戦いは終わり、争いは終わり、世界に平穏が訪れた。
それは過半数の者が望んだ、平和なのかもしれない。
戦いは終わり、争いは終わり、世界に平穏が訪れた。
限りなく一部の者に、喪失と破壊をもたらして。
敗者にゼロの祝福を
海から吹きすさぶ風を受け、揺れる漆黒の髪をルルーシュは手で押さえる。僅かに伸びた毛先が目に入りそうで、けれどそんなことは気にしなくていいのだと気づき、一人笑った。指先をあてがっても、左の目に感触はない。空ろとなっているそこは、ただまぶただけが下りている。
足を踏み出す。ローファーがさくりと草を踏みつける。広がる青い臭いに懐かしさを覚え、ふわりとはためくコートの裾を払う。空は青く、木々が途切れ、砂浜が広がる。太陽の日差しが照らすそこに、ルルーシュは立った。ブリタニアは西に、エリア11―――日本は東に。海を越え、国はある。
「・・・・・・小さなものだな」
波に拾われそうな呟きに、高い声が返される。
「それはおまえか? それとも世界か?」
「どちらもだ。俺に世界は変えられなかった。だが、世界は俺の介入を防げるほど強大でもなかった」
「当然だ。人間がいなければ世界など存在しない。おまえだけでなく、そこらへんの子供にだって、世界に介入する力はある。ようはそれを望むか望まないかという話だ」
草から砂を経て、影が一つ隣に並ぶ。風で巻き上げられる緑の髪が視界に入り、そのまぶしさにルルーシュは右目を細める。
「結局、ブリタニアは壊せなかった。父親を殺した、ただそれだけだ」
C.Cは肩をすくめて嘲るように笑う。
「父親の死と引き換えに、おまえは多くのものを失ったな。クロヴィス、コーネリア、シュナイゼルの命」
風が二人の間を通り抜ける。波を立てて進む様を、ルルーシュは黙って見つめる。
「幸福の箱庭、アッシュフォード学園。戦場を選んだおまえは、去ることを余儀なくされた。ミレイ・アッシュフォードは最後までおまえの身を案じていたが、家の命令には逆らえなかった」
唯一のまぶたを下ろす。髪がまつげをくすぐり、閉じた視界に影を作る。
「おまえの作り出した黒の騎士団。藤堂たちは日本解放戦線を自爆に見せかけて殺したことを知り、おまえに反旗を翻した」
耳で聞く波の音。木々の葉が重なり合う声。
「扇はブリタニア軍人の女と逃亡、玉城は捕虜となりおまえを売った。キョウトはおまえを使うだけ使い放り出す」
唇に笑みを刻む。肌を焼くような日差しが、髪を、そして服の黒を熱くさせる。
「カレンはおまえに従うと言いつつ、最後の最後でおまえを疑い、切っ先を下ろした」
ああ、とルルーシュは頷く。
「ユーフェミアは理想を説き続けただけで、今やブリタニア皇帝だ」
ああ、とルルーシュは頷く。
「枢木スザクにかけたギアスは解けることなく、逆におまえの身を危険に晒した。おまえたちは結局分かりあうことも、話し合うことも出来なかった」
ああ、とルルーシュは頷く。
「そしてナナリー。おまえが必死に守ってきた妹も、最後にはおまえを拒絶した。犠牲の上にある平和など望んでいないと言って、おまえの手を振り払った」
ああ、とルルーシュは頷く。C.Cは風に遊ばれるままの髪を背に流して、隣に立つ男を見上げる。まぶたの伏せられている横顔は、初めて会ったときから、再会したときから随分と表情を変えてしまった。怒ることさえ、今のルルーシュはしやしない。彼の感情は存在のすべてと共に、ブリタニアと日本が奪い尽くした。
「ゼロを首謀者として断罪することで、ブリタニアと日本は国交を正常化させた。トップに立つのはユーフェミアと神楽耶。枢木スザクはその傍に控え、ナナリーはアリエスの離宮で平穏に暮らしている。どうだ、ルルーシュ。おまえ一人を悪に仕立てて、英雄を気取っている奴らへの感想は?」
「特にない」
簡潔な答えに、C.Cは眉を顰める。けれどルルーシュの横顔は波よりも穏やかに、微笑さえも浮かべていた。
「俺の望んだ世界に、俺の存在は邪魔だった。それだけのことさ」
緩やかにまぶたを持ち上げることで見れるのは、今や一つとなってしまった紫玉の宝石だ。その瞳でC.Cを見下ろし、ルルーシュは唇の端をほんの僅かに吊り上げる。
「俺ひとりで片が付くなら、そんなに楽なことはない」
背を向けて歩き始める影を、C.Cは三歩後ろから追う。
「おまえの存在は、おまえの大切な奴らに否定された」
「ああ」
「おまえの行動は、世界中の人々に非難された」
「ああ」
「おまえの想いは、誰一人とて認めなかった」
「ああ」
「だけど知っているか、ルルーシュ。私だけはおまえを一番に愛しているのだということを」
足が止まる。振り返った顔は久しぶりに見る幼さを浮かべていて、C.Cは喜びに足を速めて距離を縮める。並べば、触れられる距離に相手がいる。心底驚いているルルーシュの様子に、C.Cは小さく笑った。
「そんなに意外か?」
「・・・・・・あぁ。考えたこともなかった」
