ルルーシュが最近学校を休みがちなのは、生徒会役員でなくとも同じクラスの生徒ならば誰だって知ってただろう。元々真面目というタイプではないが、要領よくすべてをこなしてきた彼が、ここまであからさまに非難される行動を起こすのは珍しい。けれど顔を出したときには変わらず人当たりのよい笑みを浮かべていたため、誰も彼の休みを追究することはなかった。
しかしルルーシュが僅かな疲労を覚えていることに、生徒会役員たちは気づいていた。たいした仕事がない日は、それをリヴァルに全部任せて、ソファーに身を沈めていたりする。彼の旧友であるスザクも軍の任務で忙しいらしく、たまに生徒会室に来たと思うとルルーシュの隣で眠ってしまい、微笑ましい光景が繰り広げられたりもしていた。
けれどその日は違った。珍しくスザクも書類を片付けていて、ルルーシュだけがソファーで眠っていた。そんな彼は、可愛いと言って頬を突いたミレイの手首を捕まえると、ふるりと瞼を震わせ、その紫の瞳で言ったのだ。
「僕に、触れるな」
まるで敵でも見るような眼差しで、彼は周囲を見回した。





楽園で、君と二人





常は柔らかく抑えられているアメジストが、今は剣呑な光を放っている。白皙の美貌が鋭く顰められ、彼は自ら拘束している相手の顔を見上げた。誰かを確認するように、その名を呼ぶ。
「・・・・・・ミレイ、か」
名を、呼んだ。いつものように役職ではなく、年上の彼女の名をそのままに呼び捨てにする。リヴァルが奇妙な声を上げ、ニーナが驚いたように目を瞬いた。けれどルルーシュは空いている左手で顔を押さえ、無造作に頭を振る。
「ここはどこだ? ナナリーは?」
「・・・・・・ルルーシュ?」
「母上は? 違う、母上は。違う。どこだ、ここは。ナナリーは? どうしておまえがここにいる?」
「ルルーシュ。どうしたの? 寝ぼけてるの?」
「僕は寝ぼけていない。ミレイ、ここはどこだ?」
「学園よ。アッシュフォード学園」
「アッシュフォード? そうか、ルーベンの屋敷か」
あっさりと口にされた祖父の名に、ミレイが表情を変える。自らの身分を隠しているルルーシュは、学内で自分たちとアッシュフォード家の関わりを示すことは決してない。自分と妹がどのような立場であるのかを彼は明確に理解している。それなのに、今のルルーシュは違った。
「ルルーシュ?」
スザクが不思議そうに立ち上がり、ソファーの二人の元へと近づく。歩み寄る影に気づいて顔を上げたルルーシュは、すぐに警戒をあらわにして立ち上がった。
「おまえっ・・・! 何でここにいる!」
「ルルーシュ?」
「何故、枢木の人間がルーベンの屋敷にいる! ミレイ、これはどういうことだ!」
「ルルーシュ! ルルーシュ様、落ち着いて下さいませ! 今ご説明致しますから!」
二人の間にミレイが割って入り、ルルーシュの肩に手を添えて落ち着くよう促す。明らかな敵意を向けられ、スザクは目を見開いていた。ルルーシュの口から「枢木の人間」と言われたことなど、過去にない。特に父親である玄武が亡くなってからというものの、彼が枢木家の話題に触れることはなかった。スザクが気にしていると思っていたのだろう。その好意に甘んじてスザクも話していなかったけれど、それとは違う。今、ルルーシュはスザクのことを敵でも見るかのように睨んできている。それはまるで、初めて会った頃のように。
ミレイはルルーシュをソファーに座らせると、自らはその足元に膝を折った。その手を握りながら、一つ一つ確認するように話しかける。
「・・・・・・ルルーシュ様」
「何だ、ミレイ」
「ルルーシュ様で在られますね?」
「それ以外の何に見える。ナナリーは?」
「ご心配には及びません。ナナリー様もちゃんと我が屋敷にいらっしゃいます」
ミレイが微笑むと、その表情にかナナリーの身の安全にか、ルルーシュも顰めていた眉間を解く。けれどもスザクを睨み付ける眼差しの鋭さは変わらず、その向こう、成り行きを見守るしかなかったリヴァルやニーナ、カレンの姿を見止めると不可解そうに尋ねた。
「ミレイ、彼らは誰だ?」
その言葉と、先ほどの言動に、ミレイとスザクは理解した。今、彼らの前にいるのはルルーシュ・ランペルージではない。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアなのだと。

