枢木スザク。日本最後の首相、枢木玄武の息子。名誉ブリタニア人。クロヴィス殿下殺害の容疑者。
彼がブリタニア軍の象徴とも言える白いナイトメアフレームのパイロットであるという事実は、テレビ放送を介して広くエリア11中に知れ渡った。その後の会見において、ユーフェミア殿下が彼を己の騎士に任命したということも。
日本の皇子とも言える身分にあった少年は、敵国の騎士候となった。成り上がったのか成り下がったのかは、本人以外誰も知らない。
友は死んだ
獄囚だった藤堂を助け出し、彼と四聖剣を正式に黒の騎士団に迎え入れてから数日。シンジュクゲットーの奥まった個所に停車している黒の騎士団のアジトの前に、一台の車が横付けされた。見張りの静止を振り切って入ってきたそれに、ナイトメアフレームの点検や整備をしていた団員たちは警戒をあらわにして立ち上がり、それぞれに手近な武器を構える。しかし助手席から降りた男が恭しく後部座席のドアを開き、出てきた人物に誰もが目を瞬いた。長い漆黒の髪を持ち、どこか巫女的な白い衣服をまとっている女性は、まだ少女といっても良いくらいの年齢だった。紅蓮弐式の調整をしていたラクシャータが驚いたように名を呼ぶ。
「神楽耶様」
「誰ですか?」
「馬鹿、口を慎みなさい。キョウト六家の当主様よ」
カレンが小声で尋ねるが、示された答えに彼女だけでなく団員たちも目を見張る。特にゼロの供としてキョウトへ挨拶に出向き、桐原と顔を合わせたことのある扇と玉城の驚きは大きかった。あの老獪な男の上に立つのが、この少女。とてもではないがそう見えない愛らしい様子に、どうしたものか言葉を探す。けれど誰かが何か言うよりも先に、神楽耶の赤い唇が開かれた。
「ゼロはいますか」
「えっ!? あ・・・・・・はい、中に」
「呼んで下さい。今すぐ、ここへ」
声は少女らしく高いものなのに、響きは逆らうことを許さない厳しさを備えている。トレーラーに近かった井上が弾かれるようにドアへ駆け込んでいった。沈黙が広がり、誰もが神楽耶に視線を注ぐが、彼女は視線を鋭くさせたまま微動だにしない。前で重ねられている手のひらは白く、彼女が高貴な家柄であることを納得させた。トレーラーから常と変わらず、黒いマントと仮面を被ったゼロが現れる。彼は神楽耶を見留めると、業とらしいほど丁寧な動作で腰を屈めた。
「これはこれは神楽耶様、このようなところまでお出でになられるとは、一体どのようなご用件でしょう」
「久しぶりですね、ゼロ。その無粋な仮面を外しては頂けないのですか」
「いくら神楽耶様の頼みでも、これまでは。私は名を捨てたのです。名を捨てた男に顔は必要ありません」
「分かりました。では単刀直入に伺います」
神楽耶は手を握りしめ、漆黒の仮面を見上げる。まるで親の敵を見るかのようなまなざしに、周囲は動かないことを余儀なくされた。
「ゼロ、あなたは、あのナイトメアフレームのパイロットが、枢木スザクだと知っていたのですか?」
誰かが息を呑んだけれども、神楽耶はゼロから視線を逸らさない。僅かな反応でも逃さぬよう睨みつけ、与えられる返答を待つ。呆れたように、ゼロはマントに包まれている肩をすくめた。
「知っていたら、オレンジ事件のときに奴を解放したりはしませんでしたよ」
「その後、何らかの筋より知ったということは?」
「いいえ、私も奴が白兜に乗っているだなんて思ってもいませんでした」
「信じて良いのですね」
「誓って」
短く言葉が返され、そこで初めて神楽耶の表情が歪んだ。あどけない顔が苦痛に揺れ、泣くのを堪えるかのように眉が顰められる。団員たちは口を挟むことも出来ずに、ただ彼女とゼロのやり取りを見守った。
「・・・・・・スザクが、あれに乗っているのです」
声すら変わり、小刻みに震えている。
「ゼロ、スザクがあれに乗っているのです。どうして。どうしてですか。どうしてスザクがあんなものに乗っているのですか」
「・・・・・・神楽耶様」
「どうしてですか。スザクは玄武様の御子であるというのに、どうしてブリタニアなんかに。どうしてわたくしたち日本に牙を向いているのですか」
「神楽耶様」
「どうしてですか、ゼロ! どうしてスザクがあんなものに乗っているのですか! どうして、どうして!」
金切り声がアスファルトの建物に反響する。最初の印象から一転し、神楽耶はまるで子供のように拳を握りしめ、その長い黒髪を左右に振る。
「スザクは騙されているのです! あのユーフェミアという女に! 操られて、ブリタニアにいるだけなのです!」
「・・・・・・」
「スザクは悪くありません! 彼は不器用だけど優しい子です! そのスザクがわたくしたちを攻撃するはずがありません!」
「・・・・・・」
「お願いです、ゼロ・・・・・・っ!」
白い手が伸ばされ、漆黒のマントを握りしめる。胸にすがるような形でゼロを見上げ、神楽耶は涙に濡れた目で懇願する。
「スザクは悪くないのです! どうか、彼を殺さないで下さい・・・・・・っ!」
神楽耶の言葉に、団員たちはざわりと色を変えた。白兜は黒の騎士団だけでなく日本奪還を目指している者たちにとって、最も憎むべき象徴だ。それを倒すなと言う。キョウト六家の代表である、彼女が。
「ゼロ・・・!」
