている。どこの窓から覗けば彼が見えるだろうか。
校舎から離れた小さな離宮のような建物を見つけて、あれがクラブハウスだろうと中りをつけ、ユーフェミアはふと頬を緩ませた。木々が優しく周囲を飾り、種々の花が静かに咲き誇っている。穏やかな雰囲気はまるで記憶の中のアリエスの離宮のようで、自然と微笑まずにはいられない。きっと素敵な人が住んでいるに違いない。そう思ってユーフェミアはその建物に近づいた。扉が開き、誰かが出てくる。隠れなくてはいけないと思うのに、どんな人か気になって、ユーフェミアはその場を動かなかった。けれどすぐに目を見開く。彼女に気がついた相手も紫玉の瞳を瞠った。そこにある互いの存在が信じられないかのように、二人は言葉を失って見詰め合う。漏れた声はユーフェミアのものだった。
「ルルーシュ・・・・・・?」
アリエスの離宮に酷似した穏やかな空間。そこに立つ濡れ羽のような黒髪を持ち、至高とされる紫の瞳を持つ少年。それは紛れもなくユーフェミアがかつて目にしていた光景と同じで、ただ互いに伸びた背丈だけが時の経過を知らせる。七年前に死んだとされている、ユーフェミアの義兄。その彼が今、目の前にいる。ユーフェミアの足は堪え切れず、彼に向かって駆け出していた。どん、と飛び込んだ身体は僅かに揺れ、戸惑っているらしい。けれどユーフェミアは放さないよう、彼の背に腕を回した。
「ルルーシュっ! 生きてたのね!」
声が自然と涙に緩む。一つ年上のルルーシュは、ユーフェミアにとって親しい兄弟のうちの一人だった。マリアンヌが主のアリエスの離宮にコーネリアと共に足を運び、ルルーシュと彼の妹のナナリーと一緒に遊び、共に育った。そんな彼らが日本に行き、占領時に死亡したと聞き、どんなに涙を流したことか。それでも今感じている体温は温かく、彼が確かに生きていることを知らせる。とくとくと聞こえてくる鼓動に、ユーフェミアはそっと瞳を閉じた。けれど記憶よりも低くなっている声は、喜びではなく戸惑いを帯びて降ってくる。
「・・・・・・ユーフェミア副総督、ですよね?」
「え?」
「俺・・・・・・僕は、あなたの兄君のルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下ではありません。確かに、同じ名前なのですけれど」
顔を上げれば、少年は困ったように眉を下げている。それは過去、ナナリーのお転婆に悩んでいた義兄の姿そのものなのに、彼は違うと言って笑う。
「僕は、ルルーシュ・ランペルージと申します」
「ランペルージ・・・・・・?」
「はい。両親がマリアンヌ皇妃のファンなので、恐れ多くも殿下と同じお名前をつけられまして」
「マリアンヌ、様の」
「七年前、ルルーシュ殿下とナナリー殿下がお亡くなりになったときは、僕も本当に悲しかったです。国葬にも参列させていただきました」
当時を思い出したのか、伏せられた睫毛が頬に陰影を作り出す。その美しい様をユーフェミアは呆然とした気持ちで見上げた。しかし、冷静に考えてみれば義兄は確かに死んだのだ。生きているはずがない。あまりにも似ていたものだから愚かな願望を抱いてしまっただけ。我に返り、ユーフェミアはルルーシュを抱きしめていた腕から力を抜いた。身じろぎして、彼が少しだけ離れる。
「・・・・・・申し訳、ありません。私は何て失礼なことを」
「いえ、お気になさらないでください。僕はそんなにルルーシュ殿下に似ていますか?」
「はい・・・・・・本当に、お兄様が生きていらっしゃったのかと」
思って、という言葉と共に、涙がユーフェミアの瞳からぽろりと零れる。はらはらと泣き出す様子にルルーシュは慌てていたようだが、制服のポケットからハンカチを取り出してユーフェミアに差し出した。白いそれはきっちりと折られており、洗剤の匂いが少しだけする。
「ユーフェミア副総督は枢木スザク君にお会いに来られたのでしょう? 今呼んで参りますから、こちらでお待ちください」
きびすを返した制服の裾に、ユーフェミアは思わず手を伸ばしてしまった。抵抗にルルーシュが振り向く。あの、と告げた声は少し裏返ってしまったかもしれない。
「今日は、スザクに内緒で来てるのです」
「そうなのですか?」
「はい。それで・・・・・・もしよろしければ、私と少しお話していただけませんか?」
ランペルージ様、とユーフェミアが呼ぶと、彼は驚いたように目を瞬き、そして柔らかに微笑んだ。
「どうぞルルーシュとお呼びください、ユーフェミア様」
その様子は本当に亡き義兄に、マリアンヌにそっくりだとユーフェミアは思った。
口付けは十字架の下で
「本当は中にご案内するべきなのでしょうが、枢木君とは会わない方がよろしいのでしょう? 外のテラスでも構いませんか?」
玄関から降り立ち、ルルーシュはクラブハウスから右手に当たる方向を手で示す。東屋があるんです、と言った彼にユーフェミアは頷いた。
「素敵なお庭ですね」
「アッシュフォード学園の生徒はほとんどが寮生活ですから。狭い空間に押し潰されないようにとの学園側の配慮らしいです」
「ルルーシュも寮に入っているのですか?」
「はい。・・・・・・お飲み物をご用意しようと思うのですが、缶ジュースなどはお飲みになられますか?」