「記憶喪失ぅ!?」
リヴァルの素っ頓狂な声を、ミレイがその頭を叩き押さえることで潜めさせる。ちらりとソファーに腰掛けているルルーシュの方を見やれば、彼は先ほど渡した猫のアーサーと戯れたまま、こちらの様子には気づいていない。猫の手を持ち上げたり、尻尾を振ったりしている様子は可愛らしく、アーサーも嫌がることなく咽をごろごろと鳴らしている。昔から動物に好かれるタイプなのよね、と内心で思い出し、ミレイはリヴァル・ニーナ・カレンと額を合わせる。
「そこまで酷いものじゃないと思うけど、ちょっと寝起きで混乱してるんじゃないかしら。とりあえず適当に話を合わせてあげてくれない?」
「そりゃあ、別にいいけど・・・・・・」
「ミレイちゃん、病院とかに連れて行った方がいいんじゃ・・・?」
「そうね、いつまでも17歳のルルちゃんに戻らないようなら考えるわ。だから今はとりあえず。カレンもスザク君もいい?」
「はい」
「・・・・・・」
「スザク君?」
「あっ・・・・・・はい、分かりました」
険しい顔で俯いていたスザクは、再度問いかけられて、慌てて顔を上げる。ミレイは僅かに目を細めたけれども、その肩をそっと叩いた。にゃあ、とアーサーが鳴き声をあげる。
「ミレイ」
「はい、ルルーシュ様」
呼びかけにミレイが立ち上がってルルーシュの元に歩み寄るが、よく考えればリヴァルたちは彼らがどんな関係なのか知らなかった。気がついた頃にはすでにミレイとルルーシュはナナリーも含めて知り合いであり、問いかけることを許さない雰囲気を持っていた。
「ルーベンに挨拶したい。そろそろ帰らないと」
「あら、もう少しいて下されば宜しいのに。お会い出来たのも久しぶりですし、母もルルーシュ様にお会いしたがると思いますわ」
「・・・・・・合わせる顔がない。僕はもう、おまえの婚約者じゃないんだ」
「婚約者!?」
リヴァルが悲鳴を上げた。その顔はもはや蒼白であり、あまりに強力なライバルが突然出現したことに涙さえ浮かべそうになっている。ニーナが僅かに気の毒そうな顔でリヴァルを見やった。ルルーシュは不思議そうに小首を傾げたが、膝の上のアーサーを降ろして立ち上がる。
「帰る。ナナリーはどこだ?」
「帰るって、ルルーシュ様。一体どちらに?」
「決まってるだろう。日本で僕とナナリーがいなくちゃいけないのは、枢木の家だ」
びくりとスザクの肩が震える。ルルーシュはそれを無感動に見下ろした。
「僕たちは逃げも隠れもしない。早く玄武様のところに連れて行け」
「ルルーシュ・・・・・・」
「おまえに名を呼ぶ許可を与えたつもりはない。おまえは僕たちが嫌いなんだろう?」
「嫌いじゃないよっ! 好きだよ、ルルーシュ!」
「信じると思うのか? 初対面であれだけ罵り、殴ったくせに」
「・・・・・・っ!」
ミレイから、リヴァルたちから、向けられる視線が刺さるように痛い。あの出会いはスザク自身も後悔している。あまりにも視野が狭く、愚かだったとしか言えない。しばらく後、仲良くなれたルルーシュは気にしていないと言ってくれたけれど、やはり彼だってスザクを憎まなかったはずがない。
「・・・・・・ごめん。ごめん、ルルーシュ」
「謝罪に意味はない。言葉には何の意味もない。価値があるのは結果だけだ」
記憶はきっと子供の頃に戻っているだろうに、あまりに残酷な主張をルルーシュは口にする。カレンはその様子に目を瞠った。あまりにもカレンの知るルルーシュとは違いすぎて、どちらが本物の彼なのか分からない。批評家を気取っている17歳のルルーシュも、身体の奥にこんな激しさを秘めているのだろうか。
「早く帰らないと僕たちの存在に意味がなくなる。情勢も気になる。桐原公に会って、今後の、話、を」
「・・・・・・ルルーシュ?」
不自然に途切れた語尾に問いかけてみれば、ルルーシュは左手で顔を覆う。そしてゆっくりとその手を外したかと思うと、スザクを振り向いた。その瞳に今までの敵意はなく、親しさと困惑だけが浮かんでいる。
「スザク、ここはどこだ? ナナリーは?」
「ルルーシュ」
「ミレイがどうしてここにいる? ここは枢木の別邸だろう?」
「ルルーシュ」
「ナナリーは? 神楽耶と一緒なのか?」
「ルルーシュ」
何故か泣きそうになりながら、スザクはそっとルルーシュの手を取る。骨ばっているけれども大きく、それは17歳の少年のものだ。だけど中にいる彼は違う。枢木の別邸という言葉と、昔馴染みの少女の名が出てきたことでスザクはそれを悟った。
「大丈夫だよ、ルルーシュ。大丈夫だから」
「スザク? 何を言ってるんだ?」
「大丈夫、だから」
「スザク?」
ルルーシュの瞳は不思議そうな色を浮かべるのに、左の瞼がそれ自体意志を持った生き物のようにゆっくりと下ろされる。そして再び開かれた瞳はスザクを捉えず、リヴァルとニーナを振り向いた。
「おはよう、カルデモント」
「えっ!?」
「おはよう、アインシュタイン」
「・・・・・・お、おはよう・・・」
「そちらの彼女は?」
カレンを見やり、ルルーシュはにこりと口角を吊り上げる。それはすでにカレンも知っているルルーシュの笑みだ。
「初めまして。一年A組のルルーシュ・ランペルージだ」
「・・・・・・カレン・シュタットフェルトよ。転入してきたばかりなの」
「まだ中等部に入学して半月も経ってないのに? 大変だな」
「そう、ね」
この言葉で、リヴァルたちも理解した。ルルーシュの記憶はまた飛んだ。そしてその中に枢木スザクは存在しない。先日久しぶりに再会したと言うのだから、きっと離れていた間なのだろう。左目の瞼がまた下りる。上がる。瞼だけがルルーシュの中で動き続ける。
「母が死にました」
「違います、姉上。僕は」
「分かっています、兄上。僕の価値はこの血と」
「どうなっているのですか。日本は、ブリタニアは」
「歩くんだ、スザク」
「条件はクリア」
「契約だ。今度は、俺からおまえへの」
「大丈夫だよ、ナナリー」
ルルーシュは笑う。その瞳には何も映っていない。ただ左目だけがだんだんと色を増していく。咲き誇る華のように鮮やかに、、散りゆく花のように儚く、ルルーシュは幸福そうに微笑み、約束する。
「大丈夫だよ、ナナリー。おまえだけは俺が守るから」

