窓から差し込む木漏れ日が、優しくルルーシュに降り注いでいる。机に突っ伏して眠っている彼に、スザクはくすりと笑みを漏らした。日差しがあまりに柔らかだからか、この優しい空間を壊すものがないからか、目の前の光景はまるで一枚の絵画のようだった。闇のように深い黒髪に、今は金色の天使の輪が出来ている。愛しくて、心が緩やかに熱を持って。スザクはそっと、その黒髪へと手を伸ばした。
「触らないで」
凛とした声が生徒会室に響く。スザクが振り向くと、厚い扉を押し開けて立っているカレンがいた。彼女の視線は、仇を見るようにスザクへと注がれていた。
鉛の心臓とツバメの死骸
カレンが生徒会室の扉を開くと、見えたのは机に伏せて眠っているルルーシュの姿だった。そして、そんな彼に触れようとしている枢木スザク―――日本最後の首相、枢木ゲンブの一人息子でありながらブリタニアに魂を売り渡した名誉ブリタニア人。白兜、ランスロットのパイロット。刹那的にカレンの中を怒りが駆け巡る。無意識のうちに発していた言葉は、自分でも驚くほどに冷ややかだった。
「触らないで」
スザクの指先が止まる。それは爪さえもルルーシュには触れておらず、そのことがカレンに僅かの満足を抱かせた。触れさせるわけにはいかない。彼は、ルルーシュは、ゼロなのだ。名誉ブリタニア人などに触れさせて良い存在ではない。スザクは振り向き、翡翠の目を和らげて笑う。
「カレンさん」
何て不恰好な笑みなのかと、カレンは思う。今はもう気がついている。スザクの抱いている闇は、おそらく彼自身をも飲み込む。すでに飲み込み始めていると、ゼロは、ルルーシュは言っていた。その証拠がこの笑顔だ。自分はよく今まで騙されていたものだ。
カレンは笑みを浮かべる。スザクのような、破綻しているものではない。偽りという点では同じだろうが、綻びのない令嬢の顔と声で嘘を吐く。
「ルルーシュ君、疲れてるみたいなの。少し休ませてあげたいから起こさないでもらえる?」
「そっか。ルルーシュのことだから、また遅くまで本でも読んでたのかな」
「そうね、ルルーシュ君は本が好きみたいだし」
「幼い頃からそうなんだ。一度何かにのめりこむと、寝るのも食べるのも後回しで。何度僕が無理やりに寝かしつけたことか」
ふふ、とスザクは笑う。ルルーシュを見つめる眼差しは柔らかい。
「カレンさんは、その役目を僕から奪うんだね?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。それほどにスザクの微笑みは穏やかで、ルルーシュに注がれている瞳は慈しみに満ちている。冷ややかだったのは声だけ。先ほどのカレンと、同じように。指先が伸びる。スザクが振り向く。笑う。ルルーシュに、触れる。かっと頭に血が昇った。
「―――触るなっ!」
学生服の腕を掴み、捻り上げる。カレンの手には太く、指の周りきらない手首だったけれども、それでもルルーシュから離すことは出来た。ちらりと確認すれば、まだ彼は目覚めていない。それだけ眠りが深いのか、疲れているのか。拘束しているスザクの表情は、カレンには見えない。
「僕はね、ルルーシュの親友なんだ」
声だけは柔らかい。突然の拘束にも文句は言わず、先ほどの一言は夢だったのではないかと思わせるほど、穏やかに話を続けていく。
「幼い頃、半年だけだけど一緒に暮らしてたんだよ。いろんなところに行ったなぁ。子供だったから遠出は出来なかったけど、近くの川とか森とか、お花畑とか。花冠も作ったよ。ルルーシュは手先が器用で、僕の分も作ってくれたっけ。僕は不器用ながらシロツメクサの指輪を作って、ルルーシュに嵌めてあげたよ。左の薬指。ルルーシュもすごく喜んでくれた」
声が穏やかだった。語られる昔のルルーシュに少し心惹かれたけれど、それ以上にスザクの意図が見えず、カレンは掴む力を緩めない。
「一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒の布団で寝たよ。本も読んだし、たくさん遊んだ。ルルーシュは今より大人しくて、礼儀正しくて、ちょっと捻くれていたけれど可愛くて」
もちろん今も可愛いけれど。あ、だけど昔よりも綺麗になったね。
スザクの響きは愛しさが全面に表れている。なのにどうしてだろう。怖気が走るような嫌悪感を覚える。触れている手が気持ち悪い。嫌な汗が出てくる。
「僕が名誉ブリタニア人になったのも、ルルーシュのためだよ」
聞いている。もしかしたら、と言っていた。もしかしたら俺が、スザクの人生を狂わせてしまったのかもしれない。そう呟いたルルーシュの横顔をカレンは覚えている。泣かないで、と手を伸ばした。
「でなかったら、誰がブリタニアなんかに頭を下げるもんか。ルルーシュの母国だから必死に堪えてるんだよ。火器を持つことを許されたとき、どんなに上官を撃ちたかったか。憎しみも知らないで平和をのたまう姫君を、どんなに殴り殺したかったか。堪えたのは全部ルルーシュのためだよ。ルルーシュの、ためだけに」
出会わなければ良かった。俺と出会わなければ、きっとあいつは軍人になんてならなかった。白兜になんて乗らなかった。敵対なんて、しなかった。俺があいつと出会わなければ。出会わなければ、あいつは。