窺うように問われてユーフェミアはぱちりと目を瞬く。けれどすぐに笑った。
「もちろんです。缶ジュースも飲みますし、アイスクリームだって買い食いします」
「そうなのですか」
「こんな皇女で失望しました?」
「いいえ。ユーフェミア様も普通の女の子なんだと知って、少しほっとした気持ちです」
ルルーシュの浮かべる表情は本当に柔らかい。マリアンヌと義兄を思い出して切なくなってしまうけれども、それでも彼はきっと優しい人なのだろうとユーフェミアは思う。根拠のない直感だけれども、彼女は自分の人を見る目に自信を持っていた。
「ルルーシュ、私のことはユフィと呼んでください」
けれど彼も、この申し出には眉を顰める。ユーフェミアは語尾を強めて繰り返した。
「ルルーシュ、ユフィと呼んでください。それと言葉遣いも、いつもお友達と話しているように喋っていただけませんか?」
「・・・・・・ですが」
「お願いします。私、ルルーシュとお友達になりたいのです」
揺れていた手のひらを捕らえて握り込めば、ルルーシュは渋っていたようだけれども、結局は溜息を吐き出して肩を落とした。こんなところも義兄に似ている、とユーフェミアは思わず笑ってしまう。
「分かったよ、ユフィ」
「ルルーシュ」
「飲み物、何がいい?」
「一緒に行きますわ。ミルクティーはありますか?」
「さぁ、どうだったかな」
こっちの自販機は人が少ない、と言ってルルーシュは木々の中をゆっくりと歩き出す。少し前を行く彼が自分のために道を確かめてくれているのだと知り、ユーフェミアは何だか心がほんのりと温かくなった。放していなかった手を両手で握り、ルルーシュのすぐ後を寄り添うように歩く。本当に、アリエスの離宮に戻ったかのようだった。
ユーフェミアは宣言通りミルクティーを選び、ルルーシュはコーヒーのボタンを押す。お金を払おうとした彼女に、ルルーシュは片手を振った。それでも譲らないでいると、「じゃあ出会えた記念のプレゼントということで」と二つの缶を持って東屋へと向かい始める。ルルーシュは言葉遣いは少し乱暴だけれども、その振る舞いはユーフェミアが本国で知り合った貴族の少年たちにも劣っていない。ユーフェミアにさえ気づかせないほどのスムーズな所作でリードし、会話が途切れないように話題を提供し、それでいて不快にならないような話運びをする。ここまで見事に自分をリードする少年は初めてで、ユーフェミアは感心してしまった。東屋はアーチ型のドームになっており、白いテラスに腰かけ、プルタブの開けられたミルクティーを受け取りながら尋ねる。
「ルルーシュのお父様は何をしていらっしゃるのですか?」
「しがない研究者だよ。ナイトメアフレームの設計に関わっていて、それでマリアンヌ皇妃に憧れてるんだ」
「分かります。素敵な方でしたから」
ユーフェミアがそう言うと、ルルーシュはゆるりと微笑む。紫の瞳に影が射し、彼の表情を少しだけ隠した。
「スザクとはお友達なんですか?」
「ああ、生徒会が一緒で。クラスも同じだから結構話したりもする」
ユーフェミアの中の義兄は十歳で止まっているため、コーヒーを飲んでいる姿は見たことがない。もしも彼が成長したら、きっとルルーシュのようになったのだろうと思う。もう少しおとなしくて、静かな性格で。
「ルルーシュ殿下はどんな方だったんだ?」
問われてユーフェミアは微笑む。容姿はあなたにそっくりです、と先に告げた。
「お母様と妹思いの優しい方でした。チェスが上手くて、頭も良くて、動物に好かれる方で」
「へぇ、俺とは違うな。俺の成績は中の中だし運動神経もそこそこなんだ」
「そうなのですか? 何だか少し意外です」
「この前の世界史のテストもさっぱりで、レポートのやり直しが出てる」
「まぁ」
ルルーシュは肩をすくめるが、彼自身は大して気にしていないらしい。
「それでもルルーシュは人気があるのでしょう? とても優しいですし、女性の扱いに慣れていらっしゃいますもの」
「そんなことはない。今だってどきどきしてるさ」
「私が皇女だからですか」
「それもあるけれど、可愛い子を目の前にしたら男は緊張するだろう、普通」
それはとてもあっさりとしていて、言ったルルーシュよりも言われたユーフェミアの方が頬を染めてしまった。彼女とて褒められ慣れていないわけではない。皇女として嫌になるくらい聞いてきたし、それに姉のコーネリアは自分に対し何時だって愛情を注いでくれる。けれどもそれとは違う何かをユーフェミアは感じてしまった。ミルクティーの缶を置いて、そっ手のひらをと頬に当てる。火照っているのが分かって尚更に顔が熱くなる。ちらりとルルーシュを伺えば、彼は瞳を和らげて微笑んだ。
「・・・・・・ルルーシュは口がお上手ですね」
「まさか。本心だよ」
ますます赤くなる自分にユーフェミアは困ってしまう。もはやテーブルを挟んだ向かいの少年は義兄でもマリアンヌでもなく、ルルーシュ・ランペルージにしか見えなかった。
アニメ第19話「神の島」以前に書いたのですが、このまま兄だと気づかないユフィと全部知ってるけれど黙っているしかないルルの恋話になる予定でした。しかしアニメの展開にあえなく断念。
2007年6月10日(2007年12月15日mixiより再録)