「愛していなければ、ギアスを失ったおまえについてきたりはしない。ルルーシュ、よく見ろ。カレンも枢木スザクもナナリーもおまえの元を去った。それでも私は、おまえの傍にいる」
素晴らしい愛情だろう、とわざとらしく言ってみせれば、ルルーシュもその顔に苦笑を覗かせる。そうだな、と言って彼は再び歩き出した。今度は隣に並び、C.Cも同じ速度で歩き出す。
「世界におまえはいらない。だが、おまえは生きている。これからどうする? ルルーシュ」
「ブリタニアと日本の地を踏むことはないだろうな。俺はゼロであり、ルルーシュだ。あいつらにとって必要ではない」
「だが、そこの男にとっては必要なようだぞ?」
二人は揃って足を止め、砂浜に沿って植えられている防風林に視線をやる。先ほどからずっとついてきていた影に、ルルーシュは仕方なさそうに声をかけた。
「ディートハルト・リート」
呼び掛けに、木の間から一人の男が歩み出てくる。その姿はつい最近まで共に戦った人物であり、ルルーシュの、ゼロの率いる黒の騎士団の幹部でもあった。変わらぬ姿に、ルルーシュは一言告げる。
「俺はもう、おまえの追い求めていたゼロじゃない。ただの敗者だ。分かったのなら行け」
ディートハルトは首を振り、逆に砂浜へ下りてくる。
「確かにあなたはゼロではなくなった。ですが、私の追い求める存在があなたであることに変わりはありません。世界の改変者ゼロ、殺された皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」
そして捨てられた人間、ルルーシュ。囁きにルルーシュは笑う。その表情は17歳の少年らしく幼さを帯びていて、それでいてどこか諦観した老人のようだった。ディートハルトは深く頷き、C.Cはまなざしを伏せる。
「それに私がいた方が便利ですよ。彼らはきっと、あなたのことを探しますから」
不可解にルルーシュは眉を顰めるが、C.Cは逆に同意した。
「そうだな、あいつらはどうせおまえを探す。情報戦に長けたこの男は使えるぞ」
「・・・・・・俺を探す? どうして。俺たちの道は分かたれた」
「ゼロは敵だが、ルルーシュは友だと思っているからさ。いざとなればおまえを放り出すくせに、平時は傍に置いておきたがる。あいつらはゼロを否定したが、おまえを拒んだわけじゃない、そう言って手招きするに決まっている」
「最悪な論理ですね。思想なくして人は為りえず。思いを否定した時点で、相手のすべてを否定したも同じなのに」
「奴らはおまえを殺すぞ、ルルーシュ。おまえの矜持を、後悔していないゼロという過去を、すべて」
紫の瞳が見開かれる。想像もしていなかったのだろう。自分は彼らに拒絶され、道は分かれた。だからもう望まれることなどないし、それでいいと思っていた。それだけの覚悟を持って、ルルーシュはゼロをやっていた。すべてを失うことも当然だと、自らに受け入れるほどに。
けれど、C.Cとディートハルトは確信していた。スザクたちは必ずルルーシュを探すだろう。もしかしたらもう探し始めているかもしれない。理由などない。ゼロは敵だけれど、ルルーシュは敵じゃない。そう言って手を差し出すのだ。自分たちの手を彼が振り払うことはないと、傲慢に信じて。
小さく息を吐き出し、ルルーシュは緩く首を振る。髪が頬に張り付き、手を上げてそれを払う。
「少なくとも、俺はもう会う気はない」
「じゃあ、なおさら私を連れていって下さい。必ずお役に立ちますから」
「役に立たなくてもいい。来たいなら共に来ればいいし、去りたくなったなら去ればいい」
「・・・・・・やっぱりあなたは、私の生涯の被写体ですよ。あなたの作る世界を見てみたかった」
「見れるさ。これから、いくらでも」
ルルーシュは笑う。風が吹き、黒の髪を、緑の髪を、金の髪を舞い上げる。見上げる空は広大に青く、果てしなくどこまでも続いている。あくなき世界に、今ようやく足をついた気がする。
「世界は誰にも壊せない。だとしたら残る人生、何をして過ごすかな」
行くぞ、と言ってルルーシュは歩き出す。C.Cは右側から、ディートハルトは左側からその後を追う。
「ルルーシュ、オーストラリアはどうだ? マオの家がある」
「いいですね。畑でも耕して野菜を育てましょうか」
「C.C、これからはピザは自分で作れよ。ディートハルト、俺は家事は出来るが体力仕事は自信がない」
「分かってますよ。あなたが強くないことは、もう十分に知っていますから」
ディートハルトが苦笑する。C.Cも髪をかきあげ、優しく告げた。
「忘れるなよ、ルルーシュ。おまえの過去は、愛すべき弱さと優しさだった」
風が吹き、波を起こす。ささやかに揺れる砂浜と木々の葉。影は音もなく消えていき、静寂だけがその場に残る。
足跡だけが三つ、世界に印を残していった。
勝者に告ぐ。おまえたちにはもう、ルルーシュの前に立つ資格などない。彼はようやく解き放たれ、ゼロになることが出来たのだ。これでようやく彼は、誰を気遣うことなく生きられる。
2007年3月13日