「僕がブリタニアを変えるのは、ルルーシュのためだよ。ルルーシュがそれを望むから。だから僕はランスロットに乗る。戦い続ける。ルルーシュのために、イレブンを殺す」
「ふざけるなっ! おまえの言い分は逃げだ! 彼に責任を押し付けて楽になろうとしてるだけだろう!」
「君に何が分かるの?」
「おまえの気持ちなんか分かって堪るか! 私は私のために戦っている! 人を殺したって、それを誰かのためなんて言わない! 全部、全部、自分のためだ!」
初めて引き鉄を引いた日のことを覚えている。殺した日のこと。吐いたし泣いた。自分が違う生き物になったと思った。だけどそれを誰かのせいになんてしない。これからも自分は殺し続けるけれど、それはゼロのためでも、ルルーシュのためでもない。誰でもない、自分のため。
眠り続ける彼を、カレンは心から愛しいと想う。ゼロとして、ルルーシュ・ランペルージとして、愛しいと想う。だけどそれを言い訳になんてしない。絶対に。
「・・・・・・むかつくなぁ」
翡翠の目が見えたと思った瞬間、今まで掴んでいた腕が消え、肩に激痛が走った。逆に取られた腕が捻じり上げられる。上げかけた悲鳴は必死に堪えた。こんな奴に、こんな奴に。頭を机に叩きつけられる。奥歯を噛み締めて睨み上げても顔は見えない。夕焼けが赤黒く染める中で、ただ翡翠の眼だけが自分を見下ろしてくる。笑顔ももうない。声だけが、生徒会室に轟く。
「ルルーシュは俺のものだよ。誰かに渡すくらいなら、ルルを殺して、俺も死ぬ」
ぞっとした。怖ろしかった。狂っている。これが、枢木スザク。カレンは僅かな距離にいるルルーシュを縋るように見つめる。眠りについている彼。寝ていて欲しい。彼に、悲しみを知っている彼に、出会いを後悔している彼に、こんなスザクを見せたくなかった。だけど、だけど。
「―――ゼロ・・・・・・っ!」
助けを求めてしまった。ぴくりと、カレンを拘束している腕が震える。伏せられていた黒髪が揺れる。彼は、カレンのヒーローだった。
スザクの、ヒーローだった。
優しい人、どうか助けて。
私を、僕を、どうか助けて。
「・・・・・・カレン? スザク?」
まだ眠たいのだろう。どこか舌足らずな物言いは、常のルルーシュのものではない。長いまつげを擦る彼に、スザクが笑いながら歩み寄る。その顔はカレンの嫌悪したものではない。だけど、純粋だというにはあまりに悲しすぎる笑みだった。枢木スザクは、もう本当に狂っているのだ。
「おはよう、ルルーシュ。よく寝れた?」
「ん・・・・・・あぁ」
「また遅くまで起きてたんじゃないの? ほら、寝癖ついてるよ」
伸ばされた手が何のためらいもなくルルーシュに触れる。すでに天使の輪は消えており、濡れ羽のような黒い髪をすき、スザクは喜色に唇を綻ばせる。カレンはその様を、湧き出る汗を堪えながら見つめた。ルルーシュの瞳がぱちりと瞬いてカレンを捉える。
「カレン? どうして床に座ってるんだ?」
「・・・・・・ううん、ちょっと立ちくらみがして」
「大丈夫か?」
「うん、平気よ。心配しないで」
捻り上げられたせいで肩が痛むが、あえて手を額に当てて弱く微笑んでみせる。スザクは振り返らない。ただずっと、ルルーシュに向けて微笑んでいる。
「ルルーシュ。僕、宿題で分からないところがあって、教えてもらいたくて君を探してたんだ」
「分かった。悪かったな、寝てて」
「ううん、気にしないで。レポートの資料も選んでほしいし、図書室でいいかな?」
「あぁ。今日は会長も来ないみたいだし、生徒会室にいる必要もないだろ。カレン、一人で帰れるか?」
「大丈夫。車を呼ぶから」
スザクがルルーシュの鞄を手に取る。立ち上がった際に引かれた椅子を戻す所作も自然で、自然すぎて悲しくなった。翡翠の瞳はもう、ルルーシュ以外を映さない。
「じゃあまた明日、カレン」
「さよなら、カレンさん。気をつけてね」
「さよなら、ルルーシュ君、スザク君」
かけられた言葉はまるでお情けのようだった。笑顔は張りぼて、声は偽物。本物などどこにもない。ドアの向こうに消えていく一瞬、ルルーシュがちらりと振り向いた。すまない、と動いた唇に、肩の痛みが増した気がした。
ブリタニアが壊れるのが先か、枢木スザクが壊れるのが先か。どちらにせよルルーシュはきっと泣くのだろう。彼は、優しい人だから。
そう分かっていてもすがれずにはいられない。スザクの唯一が彼であるように、カレンの唯一だってもう彼だけなのだ。
「ごめん・・・・・・っ」
己の肩を抱きしめてうつむく。大粒の滴がスカートを濡らした。
「ごめんなさい、ゼロ・・・・・・っ!」
謝罪もきっと、彼は黙って受け止めるだろう。
優しい彼に寄生するように、きっと自分たちは生きていく。
この世のすべての責任を、細い肩へと背負わせながら。
優しい彼が笑う。愛なんて所詮は詭弁なのだと、カレンは思わずにいられなかった。
だけどあなたが愛しいんです、ゼロ。だけどあなたの幸せを望むの、ルルーシュ。お願い、許して。
2006年12月27日(2007年3月1日mixiより再録)