何が、あっても。

かちゃりと金属の音がして、誰もが肩を震わして扉を振り返る。細く開いて姿を現したのは車椅子に乗るナナリーで、彼女は室内の空気を察してか、不思議そうに首を傾げた。
「皆さん、どうなさったんですか?」
車椅子がホイールを僅かに鳴らして、ソファーへと近づく。ナナリーは目が見えないけれども、いつでも自分の兄がいる場所を知ることが出来た。その理由は彼女しか判らない。兄を見上げ、ナナリーは柔らかく話しかける。浮かべられる微笑は、いつもよりも深い。
「お兄様」
誰も止めることが出来ず、ただじっとそれを見守った。
「お兄様」
緩やかにルルーシュの瞼が伏せられる。今度はすぐに開かず、血管の透けた白が彼の紫電の瞳を覆い隠す。
「お兄様、ナナリーはここにいます。いつまでもずっと、お兄様だけの傍に」
伸ばされた手がルルーシュのそれを捕らえる。なぞるように甲を伝い、絡めるように指を合わせる。そして瞼は開かれた。
「・・・・・・ナナリー」
「お兄様」
スザクも、ミレイも、周囲に誰もいないかのように兄妹は微笑み合う。楽園で、君と二人。
―――介入は許さない。





大丈夫です、お兄様。ナナリーはここにいますから。ずっと、お兄様だけの傍に。お兄様だけの、傍に。
2007年2月6日(2007年5月3日mixiより再録)