カレンが思わず呼び掛けるが、彼は手をひらりと振ることでそれを遮った。手袋に包まれているそれを、静かに神楽耶の肩に乗せる。親密な動作に、カレンは無意識のうちに唇を噛んだ。
「神楽耶様、あなたの望み、必ずや黒の騎士団が叶えましょう」
「ゼロ!?」
信じられない答えに、団員たちが今度こそ声を上げる。けれどもそんな中でゼロは、己を見上げた神楽耶にだけ微笑んだ。仮面で見えないはずなのに、それは微笑としか表現できない声音を持って、彼女に告げる。
「必ずや黒の騎士団が、枢木スザクを殺します」
神楽耶の、黒曜石のような瞳が見開かれる。カレンだけでなく、団員たちも話の変わりように息を呑む。けれどゼロはそれが当然だというように約束を続ける。
「枢木スザクは、必ずや我々が殺します。白兜はもはやブリタニア軍の要と言っても差支えのない機体。それを破壊することは義務であり、奴の前に散っていった仲間たちの悲願でもあります」
そうだ、と誰かが頷いた。
「彼は日本ではなくブリタニアを選んだのです。あなたではなく、ユーフェミアの騎士になったのがその証」
「嘘です! スザクは、スザクは・・・・・・っ」
「もう夢を見るのは止めろ、神楽耶」
言葉から敬称が消え、神楽耶はびくりと肩を震わせる。そこから手を離すことはなく、ゼロは言い聞かせるように紡いだ。
「スザクはブリタニアに在ることを選んだんだ。あいつは俺たちの、敵だ」
それはまるで身を切るかのような声で、扇はひっそりと眉を顰める。常に沈着であろうとするゼロらしくない、おそらく「彼」自身の気持ちがその言葉には込められているかのようだった。神楽耶の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「・・・・・・一緒に、遊んだのですよ」
頼りない、少女の、子供の声が響く。
「一緒に、過ごしたのです。わたくしと、スザクは、いいえ、わたくしたちは、一緒に過ごしたのです」
指先がマントを握る。いくつもの雫が頬を滑り落ちていく。
「向日葵が綺麗でした。スザクが先頭を駆けて、わたくしたちはその後を追って。夏の日でした。忘れません。スザクは、わたくしたちの友でした」
「・・・・・・ああ」
「友なのです。それなのに殺さなくてはならないのですか。もう、手遅れなのですか」
ゼロの指先が神楽耶の涙を拭う。まるで妹か何かをなだめるかのように、その仕草は優しかった。
「スザクは道を選んだ。おまえももう、選ばなくてはいけない」
「・・・・・・ゼロ」
「嫌なら目を閉じていろ。・・・・・・すぐに、終わる」
神楽耶のまつげが揺れ、瞳がゆっくりと細められる。泣いたせいで目元は赤く、頬もかすれてはいたけれども、浮かべられたのはおそらく笑みと言えるものだった。
「あなたは、決めたのですね」
確信を持っての問いかけに、ゼロは言葉を返さない。けれども神楽耶は納得したかのように腕を伸ばし、彼から一歩距離を取った。ふふ、と小さな笑みがこぼれる。
「わがままを言ってごめんなさい。本当は分かっていたのです。スザクが自ら選んでブリタニアにいることも、彼がもう、こちらには戻ってこないことも。分かっていてわたくしは、あなたにあんなお願いをしました」
「相変わらずだな、神楽耶」
「ええ。ですがこれでようやく決意も固まりました。やはりあなたをおいて、他にはない」
今までの訴えを無かったことのようにして、神楽耶は笑みを浮かべる。けれどやはり目は赤く染まっていて、彼女が心から泣いていたことを窺わせた。長いスカートの裾を払い、彼女は薄汚れたアスファルトに躊躇することなく膝をつく。ゼロに対して傅くことになるその体勢に、団員たちがどよめいた。
「キョウト六家の当主として、そして日本最後の皇族として、ゼロ、あなたに日本奪還をお願い申し上げます。そのためならばわたくし共は、持てる力すべてをもってして、あなたのお役に立ちましょう」
日本皇族、と誰かが呟く。内親王、という囁きに神楽耶は微笑した。
「わたくしは大和の子。国のために立ちはすれど、亡き友のために倒れはしません。日本という国のために、わたくしは今日まで生き延び、生かされてきたのですから。スザク一人のために、わたくしはわたくしを捨てられません」
ですから、ゼロ。そう告げて頭を下げた神楽耶に、ゼロは笑ったらしかった。いいだろう、と仮面をつけた顔は頷く。
「その願い、引き受けた。必ずやブリタニアを壊し、日本を取り戻すことを約束する」
「ありがとうございます」
アスファルトについていた手を放し、神楽耶は顔を挙げて笑う。差し出された手袋の手を取り、彼女は立ち上がった。離れる前にその腕をゼロの仮面へと伸ばし、艶やかな表面をなぞるように撫でる。ゼロ、と彼女は呼んだ。
「これで、わたくしとあなたは共犯者です。友を手にかける罰は、等しくこの身に降りかかりましょう」
ああ、と小さな声で頷いたゼロに、神楽耶は笑みを歪めて、それでも笑った。
「死なないで下さいね、ゼロ。あなたはわたくしに遺された、唯一の友なのですから」
ゼロが笑い、神楽耶の頬を撫で返す。仮面でそれは見えないというのに、神楽耶は嬉しそうに微笑んだ。団員たちが見守る中、二人は慈しみ合うようにして互いを見つめあっている。
神楽耶の声なき声が、最後の友の名を囁いた。
スザク、あなたの、おまえの、友は死んだ。
2007年2月19日